相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年、利用者ら45人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた元同園職員の植松聖(さとし)被告(29)に対する横浜地裁(青沼潔裁判長)の裁判員裁判は15日、証拠調べがあった。青沼裁判長は被害者特定事項秘匿制度により公判で名前を伏せて「甲A」と呼んでいた犠牲者の女性(当時19歳)について、「これからは美帆さんと呼ぶことになります」と述べた。
美帆さんの母親は同日、「甲とか乙とかいうものではない、名前を出すことで美帆という存在を知ってほしかった。名前を出せてよかったです」とのコメントを出した。
母親の代理人弁護士によると、法廷での呼び方について地裁から「フルネームか匿名かのどちらか」と伝えられていたという。娘が甲Aと呼ばれることに納得がいかなかった母親が8日の初公判を前に「娘が生きていた証しを残したい」として姓は伏せて名前を公表していた。
これまでの公判では甲Aと呼ばれたものの、地裁は母親側が14日に提出した上申書を踏まえ、美帆さんと呼ぶことを決めた。亡くなった19人は全員匿名だったため、名前で審理されるのは初めて。
証拠調べでは美帆さんの母親の供述調書が読み上げられた。事件当日の16年7月26日朝、園から電話を受けて駆けつけると名簿があり、他の家族が「○印なら大丈夫」と話すのが聞こえた。美帆さんの名を探すと×印が付いていた。
調書によると、母親は「この後の記憶がほとんどありません」と述べ、遺体と対面した時を「いつも笑顔で温かい娘でしたが、この時はとても冷たく呼びかけにも反応しなかった」と振り返った。
美帆さんは3歳で重度の知的障害を伴う自閉症と診断された。話すのが難しくても、相手が話すことを理解して笑ったり喜んだりしていた娘から母親は生きる希望をもらっていたという。母親は調書の中で「今思えば、もっと一緒にいればよかった。どれだけ痛い思いをし、怖い思いをしたか。(被告を)許すことはできず、厳しく処罰してほしい」と話している。
26歳の娘を奪われた母親の調書も読み上げられた。「(娘は)個性を持って一生懸命に生きていた。私にとってかけがえのない存在。(被告には)一番重い刑罰を受けてほしい」と訴えたという。
被告と幼なじみで、園の同僚職員だった男性の調書も示された。被告が園で働く前は障害者への否定的な発言を聞いたことはなかったという。調書によると、16年4月ごろ被告から会いたいと連絡があった。その前から障害者への差別的な考えを聞かされ不愉快だったものの、措置入院をへて元に戻っていることを期待した。しかし、被告は障害者はいらないとの異常な考えを延々と訴えたという。
不安を感じた職員が上司らに相談し、鍵を付け替えるなどして侵入を防ぐように求めていた。職員は調書で「防げなかったことが本当に残念でたまりません」と話している。【中村紬葵、木下翔太郎】