9日に第200臨時国会が閉会した。ざらざらした感じが残る。大学入学共通テストなどの問題が、国民の感情を煽(あお)ることを目的とする政争の具として用いられたからだ。
国会は良識の府のはずだ。だが、実際に行われているのは、初期ナチスの理論家だったカール・シュミットが強調した政治だった。シュミットは「敵」と「味方」を区別して、敵に優れたところがあっても絶対に認めず、味方の非は一切無視して、ひたすら敵を殲滅(せんめつ)することが政治の目的であると考えた。
感情を煽る政治の危険について、現在、世界的規模での世論形成に大きな影響を与えているイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは近著『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(柴田裕之訳、河出書房新社)でこんな指摘をしている。
〈国民投票や選挙は、人間の合理性にまつわるものではなく、つねに感情にまつわるものだ。もし民主主義が合理的な意思決定に尽きるのなら、すべての人に同じ投票権を与える理由は断じてない。いや、投票権そのものを与える理由すらないかもしれない。他の人よりもはるかに博識で合理的な人がいることを示す証拠はたっぷりある。特定の経済問題や政治問題に関するときは、間違いなくそうだ。ブレグジットの投票の後、著名な生物学者のリチャード・ドーキンスは、自分も含め、イギリスの国民に投票で意見を問うべきではなかったと、不満の意を表した。なぜなら一般大衆は、判断に必要とされる経済学と政治学の予備知識を欠いていたからだ。「アインシュタインが代数学的な処理をきちんとこなしていたかどうかを全国的な投票を行なって決めたり、パイロットがどの滑走路に着陸するかを乗客に投票させたりするようなものだ」〉(71頁)
国会で2020年度から導入される新制度の大学入学共通テストが政争の具になってしまった。国会で「読む・聞く・書く・話す」の4能力を問う英語民間試験導入の是非が議論されたが、客観的な根拠(エビデンス)に基づく議論はなされず、野党は政府を激しい口調で非難し、国民の感情を煽り立てた。こういうアプローチが良識の府にふさわしいとは思えない。政治家が議論すべき事柄は英語力を強化することを国策とするかについての議論であって、それを技術的にどう落とし込むかという問題ではないはずだ。
英語民間試験の導入が見送られたことを野党は勝利と総括して、今度は国語の記述式問題を攻撃の対象にした。英語、国語、数学教育の専門知識も実務経験も持たない政治家の議論を見ながら筆者は「パイロットがどの滑走路に着陸するかを乗客に投票させたりするようなものだ」と思った。そして「桜を見る会」の問題が安倍政権攻撃に利用できると見ると、野党は大学入学共通テスト問題を取り上げるのをやめてしまった。教育を政争の具としている実態が露呈してしまった。
筆者は母校の埼玉県立浦和高校で教壇に立っている関係で、現役の高校生や保護者と接する機会が多い。浦高生には「試験制度がどうなろうと、高校レベルの基礎学力がきちんとついていれば心配することはない。英語の4能力、国語の表現力、数学の証明力を強化するという入試改革の方向性は正しい。ただし、50万人もの受験者がいる大学入学共通テストには馴染(なじ)まないと思う。この点についての技術的落とし込みが不十分だったと考える」と説明している。
生徒や保護者と話していてつくづく感じるのは、かつてなく教育行政に対する不信が高まっていることだ。政府が大学入試改革の指針を示しても、政争によって方針が変わるという現実を目の当たりにした若い人たちは、今後、教育問題だけでなく、政府のすべての政策に対して懐疑的になる。野党が教育問題を政争の具としたことによって、若者の政治不信は一層強まった。
筆者は、中長期的視点で日本を強化するために最も重要なのは教育だと思っている。自分が担当する生徒たちとの信頼関係を強化することによって、事態を少しでも改善していきたい。