グーグル、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムを一切使えない中国で、テック都市として急発展を遂げる深。街のいたる所にカメラがあり、顔認証が唯一の信用となりつつあるこの街の人々は、なぜ「AIへの圧倒的な楽観主義」を持つのか。『 動物と機械から離れて 』(新潮社)の著者、編集者の菅付雅信さんが現地取材で見た、日本を含む先進国でも起ころうとしていることとは。
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中国のシリコンヴァレーと呼ばれるテック都市、深。30年前にはわずか40万人の村だったこの街は、今や人口は1400万人を超え、高層ビルの乱立具合では、東京をはるかにしのぎ、このままではニューヨークをあっという間に越すだろうと思われる急発展ぶりだ。
その深で最も高層なビル「平安国際金融中心」を取材で訪れた時のこと。この118階にもなる巨大なビルの受付を訪れると、既に広報の女性が私たち取材班を待ち構えており、受付に備えてあるカメラで全員の顔写真を自動的に撮影され、取材規約に署名して、中に通された。その後は広報の女性に案内されるとはいえ、ビルの至る所に設置されたカメラに顔を向けるだけで、ゲートが開き、エレベーターも目的階のボタンを押すことなく目的階に止まり、社長室もドアのボタンを押すことなく、ドアが自動的に開く。すべては高度な顔認識技術がなせる技で、カメラが人々の行動を追いかけ、認識し、個々に合わせた導線で先回りしてドアが開き、エレベーターが止まる仕組みになっている。
社長室で私たちを出迎えたのは、中国平安保険の子会社でテクノロジー部門を担う「平安テクノロジー」のCEO陳立明(エリクソン・チャン)。この会社には8000人ものAIエンジニアが働いており、親会社のテクノロジー開発を担うだけでなく、他社にもその卓越した技術を提供している。なかでもこのテック・カンパニーが突出しているのは、顔認識技術とそれを活かした感情解析の部門。
まず顔認識技術は、チャンいわく「正答率は99.8%、1000人のうち2人間違えるかどうかで世界最高レベルです。痩せたり太ったり、髭を生やしていても正しく認識出来ます。この技術を用いて、私たちは“PAY BY FACE”、つまり『顔決済』の技術を提供しています。この118階のビル全体においても、社員食堂や社員向けのコンビニは、クレジットカードや社員カードを使う必要はなく、カメラに顔を向けるだけの顔決済です。これからクレジットカードは用済みになります。ドアの鍵もいらなくなるでしょう。これまでクレジット(信用)カードという『信用』を持ち歩いていたわけですが、これから顔そのものがその人の信用になるわけですから、本当の信用に近づくわけですよ」
街のいたる所にカメラがあり、顔認証が唯一の信用となり、AIがさまざまな労働を代替する社会、それをチャンは予測する。
「重労働や辛い作業が減ることを良しと思うかどうか。さらに苦痛が減ることが果たして幸せなのかどうかは諸説あります。わたしはよく自転車を例に考えています。たとえば、自転車が誕生した初期のこと、それは単純に移動手段でした。でもいまや自転車の多くは楽しみのためにあります。もちろん自転車で汗をかいて仕事のために移動している人もいるでしょうが、それは多くはありません。多くは趣味として自転車は使われています。
これから重労働を機械がやってくれる時代が来れば、仕事の達成感が減るという人もいますが、わたしは労働の選択肢が広がることだと考えています。重労働をあえてやるという選択肢もあるし、ルーティンの仕事を機械に任せて自分の時間を楽しみ、それこそフィットネスや趣味のために自転車を漕いで汗をかくという人もいるでしょう。これからは幸せの選択肢が増えるはずです。わたしはそのようなテクノロジーを愛しているのです」
それら深でのAI関係の科学者、起業家、テック・ベンチャーなどの取材は、テクノロジーのジャーナリズム・メディア『WIRED』のウェブ版『WIRED.jp』で1年3ヶ月に渡って連載したAIを巡るノンフィクション「動物と機械からはなれて」のためのもの。この連載に大幅に加筆修正したものが、12月24日に『 動物と機械から離れて 』(新潮社)と改題されて発売となった。この連載ならびに本のために、わたしたちは深、シリコンヴァレー、モスクワ、ニューヨーク、ソウル、京都そして東京で合計51名ものAIに関わる科学者、起業家、脳科学者、法学者、哲学者、数学者、類人猿学者を取材した。AIに関する本は雨後の筍の如く出版されているが、AIに関してこれだけの人数を取材した本は、世界的にも類を見ないのではと思う。
世界各地で第一線のAI関係者の話を伺ったのだが、中でも深の人々のAIへの圧倒的な楽観主義が印象深かった。彼らはAIがユートピアな世界を作り出すことを信じている。その楽観を支えるのが、今の中国、なかでも深の人類史上例を見ない発展ぶりだ。中国初の経済特別区に指定され、市が「大衆創業、万衆創新(大衆による起業、万人によるイノヴェイション)」というスローガンを掲げ、廉価な商品を中心とした下請け的労働集約産業からハイテク産業への大胆な転換を図る。
それを機にアジア最大の時価総額を誇る巨大インターネット企業のテンセント(Tencent、騰訊控股)、ドローンの世界シェア7割を占めるDJI(大疆創新科技)、米中の経済対立の象徴となっている大型家電メーカーのファーウェイ(Huawei、華為技術)、最先端バイオ企業のBGI(華大基因)などの本社が集結する、世界最大のテック都市が誕生した。今や「深ドリーム」という言葉があるほど、中国全土から若い才能が集結する街になった深の科学者たちは、世界のどの街の科学者よりも、未来への肯定感に溢れていた。
中国最大の検索エンジン・サーヴィスを提供するバイドゥ(Baidu、百度)の副社長であり工学博士でもあるハイフェン・ウァン(王海峰)は、なんと80万人ものエンジニアを抱えるバイドゥの技術部門のトップ。彼は私たちの取材でこう答える。
「AIはわたしたちの生活をより美しく、スマートにするでしょう。個人的には、子供の頃に夢見た『鉄腕アトム』のような、人間に役立つ機械を作るために努力し続けたわけですので、AIが人々の生活の向上に役立てることに、とても幸せを感じています」
しかし、中国ではアメリカのプラットフォーマーのサービス――グーグル、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなど――は中国当局による外部ネットの遮断=通称「デジタル万里の長城」のせいで一切使えない。また海外からのニュースや情報も、当局によるAIを活用した検索と遮断で、反政府的なニュースは一切入ってこない仕組みになっている。中国国内のメールのやり取りも、中国本土に設置されたサーバーを通した使用しか許可されてなく、そのサーバーは当局の監視下にある。AIの活用による豊かさの実現と、AIによる徹底的な管理社会の実現が同時に起きているのが今の中国だ。
AIの発展が中国の人々を豊かにしたかもしれないが、一方でAIの過剰な使われ方が中国の人々を人間らしく扱うのではなく、動物的または機械的な存在に貶めているのではないか。そしてそれは単に中国だけの特殊事情ではなく、日本を含む先進国全体で起きようとしていることなのではないか。そのような疑問への答えを探すべく、世界を旅した記録が本書になる。AIの時代における自由とは何か? 安易なAIユートピア論でもなく、煽るようなAIディストピア論でもない、第三の道はあるのか? 日本に生きる者として、日本人ならではの、経済的に中流で、地政学的に中立で、精神的に中庸を良しとする立場で、どちらかの極論におもねることなく、AIによって激変する社会と、これからの自由のあり方を全力で探してみた。この本に何らかの希望を感じてもらえればと思う。
(菅付 雅信)