【溝口 敦】六代目山口組・高山若頭、ついに敵の牙城に乗り込み「勝利宣言」 神戸山口組に「乾坤一擲」はあるか

神戸市中央区加納町といえばJR三宮駅近く、神戸山口組のお膝元といっていい料飲街である。中で高級クラブ「B」は老舗の名店で、盛期には各界の著名人が引きも切らなかった。もちろん各派山口組の首脳部も親しく利用していた。
JR三宮駅〔PHOTO〕iStock
今月13日、19時過ぎ、六代目山口組・高山清司若頭が府中刑務所を出所して以来、久しぶりに「B]に顔を出した。徳島市の六代目山口組顧問、心腹会前会長の尾崎彰春が3日に死去したため、霊前に線香をたむけた帰り、「B」に立ち寄ったのだ。
しかし前記したとおり加納町はいわば神戸山口組や山健組の牙城である。そこで悠然とグラスを傾けるのは、神戸山口組に対する挑発といっていい。やれるものなら、やってみな、と。

おそらく高山若頭は「すでに勝負はついた。わしが勝ち、神戸山口組は敗れた」という気持ちだったろう。ちょうどこの日、神戸山口組では太田守正舎弟頭補佐(太田興業組長)が自分は引退、太田興業は解散という届けを事始めの席に出した。神戸山口組の直参の中には、少なからず太田興業に続きたいと思案する者たちもいる。神戸山口組は太田守正組長の脱退を機に大崩れするかもしれない。
神戸山口組の主戦力は依然として山健組、中でも中核は健竜会である。健竜会は五代目山口組・渡辺芳則組長が創立した組(三次団体)で、その出身者が桑田兼吉、井上邦雄、中田浩司など、歴代、山健組組長の座を占めた。
だが、主流中の主流である健竜会の中にさえ厭戦気分が蔓延している。
16日19時半ごろ、健竜会組員(48)は大阪市浪速区の弘道会系組事務所近くの舗道で、40代の弘道会系組員に背後から近づき、持っていた包丁を構えたまま体当たりした。だが、包丁の鞘には細工がしてあり、障害物に当たると、鞘の方に引っ込む、つまり映画で使う仕込みナイフと同じだった。そのため、包丁の刃が弘道会系組員の背に刺さることはなく、組員は無傷、健竜会組員が逆に取り押さえられた。
〔PHOTO〕iStock

この事件でどのようなことが考えられるのか。中立系団体の幹部の見立てはこうである。
健竜会組員は上の者に弘道会組員への襲撃を命じられた。断るわけにいかず、やるしかない。しかし相手に重傷を与えて長期間、刑務所に入るのはゴメンだ。よって包丁に細工して相手を傷つけないようにし、しかも襲撃したという体裁をつくった上で、実行した、というのである。
「健竜会はいい赤っ恥です。あの健竜会がここまで落ちぶれたか、と世間の人は思うでしょう。まあ、山健組の中田浩司組長自身が独断で六代目山口組への復帰を望んで、工作していたというから、下の組員に力が入らなくても無理はない。誰だって負ける喧嘩に全力は尽くしません。山健組は自業自得です」
確かに神戸山口組の敗色は濃いが、しかしまだ確実に負けると限ったものではない。頼みの綱は早ければ来年1月にも実施されるという「特定抗争指定団体」の指定らしい。

先の団体幹部が説明するのだ。
「特定抗争に指定されると、最大の問題は5人以上が屯(たむろ)できない、屯すれば現行犯逮捕されるということです。つまり自分を含めて4人までしか屯できない。
これで困るのは首脳が移動するときのガードです。たとえば高山清司若頭は新幹線で移動するとき、平時でも8人のガードをつけることで有名です。身の周りに3人、隣のシマに2人、車両の両端に各1~2人のガードを配する。これが全部で3人までの減員を強いられる。乗用車で移動するときも、身の周りに3人は配置できても、前方1、後方1の警護車をつけるのは不可能です。
ということは、特定抗争に指定されれば、敵の警護が手薄になる。本気で襲撃する気があるなら、襲撃して相手を仕留められる可能性がある。特定抗争指定を悲観だけするのは間違ってます」
神戸山口組に戦闘継続の意志があるなら、まだ戦い方はあるという伝言だろう。しかし、神戸山口組に戦う気力が残っているか、多分に心もとない。