米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設計画で、政府が名護市辺野古沿岸部に土砂を投入し始めてから14日で1年。政府は埋め立てを進めることで「既成事実化」を狙うが、県の試算によると、これまでに投入された土砂は埋め立て予定海域全体のわずか1%。辺野古移設に反対する人たちは「諦めない」と前を向く。
辺野古で10月末、小さな金物店が看板を下ろした。経営していた西川征夫(いくお)さん(75)は、がらんとした店の壁いっぱいに辺野古区の住民によるこれまでの移設反対運動の様子を収めた写真を張った。「私は諦めない。ここから声を上げ続ける」
西川さんが「辺野古金物店」を開いたのは、辺野古が移設先に浮上した翌年の1997年4月。塗装業を営んでいたが、市内に金物店が少なく、業者を中心に需要があると見込んだ。一方で、その3カ月前の1月には区民約30人で移設に反対する「命を守る会」を結成。初代代表として運動を引っ張り、約22年の店の歴史は反対活動の歴史と重なる。
元々は自民党支持者だったが、勉強会で普天間飛行場の騒音被害の実態を知って反対の立場に。区内でも当初は反対の声が大きかったが、当時の市長や知事が移設を容認してからは多くが地域振興などを条件として容認に回り、小さな街は分断を余儀なくされた。
「命を守る会」は会員の高齢化で2014年3月に解散。その後、別の会を発足させたが、会員の減少で15年5月に解散した。それ以降、西川さんは店を営みながら、個人で声を上げ続けてきた。
沖縄本島東海岸にある辺野古区は1100世帯あまりの小さな集落だ。表立って移設反対の声を上げる人は限られ、「左寄り」と白い目で見る人もいるという。それでも西川さんを奮い立たせてきたのは「子や孫に負の遺産を残してはならない。いらないものはいらない」との思いだ。
今年2月の県民投票では埋め立て反対が7割を超えた。「政府の強硬姿勢が変わることは元々期待していなかった」。それでも投票翌日から何事もなかったかのように沿岸部で埋め立て工事が続けられた光景にはがくぜんとした。どうして沖縄の声は届かないのか――。
今、工事が進む海を見ても「ワジワジー」(怒り)をためないようにしているという。10月に閉じた店にこれまでの反対運動の様子を収めた写真約120枚を張ったのは、二十数年前に反対の声を上げて座り込みを始めたおじいやおばあの思いを多くの人に知ってもらいたいからだ。いずれはここを基地問題を学ぶ「ゆんたく」(おしゃべり)の場にしたいと思っている。
「一人の国民、一人の市民、そして一人の辺野古区民として、小さな声でも継続して上げれば、政府が耳を傾けないとは限らない。1%でも可能性があるならばできることをやる」【平川昌範】