大阪・千日前の繁華街にある小さな劇場「トリイホール」が来春、約30年の歴史に幕を下ろす。人間国宝の故・桂米朝さんの一言をきっかけに誕生し、上方芸能の若手演者たちに研さんの場を提供してきた。ミナミの街で芸能の灯を守りたいと、もうけを度外視して運営を続けてきたホール代表の鳥居学さん(60)が「一定の役割を果たした」と判断。閉館後は、鳥居さんが住職を務める寺の本堂に生まれ変わる。
ホールは飲食店などが入る「上方ビル」の最上階、4階にあり、1991年開業。マイクを通さずに演者の息づかいが伝わる席数100の小さな空間は、ミナミから劇場や演芸場が姿を消す中、貴重な発表の場となってきた。
ビルの前身は鳥居さんの父が経営していた旅館で、芝居町・道頓堀に近かったことから常連には歌舞伎役者や落語家が多く、文化サロンのような場所でもあった。旅館を廃業してビルに建て替えることになった際、米朝さんが、若手が研さんできる場の提供を鳥居さんに依頼。こけら落とし公演には米朝さんのほか、上方舞の故・吉村雄輝さんらが出演した。東京で落語界をけん引した故・古今亭志ん朝さんもホールを愛したことで知られ、開館翌月に独演会を開くと、亡くなる2001年まで毎年独演会を開いた。
鳥居さんは開館当時を「関西には若手の芸人の発表の場はほんとになかった。最初はここを借りて落語会をやっても、落語になってへん噺家(はなしか)さんもいました」と振り返る。ホールでは、米朝さんの長男、桂米団治さん(60)がプロデュースする「トリイ寄席」が毎月1日に開かれ、12月の最終回で290回を数える。米団治さんは「(大阪、関西に)天満天神繁昌亭(06年開館の定席)も動楽亭(08年開設の定席)もなかった時に、貴重な研さんの場だった。どこに座ってもS席で、ちょっとおしゃれで、ちょっとぜいたく。ほかの寄席小屋とは違う異空間を作り出せる場所だった」と閉館を惜しむ。若手が育つ場を維持してきた鳥居さんは「作って良かった」と感慨深げだ。
94年に得度した鳥居さんは、11年から上方ビルの近くで毎日護摩法要を行い、住職を務める寺も開いたが、信者から「本堂を造ってほしい」との願いが寄せられていたという。鳥居さんは「祈りの場と芸能は昔は一体だった。今後ますますの街と芸能の発展を考えれば、ここを本堂にして、同じ建物で芸能も続けるのが普通の形というふうに思った」と話す。ビルの3階で小規模な落語会などに使われてきた「千日亭」(客席約50)を拡充し、引き続き芸能の場も提供する予定だ。
9日から13日には「さよならトリイホール」と題した連続公演を開き、米団治さんや、桂ざこばさん、桂南光さんが出演。期間中は千日亭で志ん朝さんのほか、旅館の常連だった名役者らの色紙を展示する。公演は各日午後6時半。トリイホール(06・6211・2506)。【山田夢留】