2019年9月5日11時43分、京急電鉄の神奈川新町駅付近の踏切で12トントラックが立ち往生した。そこに下り快特電車が衝突し脱線。トラック運転手が死亡、乗員乗客35名が重軽傷となった。電車側に死者が出なかったことは幸いだったが、原因を知る67歳のトラック運転手が亡くなったことは、原因解明の点で残念である。
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事故の原因などについては捜査・調査が進んでいる。鉄道・航空・船舶の重大事故については、国土交通省の運輸安全委員会が調査している。一方、原因を推測する報道、ネットの言論も多い。しかし、先に言っておくと、いまのところどこにも正解はない。すべては推測に過ぎない。運輸安全委員会の調査に時間がかかるからだ。
これまでの事故事例をさかのぼると、運輸安全委員会の報告は事件発生から半年以上かかる。今回の事故に近い事例として、「東海道線 西岡崎駅~安城駅間(複線)小薮踏切道(第1種踏切道:遮断機及び警報機あり)」の報告書がある。踏切警報機、遮断機、踏切障害検知装置のある踏切で自動車と電車が衝突、電車が脱線、自動車運転手が死亡した事故だ。発生は2017年3月2日、調査結果公表は2018年2月22日。約1年かかっていた。
2017年7月9日に発生した「三河線 猿投駅構内(単線)[愛知県豊田市]平戸橋1号踏切道(第1種踏切道:遮断機及び警報機あり)」の報告書は2017年11月30日に公表された。発生から半年以内という「異例の早さ」で調査結果が発表できたのは、自動車運転手が存命し、カーナビを操作していた際のよそ見運転だったという証言が得られたからだ。
事故から調査報告までの期間については、丁寧な調査で時間がかかるとか、人員が足りないとか、再現実験を伴う場合は協力者の都合も必要だなどの理由がありそうだ。なぜこんなに時間がかかるかという議論もあるだろう。けれども、現状では調査期間は長い。この度の京急電鉄の神奈川新町駅踏切事故についても、調査報告に1年ほどかかると思われる。
現段階で原因を論じても憶測である。しかし、憶測から導かれた知見も事故防止に役立てるかもしれない。筆者は、「600m条項」の解釈を検証すべき、と提案する。これは京急電鉄だけではなく、すべての鉄道事業者に検証していただきたい。
600m条項とは、鉄道の安全基準のひとつだ。明治33年に制定された「鉄道運転規則」に基づき、1987年に運輸省令として定められた「鉄道運転規則」の第54条に「非常制動による列車の制動距離は600m以下としなければならない」と記載されていた。
「鉄道運転規則」は2002年に廃止されているけれども、同年に発令された「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」の第106条に「列車の停止を必要とする障害が発生した場合は、列車の非常制動距離を考慮し、停止信号の現示その他の進行してくる列車を速やかに停止させるための措置を講じなければならない」とある。
このうちの「列車の非常制動距離を考慮し」については、別途、国土交通省鉄道局長通知 による「解釈基準」にて「新幹線以外の鉄道における非常制動による列車の制動距離は、600m以下を標準とすること。ただし、防護無線等迅速な列車防護の方法による場合は、その方法に応じた非常制動距離とすることができる」と明記された。
日本の在来線において、列車は非常ブレーキをかけたら600m以内で停止しなければいけない。どんなに加速性能の優れた電車を作れたとしても、600mで停まらない電車は認められない。つまり電車の最高速度は、モーターの出力ではなく、ブレーキ性能によって決定される。時速100kmで走ろうと、時速120kmで走ろうと「600mで停まる」が厳守すべき条件だ。それができない電車は最高速度を制限される。
衝突した京急電鉄の電車は2002年から導入された1000形だ。この車両は設計上の最高速度は時速130kmである。しかし、運用上は時速120kmを上限としている。これが600m条項の配慮である。それ以上の性能を持つ理由は、解釈基準の但し書き「迅速な列車防護の方法による場合は、その方法に応じた非常制動距離とすることができる」があるからだ。
たとえば、京成電鉄のスカイライナーは成田スカイアクセス区間を時速160kmで走る。かつて越後湯沢と富山・金沢を結んだ在来線特急「はくたか」も、ほくほく線内で時速160km運転だった。これは全線立体交差で踏切なしなどの条件を考慮した特認だ。
時速160kmで走行する京成電鉄「スカイライナー」/Photo by iStock
京急電鉄は600m基準に準拠して、時速120km運転の快特を走らせていた。だから、運転士が踏切の600m手前で非常ブレーキをかければ、電車は踏切の手前で停車できた、という理屈になる。しかし実際には、電車は停まらず、トラックに衝突した。
いくかの報道をまとめると、京急電鉄は踏切に障害物検知装置を設置していた。踏切警報機が鳴り、遮断機が下りたとき、すでにトラックは進入していた。障害物検知装置は正常に作動していたと京急電鉄は発表している。また、たまたま現場に居合わせた京急電鉄社員も非常ボタンを押したと証言している。ここまでで京急側の落ち度はない。
ちなみに、この時点で周辺の電車すべてに無線などで警報が出されたはずだ。これも正常に動いていた。脱線した電車は上り線側に傾いていたけれど、事故発生時、上り電車は浦賀発品川行きの普通電車が神奈川新町駅に到着直後だった。また、横浜駅では快特泉岳寺行きが発車するところだった。
快特泉岳寺行きが警報を認知できなかったら、傾いた下り快特と衝突して大惨事になるところだ。普通神奈川新町行きの到着が少し遅れて同時に進入しても衝突する。ただし、その場合、トラック到着前に上り普通列車の接近によって踏切遮断機は下りていたはずだ。トラック運転手はそこを突破しようとは思わなかっただろう。
脱線した下り快特が転覆しなかった理由は、巷間で京急ファンが自慢するように「京急は脱線しても転覆しないように、先頭車をモーター付きにして重くしている」だ。先頭車を重くする理由は、線路側に設置した検知機器を正確に動作させるためでもある。2本のレールの両側に微弱な電流を流し、車輪と車軸によって短絡させることで、列車の位置を検知する。
しかし、京急以外の鉄道会社が「先頭車を重くしない」からといって、安全性に問題があるとはいえない。京急電鉄は高速運転する上にカーブも踏切も多い。だから伝統的に脱線リスクに対して慎重になっている。
なお、京急電鉄は踏切を渡った先にも、レールの内側にガイドレールを設置している。万が一脱線した場合、レールから外れた車輪を線路内に留める働きをする。これは残念ながら事故発生時に機能しなかった。トラックが電車と防音壁に挟まれ、トラックの残骸によって電車が傾き、線路から押し出されてしまったからだ。ただし、防音壁は防音以上の働きをした。これがなかったら、弾き飛ばされたトラックが付近の建物に飛び込んだかもしれない。線路際の歩行者にも危険が及んだはずだ。
電車の運転士は「踏切異常専用信号機」の赤い点滅を発見し、「すぐに非常ブレーキをかけたが間に合わなかった」と証言している。運転士の操作の真偽が問われるけれども、ここでは正しい処置をしたと信じよう。
踏切異常専用信号機は、踏切の10m手前、130m前、340m手前に設置されており、京急電鉄によると、340m手前の信号機は踏切の600m手前から確認できるという。600m手前といえば、子安駅を通過した直後である。ここから神奈川新町駅まではゆるい左カーブで、直接踏切を目視できない。そのために340m手前の信号機を設置したのだろう。
そうなると、脱線はともかく、衝突を回避する装置はすべて正常に動作し、関係職員も正しい処置をした。それでも衝突事故は起きたことになる。これが重大だ。
自動車運転免許をお持ちの読者なら、教習や筆記試験対策として「制動距離」+「空走距離」=「停止距離」という式を学んだはずだ。制動距離は「ブレーキをかけてから停まる距離」、「空走距離」は異常に気づいてからブレーキを作動させるまでに走る距離。この合計の長さが停止距離である。自動車事故の判例では、空走時間は0.75秒とする例が多く、0.8~1秒とする判例もあるようだ。
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600m条項は「運転士の肉眼で確認できる距離の限界」という理由で600mという数値が決まったという。この主旨の通り、「600m先の異常を目視して停止できる」とすれば良かった。しかし、趣旨に沿わず「鉄道運転規則」は、「非常制動による列車の制動距離は600m以下」と、停止距離を制動距離にすり替えてしまった。空走距離は考慮されていない。
時速120kmの電車は、1分間に2km進む。1秒間で33.3m進む。自動車は足踏みブレーキ、電車は手で操作するレバーだから、空走時間を同一にはできないけれども、仮にクルマと同じ0.75秒とすれば約25mの空走距離がある。つまり、制動距離600mの電車が停止するためには、625m必要だ。
鉄道側の安全システムが600m条項を遵守し「制動距離600m」で設計した場合、もとから衝突は避けられなかった。それが今回の事故につながったのではないだろうか。
正解は運輸安全委員会が示すと思う。しかし「空走距離」を考慮しないで「制動距離600m」を運用した場合、衝突は避けられないことは計算でも解る。対策としては3点。「電車側のブレーキ性能をさらに高める」「踏切異常警報信号を最低でも踏切の625m手前から認識できる位置に移動する」「踏切異常信号の作動と同時に自動的に非常ブレーキをかけるよう改造する」だ。
もっとも、「踏切そのものをなくす」がもっとも良いに決まっているけれども。