阪神大震災25年 銘板に新たに4人を追加 5016人に

阪神大震災(1995年)の犠牲者らの名前が刻まれる神戸市中央区の「慰霊と復興のモニュメント」で14日、新たに4人の銘板を加える式典(運営委員会主催)が開かれた。来年1月17日で25年となるのを前に、遺族たちが銘板を貼り付け、総数は関連死などを含めて5016人分となった。
奈良県橿原市の会社役員、今村憲司さん(76)は、全壊した兵庫県芦屋市の実家で亡くなった弟幸司さん(当時44歳)の銘板を加えた。式典には憲司さんの妻佐智子さん(72)、長男治樹さん(46)と参列。洋画家を目指し、志半ばで犠牲になった弟を「やっと落ち着くところができたな」と悼んだ。
あの日、幸司さんは両親と同居していた木造2階建て住宅の下敷きになった。翌朝に憲司さんが治樹さんと奈良から駆けつけ、両親の生存を確認したが、弟はがれきの下から見つかった。
幼い頃から絵を描くのが好きだった幸司さん。震災の約5年前、画家を目指して印刷会社を退職した。実家の部屋を「アトリエ」にし、貯金を切り崩しながら独学で油絵を描き、少しずつ作品が売れ始めたころ、震災が襲った。憲司さんは「向こうでも絵を描いてほしい」と筆や絵の具をひつぎに納めた。
遺作は奈良の自宅で今も大事に飾る。「瓢(ひょうたん)と静物」の油絵は、被害が軽かった洋間から取り出した。亡き弟は実家の庭でヒョウタンの種を植えて育て、絵を描きながらウイスキーをたしなんだという。「弟は絵にほれ込んでいた。あの世でも描いているでしょう」と思いをはせる。

震災20年の時に神戸を訪れ、モニュメントに弟の名前がないと知った。最近になって運営委員会に銘板の追加を申し込んだ。四半世紀の節目と重なり「記憶が薄れる中、次の世代にも引き継げます」と語った。
【中川祐一、反橋希美】
「はるかのひまわり」加藤はるかさんの父史朗さんの名も
阪神大震災からの復興のシンボル「はるかのひまわり」で知られる加藤はるかさん(当時11歳)の父史朗さんの名も、復興に寄与した人をたたえる「特別枠」として追加された。史朗さんは、ヒマワリの種を広げる活動を支え、今年8月に肝不全のため76歳で亡くなった。はるかさんの姉の菊地いつかさん(40)=神戸市西区=は「最後に親孝行ができた」と喜んだ。【反橋希美】