「宇崎ちゃん」から小籔千豊の「人生会議しとこ」まで、昨今の表現規制で気になる事柄

人間、誰しも気に入らない表現を見かけたら規制したいと思うものらしく、先日は厚生労働省が小籔千豊さんを起用した「人生会議しとこ」ポスターをめぐって、どこぞの患者団体が抗議するという事件がありました。
小籔さん起用「人生会議しとこ」ポスターに批判…「死を連想させる」 https://www.yomiuri.co.jp/national/20191126-OYT1T50277/
「患者にも家族にも配慮がない」「誤解を招く」 厚労省の「人生会議」PRポスターに患者ら猛反発 https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/jinseikaigi-poster
なんですかね、これ。
どうも「誤解を招く」とのことですが、一番誤解を招きそうなのが「小籔さんが倒れたとき、ひょっとして本当にこう思っちゃう人なんじゃないか」と思われることだと思います。いかにも小籔さんこんなこと考えてそう。実際は違うだろうし、それどころじゃないかもしれないけど。
もともと「人生会議」とはACP(アドバンス・ケア・プランニング)のことで、いつ患者の立場になってもおかしくない私たちが、自身で望む医療やケアについて家族や医療者・ケアチームと前もって考えておき、それを共有する仕組みです。まさに小藪さんが「こんなはずじゃなかった」と語るのは、自分が死にそうなときに思ったような医療やケアを受けられない可能性をシュールにポスターで再現していることに肝があります。

何にせよ、死を連想させるので掲載をやめろと言ったようですが、これはもう小籔さんが所属する吉本興業に対する陰謀じゃないのかとすら思います。単純に、重病がいきなり判明したり、亡くなられる前に決めるべきことはきちんと家族で話し合って決めておきましょう、という「人生会議」の啓蒙なのであって、どうにもならない不慮の死を前提にしたポスターである以上、これががん患者団体や遺族から反発を受けたところで「死を連想させて何が悪いんだろう?」と。
それでは、明るい家族団らんのイメージで「おじいちゃん、死んだらどうするか話し合おうね」「そうだな」みたいなポスターなら容認されるのでしょうか。
BuzzFeedの取材では「今のところ、直接、届いている抗議文は2通のみ」で、「普及啓発したかったことは、人生の最終段階でどのような医療ケアを受けたいかを話し合っておけば、本人の望むケアが受けられる」ことだと厚生労働省は言ってるようです。気になって私も実際に厚労省に訊いても、関係先へ直接の問い合わせがあったのは本当に2件だったようで、そんなんで不適切判断をしてやめちゃうというのは別の意味で表現の制約・自主規制に至る道だよなあと思います。
いざというときに話し合わないでいると厄介なことになるよね、という啓蒙用のポスターが、なぜ患者団体からのクレームに晒されるのか理解ができません。
実際、私も親族の介護がエクストリーム状態になっているので毎日走り回って各所訪問している状態ですが、頭のしっかりしているうちに「いまこういう状態だから、いざというときはここの病院や施設に相談してあるからね」と説明をしています。それどころか、延命治療をする、しないという点は、患者団体の言う死を連想する以前の問題を話し合う必要があるわけです。

私だって、一時期は急性期から一応は脱して自宅に帰った母親とは「なあお袋。次に救急搬送されそうなときは、悪いけど心臓マッサージとか蘇生をお願いしないようにするかい」「どうせ駄目なら自宅で迷惑かけずに死にたいからねえ」という会話を普通にしていますし、究極にはその人の死に様をどうするかの話ですからね。そこに治療の苦しみとか、死への恐怖などというものも当然想定しつつ、その人の死に方を本人だけでなく家族みんなで整理していかなければなりません。
さらに、小藪さんの例はまだ家族が駆け付けられている前提ですけれども、親に先立たれて結婚をしていない人や、親戚と疎遠になり、「人生会議」したくても会議先がない人たちなどたくさん出てきます。病気に直面したときに抱える苦悩や境遇は人生の数だけ類型があるのであって、病院にこれらの啓蒙を行うポスターひとつとって「薄っぺらい」とか患者団体が批判する意味がよく分からないんですよね。
で、官公庁のポスターって、いつも思うんですけれどもタレントさんがキリッと顔出しして「覚せい剤は犯罪です」「ストップ痴漢」とか毒にも薬にもならない啓蒙の内容になっていたりするんですよ。あれを見て「あっ、痴漢はいけないんだな」と思う性犯罪者はどれだけいるのでしょうか。
いろんな人が簡単にいちゃもんをつけた結果、その告知や啓蒙の内容や手法がどんどん無難で穏便で誰からも批判されないように作られるようになった結果が、誰から見ても何も意味を感じられない、でも頼まれた業務はしている感だけはあるお役所仕事が敗戦処理のように残っているのではないかと思うんですよね。

むしろ、薄っぺらいとまで批判された小籔さんはブチ切れるべきだと思います。俺、ポスターの中だけど死にかけてるんだぞ。お前ら、俺が死にかけてるポスターを見て薄っぺらいとは何事か。クレームをつけてきた奴は百年後に無事心停止しろぐらいの文句を言ってよいのではないかと感じるんですけれども、そのままそっとポスターもPR動画もなくなってしまうのでしょうか。
一方で、先日献血ルームに掲示されていた「宇崎ちゃんは遊びたい!」のポスターも問題になったまま、ずっと燻ぶっています。こちらも、服着た二次元のイラストが何で問題になり抗議の対象になっているのか理解できません。
なぜかこちらは「環境型セクハラ」という話にまで発展していますが、そういうコンテンツなのである、という前提で、それを好きな人がいて、そういう人たちが献血ルームにやってくる可能性を考えて掲載しているのであって、文句をつけている人たちは基本的にマーケットの外です。もちろん、抗議をしている弁護士が実は日本赤十字などで献血をこまめにしている人だったとかなら多少は考慮されるかもしれませんが、理屈はともかくポスターの中身に文句をつけるのは人間会議の件と同様に「お気持ち」の問題にすぎません。
みんなが気持ちよいポスターを作れとなれば、そりゃタレントがコスプレでもして無難なコピーでポスター作ればいいんでしょうけれども、それはそれで誰にも刺さらない駄目なポスターになるというのは前述の通りで、ましてや献血を促す目的は達成できなかろうと思います。

「じゃあ『宇崎ちゃん』が献血を促すのか?」と言われれば誰にも分からないわけですけれども、実際には「一般の人に宇崎ちゃんをみせて献血を促す」というよりは「献血に来た人に『宇崎ちゃん』のノベルティがありますよ」程度の告知だろうと思うわけですよ。過去の歴代献血ポスターを眺めてみると、私たちは「なぜポスターを貼らなければならないのか」という見てはならない暗い深淵に目を向けるような気分になります。
【はたちの献血】 歴代献血ポスター 画像集(羽生結弦、武井咲から若き日のガッキー、まどマギも・・・) – NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2141749078020896901
突き詰めれば、テレビ番組が低俗だとか、文春砲は下世話だといった類の言説は、コンテンツとして立てば立つほど、メッセージ性が強くなって「お気持ち」による批判に晒されやすくなる、というのが実情なのではないかと思います。
バラエティ番組がPTAなどから「低俗だ」などと批判されたり、イジメを助長するという観る側の主観で表現の幅を削り取られていった結果、いまや地上波の番組はかつてないほど品行方正で面白みのないものが増えてしまったという残念な実情があります。ポスター然り近所の空き地での野球然り、ノイジーマイノリティの強いクレームから目的意識のある表現を守り、自主規制しなくて済むようなスルースキルを高めることが問われているのではないでしょうか。

恐らくは、表現を巡る争いというのは、その表現に嫌悪感を示す一番敏感な人に公共性の軸足を与えると、今回の「人生会議」のように物事を豊かに伝えるための表現の幅が狭くなるという問題に他ならず、つまらない自主規制を強いる世の中になっていくのでしょう。もちろん、小籔さんが面白いのか、このポスターの出来が良いか悪いかは各人の感性による部分は大きいんですけれども、次回があれば、もっと派手に殺される役をすれば、患者団体からの同情も集められるかもしれません。
ポスターの中で殺された上に「薄っぺらい」批判までされた小籔さんにおかれましては心からお悔やみを申し上げます。
(山本 一郎)