漢字のルーツ、金文は「筆文字」か 京都の美術館など、鋳造技法解明

約3000年前の中国・殷周時代の青銅器に鋳込まれた古代文字「金文」について、京都市の美術館「泉屋博古館」と福岡県芦屋町の文化施設「芦屋釜の里」の研究グループが製作技法を鋳造実験で解明した。繊細な字をどのように器に表現したか諸説あったが、泥水を付けた筆で鋳型に字を盛り上げた「筆文字」の可能性が高いと結論づけた。金文は後世の書家の手本ともなった漢字のルーツで、青銅器や書の研究に一石を投じる成果だ。【野上哲】
黄河流域で栄えた王朝の殷(商、紀元前17~同11世紀)、周(同11~同3世紀)では儀礼用の酒器など青銅器が高度に発達し、精巧な造形は世界にも類を見ない。殷では亀の甲羅などに刻んだ甲骨文に続き、紀元前14世紀ごろから青銅器に事績などを記した文字、金文が出現した。金文は拓本が取られて後世の書家が手本とし、研究の対象ともなった。
研究グループによると、殷周時代の金文の多くは湾曲した器の内側に字の部分がへこんだ凹線で書かれている。鋳型は凸線にする必要があり、これまでは皮革に彫った文字を鋳型に押し当てて転写する、字の形に粘土ひもを張り付けるなどの説が有力だった。ただ、裏付ける鋳型などが出土しておらず定説はなかった。
そこで、世界有数の青銅器コレクションを持つ同館の山本尭学芸員(31)=中国考古学=と芦屋釜の里の鋳物師(いもじ)養成員、樋口陽介さん(39)らが協力し、実際に器を作ることを通じた実証的な究明を試みた。

再現のモデルにしたのは同館が所蔵し、穀物などを盛る器「(ろくき)」(周時代、紀元前10世紀)。という人物が将軍から軍功を賞されたという業績が、蓋(ふた)と底の内側にそれぞれ5行32字鋳込まれている。
研究グループはまず、鋳造された文字の形状を詳しく分析した。断面が円形▽字のへこみ方が深く変化がある▽わずか1ミリの点も表現している――などの特徴から、皮革からの転写や粘土ひもの使用は考えにくいと判断。中国清代の学者、阮元(げんげん)が約200年前の文献で触れていた筆を使う手法に着目した。
の銘文の周囲には境目があり、文字部分の鋳型は別のパーツを使ったと推定。土でプレートを作製し、土を溶いた泥水を極細の筆に含ませ、プレートの表面を何度も反転させた字の形になぞった。すると、1文字当たり5~10分で高さ約1ミリの立ち上がりを付けられ、銘文全体でも半日で作業が終わった。このプレートを器内面の鋳型「中子(なかご)」にはめこみ、鋳造したところ、の銘文とそっくりに再現できた。
鋳造後に筆で盛った文字は鋳型からはがれ、1回限りしか使えなかった。金文は同じ文章でも器ごとに形に細かい違いがあることが以前から知られ、この事実とも整合しているという。
筆書きの文字は、金文より古い殷時代の甲骨文で下書きとしては確認されている。
山本学芸員は「議論と試行錯誤の中で、最初に『筆ではないか』と気付いたのは職人の樋口さんだった。技術的観点から合理的に説明でき、金文が筆を使った技法で製作された可能性は極めて高い。硬い骨に刻む甲骨文では滑らかな表現が困難だったが、金文は筆による造形美をそのまま表現できる初めての書体になった」と話している。

研究成果は泉屋博古館分館(東京都港区)で12月20日まで開催中の「金文―中国古代の文字―」で紹介されている。
実証的に説明できたことに意義
東京国立博物館・富田淳学芸企画部長(中国書法史) 殷周時代の金文は書に携わる人にとってお手本とも言える文字。ただ、どのように製作したかは分からず、筆の使用は多数ある意見の一つに過ぎなかった。今回、実証的に筆で説明が付くと示したことは意義がある。この説が正しいとすれば、金文は筆の跡そのものが鋳込まれた、筆の魅力を十二分に表す書体と言えるのではないか。
青銅器研究者を驚かせる成果
台湾中央研究院歴史語言研究所・内田純子副研究員(中国考古学) 中国青銅器の製作技法はホットな研究テーマの一つで、銘文の付け方は古今東西の学者が頭をひねって謎を解こうと挑んできた。研究グループは製作の痕跡を丁寧に観察し、鋳造実験を繰り返してこれぞという方法にたどり着いた。青銅器研究者を驚かせる成果だ。