《本日このお手紙は●●拘置所最後の夜に書いております。まだ今後どうなるかは決まっておりませんので急いでしたためております》
9月4日の消印が押された岩本からの手紙は、こんな書き出しから始まっていた。
5月18日、熱海駅で当時交際中だった男性A氏をカッターナイフで切り付けた美魔女モデルの岩本和子(43)。逮捕時に錯乱状態だった岩本は、拘置所で精神鑑定のために約120日にわたって勾留され続けている。しかし起訴か不起訴かの処分がついに決まるようだ。
この手紙が届く2日前、記者は岩本と4週間ぶりに面会をした。岩本の髪は肩よりも伸び、黒い地毛もかなり目立っていた。今回の面会で岩本は“ある主張”を繰り返した。
「当時、Aさんを心の底から恨んでいたことは確かです。でも『殺してやる』と思ったことなんて一度もありません。実際に犯行に使用したのも殺傷能力なんてないカッターナイフです。私の目的は、堕胎していなくなってしまった子供の存在を、彼の心に刻みたかっただけなんです。以前取材をしていただいたとき、『死ねばいいと思いました』と言ってしまいましたが、過酷な勾留生活で追い詰められていたために、口をついて出てしまった言葉です。こんな生活に身をやつしている状況を、少しでも正当化したいという強がりもあったと思います。でも、犯行当時は『死ねばいい』なんて考えもしませんでした」
犯行後の取り調べにおいて、被害男性A氏と岩本の供述は、「殺意の有無」をめぐって食い違う。A氏は切りつけられる直前、岩本から「死ねばいいと言われた」と主張しており、それが根拠となって、岩本は傷害容疑で現行犯逮捕された後、殺人未遂容疑に“格上げ”されたのだ。
これまで「 週刊文春デジタル 」では岩本の獄中インタビューや獄中からの手紙をたびたび報じてきた。今までに面会したのは計6回、編集部へ届けられた手紙は全15通。岩本は事件当時の様子、堕胎した子供への懺悔、拘置所での辛い生活などについて繰り返し語っていたが、長期にわたる勾留を経て心情に変化があったようだ。今回はこれまで強く表現することのなかったA氏への謝罪を口にした。
「犯罪を犯した私ですが、今となってはケガをさせてしまったことを深く反省しています。どうか奥様を大切にして差し上げて下さい、幸せになってくださいと思っています。本当に謝りたいのですが、謝罪を受けてもらえず、示談にも応じてもらえません」
手紙でも便箋6枚にびっしりと、A氏への謝罪が綴られていた。
《どうしてもこういう場所で1日中誰とも口をきかずにおりますと、ちゃんと伝えるべきことを伝えられなくなるというか、うつうつとしてしまうもので。
うまくしゃべれなくなってしまうのです。
そして、今までは自分に対するショックの方が大きかったというのもあり、きちんとA氏への謝罪がうまく表現できていなかったかもしれません。
ここを出られたら改めまして是非、A氏への謝罪を言葉で表現させて下さいませ。
(中略)
本当にA氏には申し訳ないことをしたと、……謝罪と反省の気持ちでいっぱいであり、それが何よりも一番重要なのは私の気持ちなのです。
「A氏には本当に申し訳ないことをしました。深く反省して謝罪の意でいっぱいでございます」》(9月4日消印の手紙より。岩本も公開に同意)
勾留生活は過酷のようだ。クーラーのないサウナのような3畳ほどの部屋で、24時間のほとんどをひとりで過ごしている。現在は「鬱のような状態で、差し入れしていただいた本を手に取ることができません」(岩本)というほどに追い詰められているという。
そんな状況下で事件について反芻するなか、自分の罪の重さに向き合い始めたようだ。自分がなぜこんな事件を起こしてしまったのか、岩本は時間を遡って“理由探し”をしていた。
「私は男性とお付き合いした経験が少なかったため、年のわりに騙されやすかったということが言えるかもしれません。お付き合いしたことがあるのは、A氏を除くと3人です。最初に交際したのは、大学生のとき。7、8年付き合いました。
3人目は美魔女コンテストに応募するきっかけになった14歳年下の外国人の大学生です。いつもお腹を空かせていたので、同棲してご飯を作ったりパソコンを買ってあげたりして大学を卒業して母国へ帰るまで面倒を見ていました。
自分が人に尽くすタイプで、男性への依存度が高い女であることは自覚しています。そして実は……2人目の人とは結婚していました」
それは岩本が28歳、美魔女モデルとして世に出る前の、まだOLだった頃のことだという。
「相手は一つ年下のバンドマンで、1年の同棲を経て、挙式をすることもなくそのまま籍を入れました。ケンカをしたこともなく、とても優しい人でした。でもそのうち友達のようになっていって、夫婦としては成立しなくなってしまったんです。私が働いて生計を立てていたことも、影響したのかもしれません。結局、入籍から6年で離婚しました。彼とは今でも時々連絡をとっています。いい友人です。でも、彼との間に子供ができることはありませんでした。だからこそ……今回の妊娠は望外の喜びだったんです」
面会後に送られてきた手紙では、岩本はさらに過去へと向かい、幼少期の体験にも言及している。
《私自身が父親がいなかったことが大きかったのではないかと思います。
A氏はもしあのまま私が産んでいたとしても、多分一生、無視していたと思います。
途中からいなくなるならまだしも、最初から「父親のいない子」を、産むと思うと怖さと悲しさもありました。
また父のいない子供になってしまうのか……と思うと、自分自身もやはりそれが原因で心のバランスを崩した経験があるので、勇気が出ませんでした。
混乱もしていましたが絶望もしていました。
絶対に幸せにしてあげられるという強さがなかったのかもしれません……もう年齢も年齢だし、女一人でどうやって、お父さんを一生知らない子を育てるんだろうと怖かったです。
でもやはり、思い返せば、それでも産んで愛してあげれば良かったと後悔をします。
でも今はもう、安らかに成仏してねと祈ってあげることしかできません。
そんな自分が不甲斐ないし情けなくて自分を責める毎日です》(前掲・9月3日消印の手紙より)
面会では終始涙を流していた岩本だったが、終盤に差し掛かったとき、目に光を宿した瞬間があった。
「こんな生活ですが、最近嬉しいことがあったんですよ。他の拘置所にいる私のような罪を犯した方から、何通かお手紙が届いたんです。本当に励まされました。罪を犯して大きな十字架を背負って、生きている方もたくさんいらっしゃるんですね」
岩本がか細い声でそう話し終えたとき、面会時間が終了した。手紙では面会では話せなかった今後のことについても綴られている。
《今後について…
私はこの事件でご迷惑をおかけした全ての方に償うため一生かけて世の中の人のために役立つ人間になりたいです。
そのために残りの人生を使いたいと思います。
ひとつ思っているのが、私のように同じく犯罪を犯してしまった方への心のケアです。
といってもまだ自分が全くダメなので未来の話になってしまうのですが……
今回私は、自分の罪に対してものすごく苦しみました。
もう生きていても仕方ないと何度も思うほど罪悪感にさいなまれ今も毎日、苦しんでいます。
人に罪を犯してしまった自分への苦しみというのは、誰かを憎むよりもすごく辛く終わりがなく、本当に苦しいのです。
ですから私は、罪を犯してしまった人の辛い心を癒して差し上げられる、お声に耳を傾けて差し上げられる活動を、ボランティアでやらせていただきたいと思います。
自分を責め続けていてはいつまでたっても深く暗い穴の中から抜け出せません。
今実際、自分がそうであるように。
ですから私は、罪を憎んで人を憎まず、自分を責めることなく前を向いて歩いていきましょうと……
まずは自分が心の回復ができた後は、そう伝えられるような人間になりたいです》(前掲・9月4日消印の手紙より)
8月上旬に行われた精神鑑定の結果を受け、まもなく起訴・不起訴の処分が決まる。
(「週刊文春」編集部/週刊文春)