俗に「ロマン兵器」などと呼ばれる軍事兵器がありますが、「空中空母」もその類かもしれません。これを実現しようとしたアメリカ軍は、本当に「地に足のつかない」戦闘機を作ってしまいました。試作戦闘機「ゴブリン」の顛末を追います。
陸上機にせよ艦載機にせよ、はたまた水上機にせよ、固定翼機には脚やフロート(浮きいかだ)など、なんらかの離着陸あるいは離着水装置が設けられているものですが、しかし世の中には、脚なんぞいらん、あるだけ邪魔とばかりに、それらを最初から装備しなかった飛行機もありました。それは空中発進、空中収容を目的に作られたXF-85「ゴブリン」戦闘機です。
脚がないので台車に載せられた状態のXF-85「ゴブリン」戦闘機(画像:アメリカ空軍)。
第2次世界大戦でB-17やB-29などの戦略爆撃機を多用したアメリカですが、長距離を飛行できるB-29爆撃機の開発を進めるなかで、爆撃機に随伴可能な護衛戦闘機がないことを危惧していました。
B-29は、開発に際してアメリカ陸軍が出した要求仕様が、爆弾900kg搭載で航続距離8500kmというものでした。ここまで長距離飛行が可能な戦闘機は当時アメリカにはなく、そのため1942(昭和17)年ごろから「パラサイトファイター(寄生戦闘機)」という構想がアメリカ陸軍内で検討されるようになります。
これは、戦闘機を戦略爆撃機に搭載して敵地上空まで飛行し、敵の戦闘機が出てきたら寄生戦闘機を爆撃機から発進させ、爆撃機の護衛に就かせます。そして任務が終了し敵地から離れたら、寄生戦闘機を爆撃機に収納し、帰投するというものでした。
このパラサイトファイター構想は、第2次世界大戦の終結後に、より航続距離の長いB-36「ピースメーカー」戦略爆撃機が登場したことで、具体化しました。
収容テストでの翼を折り畳んだ状態のXF-85。爆弾倉を模したところからアームが伸びている(画像:アメリカ空軍)。
B-36爆撃機は、終戦直後の1946(昭和21)年8月8日に初飛行しましたが、航続距離が1万3000kmとケタ違いに長く、護衛機として同行可能な戦闘機など皆無でした。そこでB-36の爆弾倉に搭載し、敵地上空で空中発進する護衛戦闘機として作られたのが、マクドネル製のXF-85「ゴブリン」だったのです。
XF-85のいちばんの特徴は、その小ささでした。ターボジェットエンジン単発のジェット戦闘機でしたが、B-36爆撃機の爆弾倉に収まるようサイズは制限され、全長4.52m、全幅6.43m、全高2.51m、最大離昇重量は2540kgと極小サイズで、見た目は樽に翼とコクピットを付けたような外観でした。そのコクピット前方の機首上面には、爆弾倉から発進・収容するための引き込み式フックが取り付けられています。武装は12.7mm重機関銃を6丁装備しました。
XF-85は、1946(昭和21)年6月に実物大モックアップが完成、1947(昭和22)年2月に試作機2機が発注されました。同年9月にアメリカ陸軍から分離独立する形でアメリカ空軍が発足すると、空軍が「パラサイトファイター」計画を引き継ぎます。そして1948(昭和23)年8月23日にB-29爆撃機からの初飛行に成功しましたが、母機への帰還収容に失敗し、不時着しました。
10月14日、2度目の飛行で母機への帰還に成功しましたが、その後も帰還収容を確実に成功させるには至りません。また、機体形状から飛行安定性が悪く、戦闘機としての性能も低いものでした。そのため最終的に開発は取り止めとなり、こうして「パラサイトファイター」計画は1949(昭和24)年に中止されました。
XF-85「ゴブリン」の開発が中止となった同じ年、、B-29爆撃機の改良型であるB-50爆撃機が、空中給油機の支援を受ける形で世界一周無着陸飛行を成功させ、空中給油の有用性を世界に示します。これによりアメリカ空軍のなかでは、戦闘機の航続距離が足りないのであれば空中給油機を用いればよい、という見方が大勢になっていきます。
飛行試験で、テスト母機のB-29からアームで機外に出されたXF-85(画像:アメリカ空軍)。
こうして、アメリカ軍における爆撃機へ戦闘機を搭載するというプランは進展せずに終わりました。しかもこの後、敵地への攻撃手段は弾道ミサイルへと移り、爆撃機が敵地奥深くまで飛ぶ必要もなくなりました。
振り返ると、アメリカは1930年代前半にも飛行船に戦闘機を搭載したことがありました。この時は飛行船の方にフックを付け、それに引っ掛ける形で発進回収を行いました。これはアメリカ海軍が作ったもので、B-36「ピースメーカー」とXF-85「ゴブリン」の組み合わせはアメリカ空軍が考えたものですが、歴史は繰り返したといえなくもありません。