”子供が1人も産まれない町”でいま起きているニッポンの田舎「絶滅の兆候」

「限界集落という言葉がありますが、下手したらこのあたりは“絶滅集落”ですよ。この不安は、都会の人にはわからないかもしれないね」
【写真】道路を横切ったサルはそのまま森に消えていった
日本社会の少子化が、想定以上のスピードで進んでいる。2019年に生まれた新生児の数は、1899年(明治32年)の統計開始後で初めて90万人割れとなる見込みだ。そんな中、「1年間、赤ちゃんが生まれなかった自治体」まで出てきた。総務省が今年発表した人口動態の調査によると、2018年に出生数ゼロだったのは4町村。その一つが、山梨県の南西端に位置する早川町だ。
冒頭で紹介したのは、早川町に住む男性の嘆きだ。いまこの町で何が起きているのか。遠くない将来、多くの地方自治体に訪れるかもしれない現実に迫った。
ガサガサ! ガサガサ!
JR甲府駅(山梨県甲府市)から車で約2時間。町の中心部の県道を走っていると、何匹ものサルが道路を悠々と横切っていった。
民家のすぐ裏山には、毛繕いをするサルが4匹 文藝春秋
山梨県南巨摩(みなみこま)郡早川町。南アルプスから流れる早川に沿って片側一車線の県道が町を縦断し、そこから派生するように点在する集落には、日中でも人影がほとんどない。
今年9月時点の人口は1051人。日本で最も人口の少ない「町」としても知られる。町の面積約370平方キロメートルのうち約96%を森林が占める。南アルプスの自然に囲まれた立地を生かし、温泉や登山など観光業が町の主な産業になっている。世界最古の宿泊施設としてギネスに登録された「慶雲館」が有名だ。
高度経済成長まっただ中の昭和35年には10679人が生活していた早川町。だが、町内にある西山ダムや雨畑ダム、さらに複数ある水力発電所の工事が終わると、人口はだんだんと減っていった。
今では高齢者が町民全体の約45%を占める。特に、若い世代の流出は深刻で、それに伴い町内の出生数も激減。1990年以降は出生数1桁台が続き、2018年にはこの10年で2回目の出生数ゼロを記録してしまった。
「このところの異常気象で、『陸の孤島』になる恐怖を感じる」

町内を歩くと、そんな声が聞こえてきた。隣町の国道に出るには、1本道の県道を下るしかない。しかし、連続70ミリの規制雨量を超えると、その県道も全線で通行止めになってしまうのだ。町には急峻な斜面も多いため、今年10月の台風19号でも土砂崩れで複数の集落への道路が寸断され、80代の女性住民が山梨県の防災ヘリに救助される事態まで発生した。
「本当に子どもを見なくなりました。私が生まれた頃は、この集落にも50軒くらい家があって、総勢で200人くらいは暮らしていました。子どもの夜泣きも聞こえたし、小さい子が駆け回っているのもよく見ましたよ。周りみんなが親戚みたいで、何でも一緒にしていました。今では20軒も残っていません。それも老人ばかりです」

町の社交場のひとつ、市民が通う温泉施設の番頭に立つ深沢和子さん(79)は、寂しそうにそう語った。生まれも育ちも早川町だったという彼女は、子どもと聞くと、集落の運動会を思い出すという。
「昔は子どもたちがたくさんいたから、駆けっこしたりしていたんですよ。今でも運動会は続けていますが、老人ばかりなので、朝はグラウンドゴルフ、午後は豚汁を作ってみんなで食べて、昔から伝わっている踊りをするんです」
月に3度ほどあるお寺の会合で、集落の友人と語らうのが楽しみだと語る深沢さんは、この生活がいつまでできるか不安だと打ち明ける。
「私には3人の娘がいて、孫も6人いますが、誰もこの町に住んでいません。『働くところがない』『進学先がない』と言って、町を出て、町の外で結婚した。甲府や山梨で生まれた孫世代はそのまま市内で就職したり、県外に出て行く子もいるでしょう。集落の年寄りもだんだん亡くなっていて、この先どうなってしまうのか……」

「荒れたお墓も多く、お盆になっても人が帰ってこなくなっている。じきに、墓の場所を知っている人さえいなくなってしまうんでしょうね」
この町で生まれ、周りにお店一つない県道沿いでガソリンスタンドを経営する辻育久さん(72)は、自嘲するようにいった。
「私が小さいときは林業が盛んで、中学にあがる頃には東京電力の仕事やダムの工事があった。今と違って工事となれば作業員も家族みんなで引っ越してきたから、町民もどんどん増えた。この辺りは町でも一番華やかで、映画館やパチンコ屋が立ち並んでいたんですよ。キャバレーもあれば金髪のおねえさんもいて、歓楽街は深夜まで賑やかでした。
それが、外国から木材が輸入されるようになって林業がダメになり、発電所の無人化で町から職場がなくなっていった。今では夕暮れを過ぎれば誰も歩いていません。給油も町外の車が多くなりました」

町で一番賑やかだったというこの集落も、今ではほとんど空き家だ。
「今や人よりもシカやサルを見かけることの方が多いですよ(笑)。町に高校がないので、子どもが高校に上がると、甲府にも家を持って平日は家族で住み、週末だけ早川に帰る人が多かったんです。
でも、高齢化が進んでこのところは寒い冬にわざわざ帰ってくる人も減っています。あと20年して、いまの住民もたまに帰ってくる人も亡くなったら、どうなるんでしょうか」
実際に町を歩いてみると、観光施設の喫茶スペースのようなものを除けば、喫茶店も居酒屋も見当たらない。町の教育委員会の職員は「忘年会はもう10年以上、隣町で開催しています。行くにも車しかないので、毎年交代で酒を飲まない“運転担当”を決めて、山を下っていく」と打ち明ける。
当然ながら、コンビニも見当たらない。洗剤などちょっとした生活用品は町の直売所で買うことはできるが、食品や日用品の買い物、病院に行くには、車で30分から1時間かけて山を下って、身延町の国道52号まで出る必要がある。町から身延まで走るバスは1日に4本のみで、車のない生活は難しい。
病院にかかりやすい乳幼児を抱える家庭の生活には、どんな苦労があるのだろうか。
「息子は気管支が弱くて、小さい頃は1時間以上かけて町の外の病院に通うことも多く、『ああ、嫌だなぁ』と思ったこともありましたね。あの頃は今より道路もずっと悪くて、免許取りたてで走ると冷や汗まみれになるくらい、それは怖かったですよ」
そう回顧するのは、この町に来て40年という藤本三穂子さん(61)だ。

「昔は小学校も中学校もそれぞれ6校もあったのが、今は小学校が2つ、中学校が1つ。最近では、町でベビーカーを見かけると『なんと貴重な!』と思わずはしゃいでしまいます(笑)。私の息子の世代はバスケットボール部がありましたが、いまは人数が少なくて団体競技はできない。バスケ部もなくなったそうです」
ただ、藤本さんは最近の町の様子に変化を感じるという。
「もちろん空き家が増えて寂しく感じます。でも、集落によっては、外から来た人の方が多くなった地区もあります。そういうところではよく子どもの泣き声がきこえてきて『ああ、昔はこういう感じだったな』と思いますよ」
赤ちゃんの生まれなかった町に、泣き声が聞こえるようになったのには、町役場が取り組んでいる“秘策”が関係していた。
(後編に続く)
「自然の中で子育て」を謳う移住支援はニッポンの「絶滅集落」を救うのか? へ続く
(「週刊文春デジタル」編集部/週刊文春デジタル)