核廃絶へ、思いは一つ ローマ教皇来訪で被爆者「生きててよかった」 広島

「この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。あの時を生き延びた方々を前に、その強さと誇りに深く敬意を表します」。広島を24日に初訪問し、被爆地から世界に、核兵器廃絶に向けたゆるぎなき信念を示したフランシスコ・ローマ教皇。13億人もの信者がいるカトリックの最高指導者のメッセージに、被爆者からは「思いが重なった」と感謝の言葉が相次いだ。【小山美砂、高橋昌紀、李英浩、池田一生】
広島市中区の平和記念公園であった「平和のための集い」には被爆者や首長も参加。白い法衣をまとって姿を見せた教皇は、原爆慰霊碑に献花し、母語のスペイン語でメッセージを発信した。教皇をひと目見ようと公園の周辺道路も人であふれた。
女学校1年生だった時、路面電車乗車中に爆心地から約1・8キロ地点で被爆した在日韓国人2世の朴南珠(パクナムジュ)さん(87)=広島市西区=は教皇と両手を握り合った。「何度も死にたいと思ったが、生きててよかった」とその瞬間を振り返った。
3歳で被爆した県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之理事長代行(77)は、教皇が「真の平和とは非武装の平和以外にありえません」と述べたことについて、「私たちの思いと同じ」と語った。
被爆証言を多言語で翻訳する活動をしている「被爆者証言の世界化ネットワーク」(京都市)のメンバーとして招待された阿比留高広さん(25)=兵庫県尼崎市=は「原爆は全人類へ落とされたもので、この問題に国境は無いという思いが強く表れていた。被爆者の思いを海外に届けている私たちの背中を押してくれるようなメッセージだった」と話した。

集いには、湯崎英彦知事や広島市の松井一実市長も参加した。ともに教皇の来広をバチカン市国に働きかけてきた経緯があり、松井市長は「『平和を象徴する都市』との認識が世界に広まった。(これを機に)世界の為政者に訪れてもらいたい」と述べた。
1981年に当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が来広した際は訪問先の一つとなった中区の世界平和記念聖堂(カトリック幟町教会)では、集いに参加できなかった信徒ら約300人が大画面モニターでのインターネット中継に見入った。平和記念公園に足を踏み入れた教皇が大写しになると、参加者はその姿を写真に収めようとモニターにスマートフォンを向けたり、バチカン市国旗を振ったりして歓迎。教皇の演説に涙を拭いながら耳を傾ける信徒の姿もあった。
東広島市西条町の教員、斉藤弘樹さん(48)は「未来に平和をつなげる大切さを改めて感じた。戦争はいらないというメッセージを広島で言ってくれた意味は重いと思う」と話していた。