共通テストの問題点としては、数学と国語の記述式が大きく取り上げられていますが、これ以外にも問題点として取り上げられているものがあります。今度は、それをこれまでの経緯を踏まえて共有していきたいと思います。
◆長い問題文
共通テストの試行調査の問題を見て多くの人の目に留まるのは、「長い問題文」の存在です。数学の場合、太郎と花子の会話が「数学I・数学A」「数学II・数学B」の両方に含まれます。数学以外にも、太郎と花子ではないのですが、「世界史B」「地理B」「現代社会」「倫理」「政治・経済」「物理基礎」「生物基礎」「生物」に会話文が含まれます。これらは、数学の場合であれば、「日常生活や社会問題を数理的にとらえること」が文科省の資料の中で目標に掲げられており、それに沿ったものということになります。
どこが批判の対象になるかというと、問題文が長い割に中身がないということです。例えば「数学I・数学A」の記述式の第2問では問題文は1ページわたって書かれていますが、これをこれまでの出題のように問題を書き換えると次のようになります。
”右の図のx、yに対し、x≧26かつy≦18となるようなxの範囲を33の三角比を用いて表せ。”(※「右の図」は、下図を参照。なお配信先によっては図が表示されない場合もございますので、その場合はHBOL本体サイトで御覧ください)
では、なぜこのような状況になったのでしょうか? 私の専門は数学と数学教育ですので、数学の試験に関する部分を今から30年前くらいから簡潔に説明しましょう。それを知った上で批判する方は批判するとよいと思います。
◆声がでかい「門外漢」の意見が通ってしまうおかしさ
1990年代前半に作家の曽野綾子さんが、
「二次方程式を解かなくても生きてこられた」
「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」
と言った発言をされました。一作家が意見を言うのは自由ですし、彼女に限らず、人の考え方を押さえつけてはいけません。しかし、彼女の夫である作家の三浦朱門さんが、当時教育課程審議会会長に就いており、彼が教育課程審議会で二次方程式の解の公式の削除を主張し、なんと中学の数学から一時期解の公式は消えてしまいました。なお、お二人とも数学は専門外です。
これは、当時も今も抱えるこの国の問題点ですが、それは次のようなものです。
専門外で発信力のある人が、その分野の経験が未熟でありながらも自分が正しいと強硬に意見を発信すれば、それがあたかも妥当な意見であるかのように報道され、それによってこの国の政策が決定されることにこの国の教育の弱点がある。
さて、この二次方程式の解の公式が削除された件は多くの数学者、数学教育に携わる方々に影響を与え、「数学は実生活でも必要だということを理解してもらわなければ数学を学習することに理解が得られない」と考えるようになりました。このころから、文科省の学習指導要領の数学の中に「数学のよさ」という言葉が現れ、次第に「数学のよさを理解してもらう」ことを意識するようになります。これは、私の推測ですが、当時から「数学のよさ」をアピールしないと、文科省はいろいろなところからバッシングを受けたか受けると考えたのだと思います。
「数学のよさ」を強調する流れを受け、2003年からの学習指導要領では新科目「数学基礎」が設置され、2012年からの現行課程では、「数学活用」という科目が設定されました。「数学活用」とは、数学がいかに日常生活で役に立っているかを学習する科目です。この流れは今現在も増幅し、次の新課程では、一時期「数学活用I」「数学活用II」のように2科目にしようという案もありましたが、その案では、結局ほとんどの高校では選択しないだろうと考え、次期指導要領では「数学A」「数学B」「数学C」の中に1単元ずつ組み込まれることになりました。現在の高校数学はこのような流れの中にあります。
◆問題を解くのに無関係の条件も問題文に入れるべき?
もう一つ高大接続システム改革会議の中である方が次のような趣旨の発言がありました。
「今の大学入試の数学の問題は、与えられる条件に無駄がない。つまり、問題文にある条件はすべて使う。これでは問題の解決のヒントになり現実的ではない」
これは、一つの高校数学の問題を解いていて、それが解けないならば、まだ使っていない条件に注目すれば正解がわかってしまうということです。これを防止するために、例えば、次のような問題を出すべきということでしょう。
私の父は、1975年に生まれた。ある年の1月1日の父の年齢は45歳、私の年齢は15歳である。父の年齢が私の年齢の2倍になるのは何年後の1月1日であるか。
この問題文の中で父が生まれた年は、問題解決に関係ありません。このように問題の解決に無関係のものも入れるべきだということです。
そもそも、日常の生活の中においてもその中に潜む「数学」を見つけるには、いくつもの不必要な条件の中に埋もれている必要な条件を選び出します。そして、それを数式化して解決します。決して、すべての条件が必要というわけではありませんので、必要なものを「選ぶ」という「判断力」が必要になります。それを実現しようとして問題文が長くなったり、問題の解決に全く関係のない文章が含まれていたりします。
しかし、不必要な情報のない問題が特殊だと言うのであれば、そもそも「大学入試の数学の問題」は「入試の枠に限らない一般的な数学の問題」の中ではかなり特殊なのです。なぜなら、大学入試問題は、
●きちんと考えれば、10分~20分程度で解決するものがほとんどである。(一般の数学の問題は、1年かかったり300年以上かかって解かれたものもある。)
●整理して書けば、A4用紙1枚程度の分量で解決する。(レポート用紙に何十枚にもなるような問題は出題されない。)
このようにかなり偏った問題ばかりなのです。その制約の中でほとんどの大学は、選びたい学生を選ぶことができるように入試問題を工夫してきたのでした。
◆数学者はルール自体には寛容だが、そこから不合理なことになると……
なお、共通テストの数学の試験では長文の中に、太郎と花子の会話文が出てきます。この太郎と花子の会話文にアレルギーを感じる人も多いのですが、数学の専門家に限るとそれほどまで拒否反応を起こしている人は少ないように思えます。また、「長文だから」「不要な条件が入っているから」を理由に共通テストを否定する人も少ないように感じます。
これは、一私見にすぎませんが、私を含めた数学の専門家、特に数学者は「これが定義だ」と言われれば受け入れることに慣れていて、そこを出発点とした議論の論理的なミスに厳しい(当然ですが)人達なので、定義にあまりケチをつけません。ただし、よほどひどい定義なら何かしらのそう決めた妥当性を要求してきたりはします。簡単に言うと、数学者とは変なルールであってもルールはよく守る人種なのです。ですので、共通テストでは「太郎と花子の問題を出すよ」「余計な条件を含む長文を出すよ」という「ルール」が決められれば、それ自体には寛容なのでしょう。そこから何かしらの矛盾を含むことや不合理なことが見つかれば、逆に黙ってはいないとは思います。
◆文科省が入試改革で「失った」ものとは?
さて、文科省が目指そうとしていた入試改革、その中の一つが大学入学共通テストですが、掲げた理想は悪いものではない、むしろ実現できるのであれば評価できるものも多くあると考えられます。しかし、それを入試問題にしようと拘るばかりにこれまでに蓄積してきたものを失いました。もともと、多くの理想を一つの試験の中、すなわち、60分、70分で解く50万人が受ける試験の中で実現しようとすることに無理があります。
では、例えば何を失っているかを説明しましょう。
第2回の試行調査の問題を実際に解いてみると、問題文は長く、読むのに時間がかかりますが、計算用紙を用意して計算するような問題は減っていることに気がつきます。それは、正解を選択する「多岐選択式問題」が増えたからです。
以下で、2019年のセンター試験と2018年に実施した第2回試行調査の「数学I・数学A」の問題と「数学II・数学B」の問題の中の多岐選択式問題の全体に対する配点の割合を比較しました。多岐選択式問題ではない問題とは、数値をマークする問題のことで例えば、正解が123であれば、問題文の中にアイウとあり、アは1、イは2、ウは3をマークするのでよほどのことがなければ「まぐれ当たり」はしません。
なお、「数学I・数学A」「数学II・数学B」のどちらも選択問題を含みますので、どの問題を選択するかによって分類しました。
【多岐選択式問題の配点の変化】
▼数学I・数学A
(1)確率と整数を選択した場合
2019センター:25点 2018試行調査:46点
(2)整数と図形を選択した場合
2019センター:25点 2018試行調査:62点
(3)確率と図形を選択した場合
2019センター:25点 2018試行調査:62点
▼「数学II・数学B」
(1)数列とベクトルを選択した場合
2019センター:2点 2018試行調査:45点
(2)数列と統計を選択した場合
2019センター:4点 2018試行調査:48点
(3)ベクトルと統計を選択した場合
2019センター:4点 2018試行調査:52点
さて、これらのグラフの比較から、センター試験よりも共通テスト(あくまでも試行調査ですが)の方が多岐選択式問題が増えたことがわかりました。もう一度確認しておきましょう。
多岐選択式問題とは、正解を解答群の中から選ぶ問題のことです。そしてそれは、よく理解していなくても「まぐれ当たり」で正解することができるため、思考力がなくても正解に達することがあるものです。
しかし、共通テスト(試行調査)では多岐選択式問題の割合が増えています。つまり、共通テストでは、思考力をはかるという点では後退したわけです。
多岐選択式問題が増えた理由として、知識があるかどうかを直接問う問題が増えたからです。従来は計算も必要な問題を出題していて、その問題を解けることで、知識があるかどうか、計算が確実にできるかどうかのように、一題で複数の力を試すしていました。
また、「数学I・数学A」の問題では第1問に2次関数のグラフをコンピュータグラフ表示ソフトの画面があります(2つの試行調査の問題にあります)が、これをわざわざこの設定にする必要はありません。単刀直入に問う方が数学の力があるかどうかを確かめられます。
出題者は何かにとりつかれたような感じで作問しているのが見えます。大変ご苦労なことですが、やはり、共通テストは多くのものを盛り込もうとせずに、シンプルに基礎力をみることに徹した方がよいのではないでしょうか。今のままでは、目的通りのものには程遠い不良品です。日常生活において数学がいかに役に立っているかについては、高校の授業の中で行い、記述式で問いたかったことは、国公立大学の個別試験の中で専門家の目で判定してもらうのがよい形でしょう。
★ここまでのまとめ★
●ここ20年以上前から、数学教育では「数学のよさ」(数学の有用性)をアピールする内容が増えた。
●その結果、数学が実生活の中で役に立つことを教科の中に取り入れられるようになった。
●共通テストにも実生活と関係のある内容を取り入れようとした。その結果、余分な文章を含む長文の問題が現れるようになった。
●一方、答を選択する問題も増えた。これは、思考力がなくても解ける問題でセンター試験と比べると後退した。
●文科省の理想は評価してもよいが、それが実体として現れず、結果として試験としては不良品と見なされることもある。
<文/清史弘>
【清史弘】
せいふみひろ●Twitter ID:@f_sei。数学教育研究所代表取締役・認定NPO法人数理の翼顧問・予備校講師・作曲家。小学校、中学校、高校、大学、塾、予備校で教壇に立った経験をもつ数学教育の研究者。著書は30冊以上に及ぶ受験参考書と数学小説「数学の幸せ物語(前編・後編)」(現代数学社) 、数学雑誌「数学の翼」(数学教育研究所) 等。