「山健にあらざれば山口にあらず」
「カタギになりたかった」路上で神戸山口組幹部射殺の真相
かつては山口組傘下組織で最大勢力を誇り、隆盛を極めた山健組の組長が、自らヒットマンになっていた。
指定暴力団山口組の中核団体「弘道会」の事務所前(神戸市中央区)で8月、組員が襲撃されて重傷を負った事件。兵庫県警は3日、対立する神戸山口組の若頭代行、山健組組長の中田浩司容疑者(60)を殺人未遂と銃刀法違反(発射)の疑いで逮捕した。
事件は8月21日午後6時15分ごろ発生。弘道会の組員(51)が事務所前に車を止めたところ、フルフェースのヘルメットをかぶった男がスクーターで横付けし、車内に向けてガラス越しに「パン、パン、パン……」と6発発砲。3発が命中し、2発が体を貫通した。男はその場から立ち去り、約600メートル南でスクーターを乗り捨てた。県警は防犯カメラの映像から、男を中田容疑者と特定。3日午後10時30分ごろ、捜査員が阪急電鉄神崎川駅(大阪市淀川区)の前を1人で歩いていた中田容疑者に声を掛け、本人だと認めたため、身柄を拘束した。
山健組は神戸山口組の井上邦雄組長(71)の出身母体であり、5代目山口組渡辺芳則組長を輩出した武闘派。複数の捜査関係者が「組長自らがヒットマンなんて聞いたことあらへんし、山健の組長が1人でやったなんてにわかに信じがたい」と首をかしげる。
「普通に考えたら、組長本人が行くなんてあり得へん。行って捕まった時のリスクを考えたら、それで組織を守れんのかっちゅう話や。アタマを取られたらどうにもならんからな。ナンボ、数が減ったいうても、若い衆はおる。しかも山健の組長なんやから、ボディー(ガード)がついとかな。ホンマ、何から何まで解せんわ」(捜査関係者)
暴力団に詳しいノンフィクション作家の溝口敦氏がこう言う。
「彼は過去に15年ほど鹿児島刑務所に入ってますが、襲撃に加わった組員の自供で逮捕された苦い経験がある。それが頭にあって、怖くて下の者を動かせなかったようです。神崎川駅の近くを1人で歩いていたのも、女に会いに行こうとしていたからです」
■7200人いた組員は300人に
先週末、兵庫県尼崎市で、先月27日に射殺された神戸山口組の直参、古川恵一幹部(59)の通夜と葬儀が執り行われ、井上組長は参列したものの、中田組長の姿はなかった。
渡辺組長が山健組を率いた時代は総勢約7200人の組員がいたが、現在の5代目山健組の組員はわずか300人ほどまで減った。10月10日には山健組本部(神戸市中央区花隈町)前の路上で、組員2人が白昼堂々、弘道会系稲葉地一家の幹部に射殺された。
「神戸からしたら、このままやったら花隈の『返し』もなしで、『殺され損かい』って話になってまう。『それでもいつかやるやろ』と思うとるうちに、直参の古川までやられてもうた。それでもまた『返し』がないとなったら、ヤクザとして終わってまうわな。返してナンボの世界やから。特に山健いうんは『イケイケの山健』いうて、その象徴やった。必ず行く、とことん行くのが山健やった。初代組長で、3代目山口組のカシラやった山本健一は、やられたところに大挙して押しかけ、やり返し、名を馳せた。山口組の急先鋒となって、全国を制覇したんや。そんな山健が、中田がいかなあかんくらい、落ちぶれたいうことや」(捜査事情通)