夫のうつ闘病体験を描いた漫画が大ヒットした細川貂々さん。当時はどんな苦しみや葛藤があったのでしょうか。つらかった日々を乗り越え、10年以上が経った夫婦の今は──(構成=社納葉子 撮影=霜越春樹 イラスト=細川貂々)
【写真】「ツレはもう船にも飛行機にも乗って、旅行ができるんです!」
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バリバリ仕事をしていたツレ(夫)がうつ病になったのは、2004年のことでした。結婚8年目、彼が39歳で私が34歳。自信満々だった彼が、ある朝突然「死にたい」と言ってきた時は驚きました。すぐに病院へ行かせると、うつ病だと診断されたのです。それでも無理して会社に通ったけれど、ミスがどんどん増えていく。見るに見かねて、辞表を書いてとお願いし、会社を辞めてもらいました。
それから彼の言動は、以前とは180度変わってしまいました。いつも前向きだったのに、何をしても何を見ても「自分はもうダメだ」「あの人たちに比べて自分は」と落ち込むばかり。ショックというより、「人間って病気になることでこんなにも変わっちゃうんだ」という驚きのほうが大きかったですね。それでもツレが図書館で本を借りてきて、「どうも3ヵ月ぐらいで治るらしいぞ」と教えてくれたので、「あ、その程度か」と。
退職金も失業手当も出るし、半年ぐらいはやっていける。病院に行って薬も飲んでいるし、家で療養していればよくなって、また働けるだろうと楽観的に考えていました。ところが、ストレスの原因だったはずの会社を辞めて自宅療養を始めると、逆にどんどん症状が悪化して……。「これは思ったより大変かも」と感じました。
もともと真面目な人なので、「いろんなことができなくなった」「社会や人の役に立てない」「だからこんな自分はもうダメだ」という思考にすぐとらわれてしまう。布団にもぐって出てこないツレを見ていて、これはしんどいな、と思いました。母に様子を伝えたところ、「励ますのが一番よくないらしいよ」とアドバイスされたこともあり、励ますことには最初から慎重でした。
後になって、ツレから「てんさんが僕の病気を隠すことなく、やたら励ますこともなくいてくれたから助かった」と感謝されたんですよ。それはもともと、私のほうがネガティブ思考だったからだと思います。
たいていの人は、うつ病になった人のネガティブさが理解できなくて、「そんなことを言わないで」「そんなふうに考えるのはよくないよ」と否定するんですよね。でも私は「わかるわかる。ネガティブなことを考えると、負の連鎖でどんどん落ち込んでいくよね」と共感できた。もしかしたら、それがよかったのかもしれません。
とはいえ、家族のなかに病気の人がいるというのは大変です。実際、夫婦どちらかがうつ病になり、結果的に離婚される方も大勢いるみたいですし……。私の場合はずっと仲よくしている友だちがいて、毎日メールをしていました。しんどい気持ちをストレートに話せる人がいたのは本当によかったです。逆にそういう人がいなかったら、困っていたかも。
また、私にとってのストレスはツレのうつ病だけではありませんでした。余計なお世話をしてくる人がけっこういるんです。うちの場合、一番「余計なお世話」だったのはツレの両親でした。「電気療法を受けなさい」とか「気分転換になるから旅行をしなさい」とか。「引っ越しなさい」とも言われました。病気になったことが周りに知れ渡っているから、と。うつ病になったのは恥ずかしいこと、だから隠れなさいという意味ですね。
ご批判もあるかもしれませんが、私はツレの両親に「もう会わないでください」と手紙を書きました。「余計なお世話」はツレが直接言われることが多かったのですが、その後落ち込むことがすごく多くて。
私の手紙を読んだお義母さんは「話をしましょう」と私に会いに来られましたよ。「キター!」と思ったんですが(笑)、言われれば言われるほど夫が落ち込み、状態が悪くなることを率直に話しました。「じゃあ、会えると言われるまで会いません」と納得してくれたので、よかったです。
あの時はどうやったらツレを守れるかをすごく考えていましたね。大変さはありましたが、今振り返ると、つらかった時のことは覚えていないんです。脳が忘れさせるようにしているのかもしれませんが、どちらかといえば「いい経験をした」という気持ちのほうが大きい。ただ、そう思えるようになったのは寛解(症状は出ておらず治っている状態)してから3、4年経ち、「もう大丈夫」と思えるようになってからでした。
寛解したのは2007年です。ただ、その後も台風が来れば寝込むし、低気圧がくると「ダメだー!」となるし。「また再発したらどうしよう」と、しょっちゅう心配はしていました。
そんななか、なんと私の妊娠が判明。結婚して10年以上子どもができなかったので驚きました。それに正直言うと、私がツレのうつ病のことを書いた著書『ツレがうつになりまして。』はよく売れて、「やっと仕事がうまくいき始めたのに、どうしよう」と、困った気持ちのほうが強かった。でもツレは「自分が育児をする」とすぐに決めたみたいです。驚いたし、「そうは言っても、やっぱりお母さんが赤ちゃんを育てないとダメなんじゃないの?」という思いもありましたね。そういう意味では、私のほうが“役割”にとらわれていたのかもしれません。
「「これでいいのかな?」と、つい最近まで思っていました」(細川さん)写真撮影:霜越春樹
出産して退院すると、そのまま自宅に戻り、親子3人の生活が始まりました。私、母乳があまり出なかったので、すぐにミルクに切り替えたんです。それでツレは「俺の出番だ」みたいな感じになり(笑)、それからずっと育児は彼がやっています。
実は、「これでいいのかな?」と、つい最近まで思っていました。ツレは仕事が大好きで、「男は仕事をするものだ」というタイプだったから。勤めていた会社はその後、倒産してなくなりましたが、いずれはしたいことが見つかって、また仕事を始めるんじゃないかと。
『ツレうつ。』が映画化された後、私の仕事がない時期もあったんです。財政的にもちょっとしんどくて、「なんで働いて助けてくれないのかな」と思ったりもしました。その気持ちを伝えると、やっぱりケンカになったりして。「お金を稼ぐだけが仕事じゃない。どうしてそれをわかってくれないんだ」と言ってましたね。
彼が勤め人に戻らないという選択をしたことで、私の焦りは大きくなるばかりでした。私が「仕事ください、仕事ください」とあちこちの出版社に頼んでも、逆に減る一方。でもある時、「焦ってるからダメなのかも」と気づいたんです。それで「流れに乗ってみよう」と発想を変えました。声をかけてもらった仕事は、とにかく何でもやってみようと。
そうしたら体にいい食事やセクシュアリティ、宝塚歌劇団など本当にいろいろなテーマのお仕事をいただくようになり、どんどん世界が広がっていったんです。あの時の直感は正しかった。行き詰まった時は、流れに乗って身を任せるのが一番なのだな、というのが今の実感です。
うつ病に完治はないといわれています。つまり寛解状態がずっと続くということ。再発率も高いそうです。だから今も疲れをためないよう、気をつけていますね。この1年でガラッと変わった出来事というと、ツレが運動を始めたことです。
きっかけは自転車でした。彼が乗りたいという自転車があって、店で「これに乗りたいんです」と言ったら、「あなたでは無理です。体重が重過ぎます」と言われたんですよ。「今、80キロなんですけど、どれぐらい減らしたらいいですか」と訊くと、「ほんとは70キロぐらいがいいんですけど、まあ、せめて5キロは減らしてください」と。
それから一所懸命ジムに通い始めて、半年ぐらいで5キロ痩せました。そして最近、ようやく手に入れたんです。でも、自転車ってお金がかかるんですね。もう、「何それ」という付属品がいっぱいあります。(笑)
あとは山登り。といっても坂道のウォーキングみたいなゆるさで、2時間ぐらいで帰ってこられるコースです。山って、一人で行っても必ず誰かに会うんですよ。それで「こんにちは」と挨拶したりするのも楽しいみたい。とにかくよく運動していて、そのことでだいぶ安定してきました。気圧の変化にもあまり左右されなくなってきて。運動って心の健康にもいいのかなと思います。
安定してきた今だから聞けるというか、話してくれることもいろいろあります。実は、働かないという選択については、本人もだいぶ葛藤したようで。最近になって、そのことで悩んでいたと話してくれました。それはそうだよな、と思います。だって、あんなに仕事が好きで、いきいきと輝いていたのですから。仕事をしないでいられるはずがない。
でも同時にツレはこう言ったんです。「お金は稼いでないけど、家族のために働いている今の生き方が好きなんだ。一応、人の役に立つことをしているということに生きがいを感じている」と。
それを聞いて、「ああ、ツレは心の底からそう思ってるんだ」とようやく納得できました。本当はちょっと前から同じことを言っていたと思うんですが、たぶん私が「そうは言ってもいずれ働くでしょう」と聞き流していたんですよね。私自身が素直に受け止められるようになり、今は「ツレが楽しいならそれでいいんじゃないか」という気持ちになっています。
実際、とても助かっているのは事実です。私が仕事で行き詰まっているのを見計らってお茶を淹れてくれたり、そういうのを絶妙なタイミングでやってくれる、「よくできた妻」みたいな。(笑)
一方で、私自身も変わったと実感しているんですよ。ツレにも最近、すごくよく言われます。「あんなにブツブツ文句ばっかり言って暮らしてたのに、本当に変わったよね」と。最初にお話ししたように、私は自己肯定感が低くて、ネガティブ思考ががっちり身に付いてました。だけどツレがうつ病になり、一緒になってネガティブでいたら自分も追い詰められる。「あっちは病気だけど私は元気なんだから、私が自分のネガティブを何とかしなきゃ」と気がついたんですよ。
ネガティブな人って、全部が後ろ向き。だから行動と言葉をまず変えようと思いました。考え方から変えようとすると難しいですからね。しかも、その変化は自分にも周りにも見えにくい。だからまずは言動──たとえば、みんなに挨拶するとか、笑顔でいるとか。あと、何より自分を認めるのが大事なので、自分で自分を褒めたりもしました。そうしていると、周りの人が「なんだか最近、変わったね」と言ってくれるようになったのです。それがまた自信につながって、自分がどんどん変わっていきました。
子どもの存在も大きいです。2人きりだと行き詰まっていたのが、もう1人いることで中和されるというのを、すごく感じています。でもそう言えるのは、子育ての大半をツレがやってくれているからかもしれませんね。
ツレのほうは、子育てに行き詰まって、だいぶ悶々としておりました(笑)。でも彼には開拓していく能力があるので、ママ友とつきあってみたり、パパ友をつくってみたり。もともとコミュニケーション能力が高い人なのです。
ツレの両親との仲も、今はとっても良好です。寛解して薬をやめ、出歩けるようになった頃に、ツレから連絡をとるようになりました。子どもが生まれてからはもうバッチリです。
今、苦しい時期の真っ只中にいる人には、私たちの話が遠い世界の出来事のように思えるかもしれません。うつ病って、先が見えないし、いつよくなるかもわからないですし。かつての私たちも、1日1日、その時その時をどうしたら楽に過ごせるかだけを考えて生きていました。
ひとつ言えるとしたら、周りの人がストレスをためないで、充実して生きることが大事かな。たぶんそれはご本人に伝わり、いい影響を及ぼすと思います。「自分のせいで家族がつらい思いをしている」という罪悪感を減らせるので。
ツレがうつ病になったおかげで、私たちの人生は思ってもみなかった方向へと進んでいきました。「流れに乗って身を任せる」というのは、うつ病とのつきあい方にも通じるような気がします。今は、できることをしながら、生きることを楽しもうと思っています。