枕もとのiPhoneから聴こえる心地よいアラーム音で目を覚ます。手にとって、時間を見ると7時ちょうどだった。いつもなら1時間ほど二度寝するが、これから取材なので、眠たい目をこすりながら洗面台の前に立った。
洗顔のあとは、シェービングクリームを塗り、T字の剃刀を顔にあてる。洗面台の鏡には泡まみれの、のっぺりした顔を写す。鏡に映るわたしを見ながら、剃刀を慎重に動かしつつ、あることを思い出していた。
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新大久保を歩いていたとき、「アンニョンハセヨ」とオルチャンメイクの女の子が道を訊きたかったのか、声をかけてきた。日本語で返事すると「ごめんなさい。顔を見て、留学生の方だと思って」と彼女は言った。
帰宅後、この話を家族にすると「あんたの顔は韓国人じゃないと思うんだけどね。わたしはフランス人だから、お前も彫りが深いはずなのに」とフランスに縁もゆかりもない母が冗談交じりに言った。
さりげないできごとが頭のなかでちらつき、剃りおわった顔を見ながら、いったいどこが韓国人っぽいのだろうと考えた。
朝食を済ませ、クロスバイクで1時間ほど走り、いつもの場所に自転車を置き、駅へ歩く。途中、彫りの深い、目鼻立ちのくっきりした白い肌のモデルが笑顔で鍛えているスポーツジムの看板の前を横切った。
駅のホームでしばらく待っていると、電車が来た。祝日だったせいか、車内の座席は空きの目立つ。ロングシートに座り、取材テーマの「純ジャパ」について聴きたい質問を確認するため、バッグからノートを出した。
わたしが「純ジャパ」に出会ったのは去年のことだった。
とある大学の授業でゲストスピーカーとして呼ばれ、家族の話を絡めながら在日の歴史や現状を話したあと、先生や学生たちと昼食をともにした。
学生たちの聴きたい質問に答えていると、ある学生が「おなじゼミに純ジャパがいなくて」と言いはじめた。
「ごめんね。純ジャパってなに?」
聞きなれないことばと出会ったせいで、質問の途中で遮った。
「純ジャパって、純粋な日本人って意味です」
「そうなんだ。自分が学生だったころはそんなことばなかったなぁ」
「そうだったんですか!昔からあると思ってました。わたしたち、普通に使ってますよ」
日本国籍を取得した在日コリアンのわたしには意味が分からず、詳しく聴きたいと思ったものの、その子は授業があり、途中で帰ってしまった。
いつか聴いてみたいと思ってたものの、機会に恵まれなかったが、最近になり、国際系の学部に通っているある女子大生と話ができた。
彼女は韓国語を勉強していて、韓国留学もしたらしく、「韓国人の友だちがほしいんですよね」と言った。
「そうなんだ。まぁ、わたしも日本国籍は取ってるけど、韓国人だよ」
「えっ!意外でした!いいなぁ」
まさかの反応に「いいのか?」と苦笑いした。
「いいじゃないですか。わたし、純ジャパなんでうらやましいです」
もしかしたら「純ジャパ」について聴けるかもしれないと思い、取材を申し込んだところ、快諾してくれた。
約束の場所だった都内のある駅の改札前で彼女を待っていた。
「おはようございます。きょうはよろしくお願いします」
やって来た彼女は元気に挨拶した。
「こちらこそよろしくお願いいたします。それでは行きましょうか」
2人で近くのカフェに入った。
「純ジャパを耳にしたのはいつからですか?」
最初の質問に彼女は大学入学後、オープンキャンパスのスタッフをやっていたとき、他学部の同級生からはじめて聴いたと話した。
「純ジャパってどんな定義ですか?」
ずっと聴いてみたかった質問だった。
「海外に長く住んだことがなくて、親や親戚に外国人がいないひとですかね」
「親と言うのは遡ってどれくらいですか?」
「ひいおばあちゃんまでは面識があると思うので、そこぐらいまでじゃないですかね」
わたしの戸籍謄本に帰化事項が入っているのを思い出す。抹消の手続きはできるらしいが、「純ジャパ」の前では意味がないようだ。
「純ジャパなんですけど、沖縄のひとみたいに顔の濃いひとは『純ジャパじゃないでしょ?』って言われますよ」
彼女は彫りが深く、英語の発音が上手なゼミの友人を純ジャパではないと勘違いした話をした。
妙なひっかかりを感じ、こう聞いた。
「英語じゃなくて、中国語とか韓国語が上手いひとに対しては『純ジャパかな?』と疑問に感じないの?」
「中国とか韓国は区別がつかないし、中国語とか韓国語ってあまりしゃべらないじゃないですか。仲よくなってから『お母さんが韓国人なんだよね』みたいに言われて、はじめて気づく感じですかね」
「親が韓国人と言ったり、韓国語でしゃべったりしたらいじめられるからだよ」と言いたかったが、わたしが韓国人だとカミングアウトしてうらやましがってた彼女にどう伝えればいいのか分からなかった。
「どんなとき、自分を純ジャパだと感じます?」
なんとも言えない気持ちになるなか、彼女が自ら、「純ジャパ」だと言ってたのを思い出した。
「純ジャパっぽくないひととか、外国人と話していると思いますね。来世生まれかわるならハーフがいいなぁって思ってて、『純ジャパじゃないでしょ』って言われるのが憧れなんですよ」
「純ジャパが嫌だと思わないの?」
「嫌だと思ったことはないです。全員がそうだってわけじゃないですけど、ハーフのひとって、言語が2つ話せるじゃないですか」
「日本語以外のことばがしゃべれるからハーフになりたいの?」
「そうですね。それとわたし、見た目が日本人なので濃くなってみたいんです。ないものねだりなんですけどね」
朝、髭を剃りながら、思い出したことが頭をよぎり、あのとき、母が「わたしはフランス人で、お前も彫りが深いはずなのに」と言ったのは、「純ジャパ」が憧れる対象を知っていたからだと気づいた。
1時間あまりの取材を終え、彼女とは駅で別れ、帰路についた。朝乗った駅で降り、自転車を置いた場所へ歩いると、笑顔で身体を鍛えるあの看板にふたたび出会った。
純ジャパが憧れそうな彫りの深い顔立ちを見て、どうやったらあなたになれるのだろうと思いながら、通りすぎていった。
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翌日も朝早くから洗面台の前にいた。
鏡に映るシェービングクリームまみれのわたしを見て、いま、手に持ってるこれで切れ目を入れれば、昨日見た看板のあのひとみたいなれるかなと思いながら、剃刀を動かしてると、頬に鋭い痛みを感じ、白い洗面台が少し赤くなった。
わたしはあのひとになれないと気づいた。