「酔ったら、何してもいいの?」なぜ鉄道駅員への暴力が減らないのか 心が荒んだ人が増えている

「よっぱらったら、何してもいいの?」というポスターを最近、駅でよく見かける。これは、2019年12月9日から全国の駅や列車内で掲出しはじめたもので、JR各社、大手私鉄などが加盟する日本民営鉄道協会、主要都市の交通局などが共同で制作したものである。
12月9日より張り出されている暴力行為防止ポスター
このポスターは2月8日までの2ヵ月間張り出される予定だが、これは年末年始の忘年会や新年会など飲酒が多くなる期間に照準を合わせたものだ。例年、この時期は酔っ払って駅員や乗務員、さらには乗客同士での暴力行為が増えていることを懸念して、暴力行為が犯罪であることを今一度認識してもらいたいとの思いから、こうしたキャンペーンを始めたという。
昔から、酒が入ると人が変わったように饒舌になったり、明るくなる人がいる。その一方で、暴言を吐いたり、暴れたりするいわゆる「酒乱」になる人も少なからずいた。周囲がとりなしたり、抑えたりする場合もあったが、中には警察沙汰になることも皆無ではなかった。

しかし、近年、乱れる人が増えているような気がするし、ある程度の歯止めが外れてしまったのではないかと懸念している。
日本民営鉄道協会による平成30年度、大手民鉄16社での「鉄道係員に対する暴力行為の件数・発生状況について」によれば、暴力行為が発生する状況として「鉄道係員が酩酊されたお客さまに近づいた時や理由なく突然に行われるケースが多く、時間帯については深夜帯(22時以降)に集中して発生しています」と指摘。加害者の飲酒状況も、暴力行為の発生件数169件に対し、「飲酒あり」は実に64%に達するという。
前述の日本民営鉄道協会が報告した、実際に起こった具体的事例にもこのようなものがある。
<(土曜日・深夜)ホーム監視中の駅係員は、お客さまから「車内で寝ている人がいるので起こしてほしい」という申告を受けた。車内に赴くと、泥酔状態の加害者(50代)がうつ伏せで寝ていたため、起こそうと声をかけたところ、突然左頬を平手打ちされた。駅係員は、加害者を制止しながら降車させ、脱いでいた靴を履くように促すと、再度左頬を平手打ちされた。>
酔っ払うと羽目を外す、気が大きくなって態度が不遜になる。その結果、周囲の人間を見下す。同僚や友人のみならず、駅や列車内であれば、駅員や乗務員を見下し、尊大な態度をとる。酔っ払って電車を乗り過ごしたり、乗り間違えたりするのは自身のせいなのに、人のせいにする、鉄道員の対応が悪いと絡む。
以上のようなことは、確かにありがちなことではある。しかし、暴力は行き過ぎであるし、あってはならないことだ。

酔っ払うのは体質もあるけれど、ストレスが大きく影響しているとは、医者や心理学者が指摘する通りだと思う。近年の社会情勢はストレスがたまることばかりである。
真面目に勤めているだけでは、昇進や昇給はおぼつかないし、それどころかブラック企業が増え、すっかり働きづらくなった。リストラにあったり、勤務条件に耐えられなくなって転職を図るもうまくいかなくなったとか、そもそも定職についていない人も少なくない。
貧しくとも、少しづつ収入が増える見込みがあるのなら、希望は持てるのだが、そんな時代ではない。一億総中流といわれた半世紀前とは、状況はすっかり変わってしまったのだ。
誰もが、真面目に働き続ければ、電化製品が買え、マイカーやマイホームが持てた時代は、昔の話なのだ。その一方で、少数の富裕層がいて、巨万の富を築いている。ストレスを持つなと言われても、それは無理というものだろう。
一方、暴力に至る理由として、キレやすい人間が増えたということがよく言われる。終戦の玉音放送で知られた「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」などという行動は、ほぼ受け入れられなくなっている。何か事が起こればカッとして暴力行為に及ぶ人は、年齢に関係なく目につくようになった。
ここでも、鉄道で起きた具体的事例を紹介しておこう。
<(土曜日・深夜)駅係員は、精算しないで改札を出ようとした加害者(20代)に対して、精算をお願いしたところ、右腕を掴まれ、左胸を強く突き飛ばされて転倒した。>
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原因は、いろいろ言われるけれど、幼少時のしつけや教育が関係しているのではという説は、なかなか説得力がある。高度成長時代の頃から、日本が豊かになったこともあって、欲しいものはさほど苦労しなくても手に入るようになったと思っている人は少なからずいる。したがって、物質的には豊かになったものの、その一方で心の豊かさは貧しいままだというのも一面であろう。
さらに、受験戦争と呼ばれるほど進学熱が高まり、高校はほぼ全入に近い状況であり、大学進学率も上昇した。しかし、何時ごろからか、受験や苦労して勉学に励むことが、一部の優秀な生徒を除いて忌避されるようになっている。

世界的に見ても、日本は勉強しない国に成り下がっている。そのひとつが、エスカレータ式に中学、高校、大学と進学できる制度であったり、推薦入試という名の無試験合格であったりする。あるいは、好きな科目だけを選択すれば、不得手な数学などの主要科目を充分に学ばなくても卒業できるといったニュータイプの高校である。
つまり、そこには嫌なものでも我慢して格闘しなければならないという忍耐力や精神力を鍛えることなく安易な道に走る人間を育てることになり、挫折を大して経験しないまま社会人になってしまうという不合理がある。
社会では、解のある問題ばかりではないし、不得手な仕事もこなさなければならない事態も多々出てくる。そうしたときに忍耐を経験してこなかった人間は短絡的になり、じっくりと考えることをしないので、刹那的な行動に走ることになりかねない。
また、物事を熟考することは、読書習慣で醸成されるものであるが、ゲームばかりしていると、そのような思考も身につかない。スマホが普及して、生身の人間とのコミュニケーション不足になり、自分の世界に入り込み、歩きスマホで人とぶつかっても悪びれることのない人間。暴力行為の火種は尽きることがない。

かように加害者になりそうな人の背景を探ってきたが、鉄道関係者の言動にも触れておかなければ公平とは言えまい。乗客に親切かつ丁寧に対応することは無論だが、不測の事故が起こった場合の対応も、「復旧の見込みはたっていません」を繰り返すばかりでは能がないし、イラついた乗客に火を注ぐことにもなりかねない。
そう考えると、鉄道会社側にも余裕を持ちつつ、精神状態を和らげるような対応も望まれる。サッカーのサポーターが大挙集まって大混乱しかけた時のDJポリスのような話術も必要ではないだろうか。
いつだったか、正月明けに初詣客が殺到していた私鉄の駅でのこと。我先にと改札口に殺到して、あわや事故でも起きるのではないかと懸念していたとき、駅員さんがマイクを持って「神様は逃げません。急いでもご利益が増えるわけではありませんよ」と言って、周囲の人の笑いを誘っていた。
一つ間違えれば事故や暴行事件も起こりかねない状況でのユーモア。日本社会では、欧米社会に比べてユーモア精神が欠如していると体験的に思っている。事故が起こりかねない切迫した状況下においても、ユーモアを解する精神的に余裕ある社会であることが、ストレスを和らげ、陰惨な暴力事件も少なくなるのではないだろうか。