四天王寺(大阪市天王寺区)に聖徳太子の父である橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)(用明(ようめい)天皇)を祭る「用明殿」が18日再建され、僧侶と関係者約50人が参列する中、森田俊朗管長らによる落慶法要が営まれた。太平洋戦争で失われた同殿が、令和元年の記念事業としてよみがえった。
新しい用明殿は太子殿の北に隣接する形で建てられた。建築様式は、照り屋根(下向き反り)で参拝者用の空間として前流れの(正面側を長くした)庇(ひさし)を持ち、流造(ながれづくり)と呼ばれる。
文献としては、徳川幕府が1623年の同殿再建時に記した帳簿「天王寺御建立太子堂組堂宮諸道具改渡帳(あらためわたしちょう)」に「御身躰(たい)六躰」とあり、1796~98年刊の9巻からなる「摂津名所圖會(ずえ)」(巻二)に「祭神は欽明帝・敏達帝・用明帝・崇峻帝・推古帝・間人穴太部皇女(「穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)」を指すとみられている)等を鎮め奉る。是皇太子御母后(おんぼこう)なり」の記録が残る。
江戸時代には徳川家康を祭る「東照宮」とされたが、倒幕後は用明天皇を祭る「用明殿」に戻った。明治期に幣殿と拝殿を併せ持つ大掛かりな建物となったが、1945年の大阪大空襲で焼失した。【大笹久光】