幸福度の男女格差世界一は日本だった 「男なんだから俺が稼がなきゃ」が生きづらくさせている

「一家の稼ぎ頭でないと格好悪いけれど、家事や育児の能力も求められる」――日本では男女の不平等が根強く残る一方で、幸福度の男女間格差が大きい。そんなことが最近の調査で分かってきた。
【写真】この記事の表・グラフをすべて見る(全5枚)
21世紀に入って男性1人の稼ぎで一家を養うことが難しくなってきており、共働き家庭も当たり前になった。当然のように「求められる男性像」も変化している。そんな時代に男の子を育てる親はどのように子育てを行なえばよいのか?
新刊「21世紀の『男の子』の親たちへ」で男子校のベテラン先生たちを取材、男の子の親として心得ておきたいポイントを紹介したおおたとしまささんが、男の子たちが置かれた状況をレポートする。
◆◆◆
男女の社会的境遇格差を表わす有名な指標に「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」があります。健康、教育、政治、経済の分野での各国の男女格差を数値化したものです。「世界経済フォーラム」が毎年ランキングを発表しており、日本は常に下位に甘んじています(図1、2)。健康と教育では男女がほぼ平等ですが、経済と政治の分野では特に差が大きい。
※『21世紀の「男の子」の親たちへ 男子校の先生たちからのアドバイス』より引用

これを見ると、日本が男性優位の社会であることは明らかなのですが、一方で、「世界幸福度調査」によると日本は世界で最も幸福度の男女間格差が大きい国でもあります。男性よりも女性のほうが幸福度が高く、その差が世界一なのです(図3)。2005年から2010年にかけてこの差が広がりました。

社会的な活躍の場は女性よりも男性に多く用意されているはずなのに、幸せを感じる割合は男性のほうが低い。ねじれ現象です。
2005年から2010年は、「イクメン」という言葉が市民権を得た時期です。2010年の流行語大賞にも選ばれています。これは喜ばしいことではあるのですが、現実的な男性たちの立場からすれば、従来の労働者としての責任に加え、家事や育児の責任も増えたということができます。
図4は独身の男女に、結婚相手に求める条件を聞いた結果です。男女ともに「人柄」が1位です。次に女性が男性に求めるものは、なんと「家事・育児の能力」なのです。しかも96.0%。ほぼ全員です。その次が、ほぼ同率で「経済力」と「仕事への理解」。女性は結婚相手の経済力も重視するけれど、同程度に自分のキャリアにも理解があることを求めているのです。

共働きが当たり前となった社会において、このバランスは非常に象徴的です。これからの男性は仕事ができるのは当たり前で、そのうえにパートナーの仕事への理解があって、育児や家事もそつなくこなせなければいけないのです。
そして何より図4を一見して気付くのは、男性から女性に求めるものより女性から男性に求めるもののほうが総じて多いことです。棒グラフの面積が明らかに違います。

現代の日本社会は、いまだに男性が「下駄を履かされた」男女不平等な状況ですが、その下駄を脱ぎたくても脱げないという意味で、男性には男性の生きづらさがあるのです。
結果、いまや男性の4人に1人は結婚ができないといわれています。特に年収が低い男性の未婚率が高い(図5)。男性が一家の稼ぎ頭でなければ格好が悪いという旧来の価値観が、男性の心のなかにも女性の心のなかにも強く刷り込まれているからです。

残業などしないで早く家に帰ろうと言われるが、業績は落としてはいけないとも言われる。男性ももっと育児や家事をしようと求められるが、仕事ができない男はカッコ悪いとも思われる。これらのダブルバインドメッセージが、家庭でも会社でも男性を追いつめているのです。
逆説的ですが、現実問題としては、いま「男がつらい」わけです。いや、男女それぞれに課題があり、「お互いに大変ですなあ」というほうが正しいのでしょうけれど。
ひとにはそれぞれ魅力がありますから、企業のマーケティングのように、異性のニーズに合わせた自分になる必要なんてないと私は思います。自分は自分らしくあればいい。でも世の中の流れとして、女性が、これまでの時代とは違う視点でも男性を選ぶようになっていることは知っておいたほうがいいでしょう。
「配偶者を考える場合は、好きとか気が合うとかいう点のみならず、自分のプロモーションと女性がプロモートされることをイコールで考えられるひとかどうかまでを確認しておくべき」
これは、拙著『ルポ東大女子』で、40代の東大出身の女性が語ってくれた言葉です。どういう意味か。

これからは女性も男性と対等に活躍できる社会にならなければいけない。口ではそう言いながら、自分の出世のために、家事や育児を妻に押しつけ、自分は仕事に没頭するようなパートナーを選んでしまったら、妻はいわゆるマミートラックにはまってしまい、思うようにキャリアパスを歩めないということです。
これからの共働き社会では、自分の自己実現と同様に、妻の自己実現にも理解があり、それをサポートできる男性を選ぶべきだというアドバイスです。
出産・育児のために妻が仕事を辞めて一生専業主婦になってしまった場合、世帯年収は億単位で減少するという試算もあります。本当は妻も仕事を続けたいのに、夫が自分の出世競争のために妻にキャリア上の犠牲を強いたとして、世帯収入として本当にその分を取り返せるのかという話にもなります。妻の自己実現よりも、世帯収入よりも、自分の出世欲を優先しただけではないでしょうか。

いくら高学歴・高収入なエリートでも、そのような男性をパートナーにすべきではないと。これからの時代は、優秀な女性ほどそう考えるでしょう。
逆に、とことん働きたい女性を、専業主夫のような立場で支える男性がもっと増えてもおかしくはありません。現在ではそのような男性はいまだに「ひも」などと揶揄されることがありますが、男女平等参画社会というのなら、そこも変えていかなければいけません。そのためには当然、女性の側の意識の変化も必要です。
昨今、「女性だけが育児や家事をすべきだ」と考える若者は少数派です。しかし「男性は一生働くものだ」という社会的思い込みも強い。
仕事を中心とした社会において、男性の論理でさまざまなしくみが整えられていることは間違いありません。一方で、男性はその仕事社会から降りるという選択を認められていない。それが「ねじれ」として表われているのではないか。
よく「女性には生理的な限界があるので、選択を迫られる」といわれます。しかし妊娠・出産・育児というライフイベントでキャリアの中断を迫られるのが女性の側だけというのはおかしい。たしかに妊娠・出産は女性にしかできません。しかし無事に赤ちゃんさえ生まれて、母体が回復すれば、女性が職場に復帰して、男性が育児や家事を主に担う役割を果たしてもいいはずです。

ある男子校で生徒たちに話をする機会を得たとき私は、「出産・育児は女性がやるものだと決めつけるのはおかしいんじゃないか」「キミたちが育児・家事を担うという選択もある」「キミたちにだって(企業組織に属しては)働かないという選択肢もある」ということを伝えました。「男性であること」にとらわれず、あらゆる思い込みを捨てて、あらゆる選択をテーブルの上に並べて自分の人生を決めてほしいと伝えました。
女性の場合、誰と結婚しようと、自分が子供を妊娠・出産できる期間は限られます。しかし男性の場合、相手の女性の年齢によってその時期がずれる(実際には男性も年齢とともに女性を妊娠させられる確率が下がることが知られていますが)。その意味では、ライフプランを考えるうえで、女性よりも不確実性が高いともいえる。だからこそ、自分の人生がいつどんな展開になったとしても悔いのない選択ができるように、いまから入念に将来の生き方を想像してほしい。
どんな大学に行くことになるのか、どんな職業に就くことになるのか、それも大事ですが、将来のパートナーと、どんなふうに人生を支え合うことができそうか、それをちょっとでいいからいまのうちからイメージしてほしいのです。

「どんな仕事に就くの?」「何歳くらいで結婚するの?」「いつまで働くの?」「妻の職業は?」「何歳くらいで子供が欲しい?」「育休は取るの?」「子育てはどれくらいできると思う?」「家事はどれくらいやるつもり?」「子供は何人くらい欲しい?」「そもそも働くの?」などの問いを続けざまに投げかけました。
要するに「キミはどうやって生きていきたいんだ?」「キミにとって本当に大事なものは何なんだ?」という問いです。
「『男なんだから俺が稼がなきゃ』という義務感で仕事をしていたら、仕事がうまくいかなくなったときにきっときつくなるよ。いろんな選択肢があるなかで、好き好んで自分はいまこれを選んでいるんだと言えるように、自分の選択に責任をもつことが大事」。そんな話もしました。
21世紀のど真ん中を生きる男の子たちには、いまのうちからぜひとも考えておいてほしいことです。現在の親世代が子供のころにはそんなこと考えなかったかもしれません。だからこそ、子供たちにそういうことを考えさせる機会を意識的に設けなければいけないと思います。
(おおたとしまさ)