【隼二郎】川原社長が激白…大復活「なんでんかんでん」が突然閉店した全真相! 伝説のラーメン店の知られざる現実

「一昨年に高円寺店がオープンした当時には雑誌やらネットやら100以上のメディアが『伝説の店が復活!』なんて取り上げてくれましてね。おかげさまで閉店まで行列が途絶えず、最盛期で1日700杯は売れたんじゃないですか。
でも、人生と同様、何が起きるかわからないのがラーメンの世界。いろいろなことが重なって、昨年11月末をもって閉店して渋谷に移転することにしたんです」
閉店後のなんてんかんてん高円寺店
こう話すのは、人気ラーメン店「なんでんかんでん」の創業者で、現在は同店のフランチャイズ展開を手がける「株式会社なんでんかんでんホールディングス」の川原ひろし社長である。

「なんでんかんでん」は1986年、東京都世田谷区の環七沿いに本店を構え、それまで東京では珍しかった豚骨ラーメンを提供し、一大ブームを巻き起こした伝説のラーメン店だ。
2012年に25年の歴史に幕を閉じてから6年後の2018年、高円寺駅前に再オープンした際には、懐かしの味を求めて店の前には長蛇の列ができていたものだ。
しかし、川原社長が振り返ったように、その高円寺店は昨年11月に閉店。今年1月20日からは小規模ながら、渋谷センター街にある「渋谷肉横丁」に新たな店舗を構えている。この再スタートを機に、改めて川原社長に復活から閉店の真相、さらにはラーメン店経営のノウハウについて話を聞いた。
まずは高円寺店を閉めたいきさつについては、高円寺の駅改札から徒歩1分という好立地が、逆にデメリットにもなったと川原社長は振り返る。
「たしかに、家賃は非常に高かったと言えるでしょう。はっきりとした数字は言えませんが、大卒サラリーマンの給料4か月くらいと考えて下さい。昔は、1週間で家賃分を稼げば利益が出るというのが通説でしたが今は違う。2日もしくは3日の売り上げで家賃を確保しないと成り立たないと言われています。
というのも人件費がかなり高くなっているでしょう? たとえ時給1000円でアルバイトの募集をかけてもぜんぜん集まりませんよ。運よく採用できても、『キツいので辞めます』と言って突然来なくなったアルバイトもいました。
人手が足りないと、それだけ他のスタッフへの負担が増して、雇っても雇っても辞めていく。とくに忙しいピークの時ほどそんな悪循環に陥っていました」

なお、環七沿いに12坪の「本店」を構えていた際は、18時のオープンから深夜の閉店まで、常時およそ12人のアルバイトを雇っていたが、離職率は格段に低かったという。
「環七の時は厨房だけじゃなくて行列の整理にも人手をかけていましたから。しかし人材に困ったことは一度もなかった。実は、開店から27年間、ずっとアルバイトの給料をすべて日払いにしていたんです。
〔photo〕iStock
そんなことしたら、突然来なくなる人がいるかと思われるでしょう。そこで私が考えたシステムは、最初の1万円から3万円分は、きちんと会社に言って辞めるまで店で預かっておくシステム。預かり証を発行して、バイトが辞める際にまとめて支払っていました」
預かり金を超えた分からは毎日、日払いにした。そうすると店側は管理が面倒ではあるが、お金に余裕がない人は助かり、喜ばれる。そして人質ならぬ金質がいるせいか、変な辞め方をするアルバイトは一人もいなかったそうだ。
「『コイツは、信頼できるから大丈夫だ』とお墨付きを与えたバイトには預かったお金を渡していましたよ(笑)。このやり方が経理的に難しい会社もあるかもしれませんが、日払いっていうのは、人手不足解消の有効な手段だと今でも信じていますよ。
ちなみに、2018年は、人手不足と人件費高騰での倒産が過去最多で、そのトップが、飲食業だそうです。大変厳しい時代に突入していることはたしかですね」
そもそも川原社長は人気ラーメン店で修業した経験はない。
高校時代、生まれ育った福岡博多でラーメン店を食べ歩いては、作り方を聞く程度だったという。また、最初に環七沿いに店舗を構えた際も、当時、芸能活動をしていた川原社長にとっては「副業」という位置づけだった。
川原社長
それでも最盛期の90年代には、夜間だけの営業で1日平均100万円近い売り上げがあったのだから、まさにラーメンバブルというしかない。
「私のようにきちんと修業したこともない人間が、屋台のオジサンにスープ作りを教わった程度で、ここまで続けてこられたのは、運もあったけど、人が好きで、お客さんを喜ばせることを最優先していたからだと思います。

だけど最初のうちは、よくスープを焦がしてしまいました。豚骨のまわりについた肉が鍋底に沈んでこびりつくと、真っ黒な焦げが浮かんできて、『あちゃ~』って(笑)。
お客さんに出すわけにはいかないから、『すいません、今日はスープがすべて売り切れてしまいました』ということにして、店を閉めていました。せっかくお客さんが来てくれたのにガッカリさせてしまってね。その時は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
現在、「なんでんかんでん」のフランチャイズ店は渋谷の一店舗だが、川原社長は今後の海外へのフランチャイズ展開もにらんで、昨年には東南アジアとヨーロッパ各国を視察に訪れた。
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「コストや競合店などいろんな面を考えたら、日本でラーメン屋を経営するのは大変なことですよ。採算を考えて1杯に1000円の値をつけたら、『高い!』となる。でも例えばロンドンとかドイツに行くと、1200円くらい取っても誰も文句を言いません。それどころかドリンクもサイドメニューも頼んで、なんだかんだで2000円は払う。
そういう文化が根付いているから、商売としては海外のほうが成功する可能性が高いと思いますよ」

今年で「なんでんかんでん」の看板を掲げて34年。過去の栄冠とはいえ、もしもこの店がなければ、東京にとんこつラーメンは普及しなかっただろう。そして、日本のラーメンをここまで活性化させたのもなんでんかんでんの功績といっても過言ではないかもしれない。
ここまでそしてここまで長く続けてこられた秘訣について、川原社長は「接客」の重要性を説く。
「いくら美味しいラーメンを安く、ボリュームたっぷりに提供しても限界があります。その壁を打ち破るのが接客ですよ。
並んでくれているお客さんに積極的に話しかけて喜んでいただく。『マネーの虎』をはじめ2000本以上の番組に出たのも、その一環。メディアで顔を売れば、お店でもエンターテイナーとして『SHOW売』につながるでしょう。

ある統計によると、会社が立ちあがって3年で半分がつぶれる。10年後にはおよそ4分の1。30年続く会社というのは、1万社のうち、4社か5社だそうです。
接客に自信が持てない人はまず、自分がいかに幸せな人間だということに気づくこと。平和な時代の日本に生まれたこともそのひとつ。そういう感謝の気持ちを忘れずに接客に取り組んでいれば、きっと明るい接客が出来る人間になりますよ」
そんな川原社長は、フランチャイズ店舗でありながら、時間の許す限り渋谷の新店舗に顔を出しては、足を運んでくれた客に笑顔をふりまいている。また、味に関しても、こだわりがあるようだ。
「元祖と同じ味を追求するのではなく、常に進化させていきたい。渋谷肉横丁の来店客層は20代半ばと聞いています。そこでこだわるのはスープの濃度。環七の全盛期の2割か3割増しの超濃厚なスープを提供する予定です」
若者の街・渋谷で「なんでんかんでん」の新たな歴史が刻まれることになる。