京アニ放火事件実名公表に遺族から「公表は当然、でも取材の可否は別」の声

四十九日を迎えた、京アニ事件35名の犠牲者。戦後最悪の放火殺人の衝撃は、その報道のあり方にまで前代未聞の展開を引き起こしている。重大事件では大前提のはずの犠牲者「実名報道」の原則が、「世論の壁」によって曲がり角を迎えようとしているのだ。
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毎年9月11日。同時多発テロで2977名の命が奪われたNYのグラウンド・ゼロでは追悼集会が開かれる。そこでは遺族代表によってすべての犠牲者の名前が読み上げられるのが通例。すべてを読み上げるのに3時間以上はかかるが、参列者のある者は目を瞑り、ある者は前を見つめてその「名前」に耳を傾けている。
あるいは、1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故の現場、群馬県の御巣鷹の尾根。急斜面に夥しい墓標が並び、犠牲者520名の名前がすべて記されている。墓標が立つのは遺体が見つかった、まさにその場所。訪れた者はその光景に圧倒され、さまざまな“思い”を胸に刻む。
いずれの例も、犠牲者の名が「A」「B」「C」、あるいは「2977」「520」という“記号”で表されていたら、訪れた人は何を思ったであろうか。自らと同じく泣き、笑い、日々を懸命に生きていた人間が一瞬にして命を奪われた……この悲劇と不条理がどれくらい伝わったことだろうか。
8月27日、京都府警は、京アニ事件の犠牲者25名の氏名を発表した。8月2日には先行して10名の名前を公表していたから、これで犠牲者35名全員の名が公表されたことになる。
「この間の経緯は、混乱を極めました」
と言うのは、さる全国紙の社会部デスク。
通常、事件や災害の際、警察は犠牲者の身元が判明次第、すぐに公表する。それが事件40日後までずれ込むというのは、異例中の異例のことであった。
「実は京都府警は通常通りの広報対応をするつもりだったんです。京アニは“遺族の意向がある。プライバシーが侵害される恐れがある。公表はしないでくれ”という申し入れをしていましたが、府警は原則通り、犠牲者すべての身元が判明した7月末には氏名を公表するつもりで遺族にも連絡をしていました」(同)
が、そこに“待った”をかけたのは東京の警察庁。
「“もっと慎重に考えろ!”と。実はその少し前に、超党派で作られる『マンガ議連』の古屋圭司会長が菅官房長官に“慎重な取り扱いを”と要請。これを受けて官邸→警察庁→府警と指示が飛んだのです。古屋さんは国家公安委員長の経験者でもありますし、官邸は世論を気にしていましたからね。で、やむなく府警は発表を急遽、延期した。幹部は一様に“普通に公表すべきだ”“おかしい”と憤っていましたが……」(同)
その結果、遅れること数日、8月2日に公表は行われたものの、その数は10名に留まった。慎重な取り扱いの末に、「葬儀が終わり」「遺族が公表を了解した」犠牲者に限ったゆえである。
「残る犠牲者は25人。府警はこちらも速やかに全員発表する方針でした。でも、遺族の拒否感情は強いままですし、世論も沸騰してきた。ネット上で“公表反対”の署名運動も始まり、8月末には1万5千人超の署名が提出される運びとなりました。これが世に出たら世論はますます硬化する。で、犠牲者の最後の葬儀が終わったのを機に、署名提出予定前日の8月27日、公表に踏み切ったのです」(同)
25名中、公表に遺族が同意していたのは5名のみ。20名の拒否を押し切って発表に至ったワケなのだ。
結果、公表直後の新聞やテレビでは犠牲者の写真やプロフィールが一挙に報じられることに。あまりに大々的な扱いに、まだ事件の傷も癒えない遺族の心情は揺れ動いたのではあるまいか。実名公表反対派も「これがメディアスクラムだ!」と非難した。
「要は場外乱闘が起きているワケです。また、公表された中には遺族が許諾をしたケースとしていないケースが混在することに。思わぬ『分断』も生んでしまった。これらの動きを見ると、府警は従来通り、淡々と発表すべきでした」(同)
との指摘もむべなるかな、である。
「全員公表」の後、犠牲者の父・石田基志さんが唯一、記者会見に臨み、
「石田敦志というアニメーターがいたことをどうか忘れないでほしい」
と、涙ながらに述べたのは大きく報じられたが、
「つい先日、幸恵のマンションを引き払って荷物を引き取ってきましたが、悲しみに変わりはありません」
と述べるのは、事件で娘の幸恵さん(享年41)を亡くした、津田伸一さん。津田さんは、全員の実名の公表は当然だ、と言う。
「もちろん私にも、そっとしておいてほしいという気持ちはあります。でも幸恵を悼むのは私たち家族だけではありません。幸恵の友人も、そして面識はないけれど、アニメファンの方々もそうではないでしょうか。献花台には毎日そうしたたくさんのファンの方々が訪れてくださった。見知らぬ方々まで幸恵を悼んでくださった。しかし、実名が公表されなければ何を拝むことになるのでしょう。匿名の誰かに花を手向けることなんて出来ないですよね」
その一方で、「実名の公表」と「遺族への取材」の可否は別物だと考えてほしい、とも言う。
「私自身、夜、ヘトヘトで帰ってきたら、あるテレビ局の取材陣が家の前にいた。“今日は疲れたから撮影はやめてほしい”と断ると、“NHKが顔出しでインタビューを取れているのに我々が出さないわけにはいかない”と。また、良い絵を撮りたい、とばかりに勝手に遺影や遺骨を動かされたこともありました。そういう思いを味わったからこそ、取材を受けたくないという遺族に対しては静かにしておいてほしいと思います」
そして、その上で、
「遺族といってもいろいろな考え方がある。それをひとまとめにして、簡単に“実名公表の意味なんかない”と言わないでほしいですね」
と続けるのである。
(2)へつづく
「週刊新潮」2019年9月12日号 掲載