「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」

レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンの原点はここにあった。「日産・ルノー提携」の特ダネを1999年にスクープして以来、ゴーンを見つめてきたジャーナリストが、その栄光と墜落の軌跡、そして日産社内の権力闘争の実態をあますところなく描いた経済ノンフィクション『 日産vs.ゴーン支配と暗闘の20年 』(文春新書)。

一方で、有能であっても自分に意見する部下に対しては、高圧的な態度で接し、会社から追い出した。

そして、カネへの執着、傍若無人な振る舞いは、当時から相当なものがあったという。
「当時、妻のリタさんが東京・代官山でやっていたレバノン料理店では、日産自動車名義のクレジッドカード(コーポレートカード)で仕入れ代金を払っていた。秘書部長が気がつき、ゴーンに『こんなことは困ります』と諫めると、その秘書部長はすぐに小さな関連企業に左遷されてしまった」(同前)
私的な家族旅行に、会社所有のプライベートジェットを使うこともしばしばあったと報じられているが、家族旅行についてはこんな証言もある。
「ゴーンから『家族旅行の見積もりを作ってくれ』と言われ、担当者は社長が行くんだからと、気合を入れてプランを作った。すると『こんな高い金額が払えるか!』と激怒したという。あれだけ報酬を貰っているから少しくらい贅沢でもいいだろうと思ったらしいのですが……」
側近のひとりによれば、外国に保管していたワインを日本に輸入する際、数千円ほどの関税を払うのを渋ったこともあったという。
なぜゴーンは巨額の報酬を受け取りながら、ここまでカネに執着するのだろうか。
日産のある幹部はこう分析する。
「ゴーンは移民の子として異文化の中を生き抜いてきた。そんな中で自分の存在を他人に認めさせるのは、結局は経済力が大事なのだと考えたのではないか。ゴーンの言うアイデンティティは、結局のところカネだったのでしょう」

「名誉はカネで買うものだよ」。ゴーンがそう言っているのを聞いた元幹部もいる。

西川は出世競争で志賀に対して劣勢となった。志賀より3年遅れで03年に常務執行役員に就任した。05年には副社長に昇進したものの、同時に志賀がCOOに就いたため、西川はその配下になった。