外国人児童の「日本語教育」はどうなっているの? 横浜市在住のフィリピン人親子に聞く

全国の学校で、日本語の特別な教育が必要な「外国につながる児童」が増えている。文部科学省の公開した「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(2018年度)」によると、全国の公立学校(小、中、高等学校、特別支援学校など)に在籍する外国人児童ら、日本語指導が必要な児童生徒数は5万759人。その数は10年間で1.5倍と急増している。 「日本語指導が必要な児童生徒」は外国籍だけに限らない。近年は日本国籍者であっても、国際結婚の家庭の子供や、海外から帰国した子供などに対し、日本語指導をおこなうケースもあるという。 自治体や学校現場において、外国人児童の支援体制を整えるため、文科省は日本語指導を要する児童に対応した教員数の配置や、指導者の育成研修、日本語の初期指導から教科指導につながる段階のカリキュラム開発といった対策を推進している。 しかし、外国人児童の就学・教育の対応については、それぞれの行政に委ねられており、自治体によってバラつきがある。全国的にも外国人児童生徒数の多い横浜市のケースを紹介したい。(ライター・伊藤結) ●フィリピンから来日した親子 横浜市は、外国人の人口が10万人を超える。市立の小中学校に、外国籍など外国につながる児童生徒が1万103人(2019年5月)在籍しており、その数はここ10年以上増加。そのうち日本語指導が必要な児童生徒は2705人在籍する。 横浜市の学校では国籍に関わらず、「日本語指導が必要なすべての児童生徒」に対応すべく、さまざまな支援策をおこなっているという。 たとえば、日本語指導を必要とする児童が、1校あたり5人以上いる場合、教員が加配されて、校内に「国際教室」が設置される。そのほか、母語による初期適応学習支援、保護者に対して入学時の説明会や、個人面談などの場に通訳ボランティアの派遣をおこなう。 具体的にどのようなサポートを受けているのか。 市立小学校に通うソフィア・マニュエルさん(小学5年生)は2019年4月、フィリピンから来日した。大手建設会社でエンジニアとして働くソフィアさんの母、アナ・マニュエルさんは、その1年前の2018年から来日している。 シングルマザーのアナさんは、2010年~2013年の間も母国にソフィアさんを残し、日本で働いていたが、いったん帰国したという経緯がある。念願叶い、昨年からようやく母子2人で日本での暮らしをスタートさせることができた。今後も、日本での生活を続けたいという。
全国の学校で、日本語の特別な教育が必要な「外国につながる児童」が増えている。文部科学省の公開した「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(2018年度)」によると、全国の公立学校(小、中、高等学校、特別支援学校など)に在籍する外国人児童ら、日本語指導が必要な児童生徒数は5万759人。その数は10年間で1.5倍と急増している。
「日本語指導が必要な児童生徒」は外国籍だけに限らない。近年は日本国籍者であっても、国際結婚の家庭の子供や、海外から帰国した子供などに対し、日本語指導をおこなうケースもあるという。
自治体や学校現場において、外国人児童の支援体制を整えるため、文科省は日本語指導を要する児童に対応した教員数の配置や、指導者の育成研修、日本語の初期指導から教科指導につながる段階のカリキュラム開発といった対策を推進している。
しかし、外国人児童の就学・教育の対応については、それぞれの行政に委ねられており、自治体によってバラつきがある。全国的にも外国人児童生徒数の多い横浜市のケースを紹介したい。(ライター・伊藤結)
横浜市は、外国人の人口が10万人を超える。市立の小中学校に、外国籍など外国につながる児童生徒が1万103人(2019年5月)在籍しており、その数はここ10年以上増加。そのうち日本語指導が必要な児童生徒は2705人在籍する。
横浜市の学校では国籍に関わらず、「日本語指導が必要なすべての児童生徒」に対応すべく、さまざまな支援策をおこなっているという。
たとえば、日本語指導を必要とする児童が、1校あたり5人以上いる場合、教員が加配されて、校内に「国際教室」が設置される。そのほか、母語による初期適応学習支援、保護者に対して入学時の説明会や、個人面談などの場に通訳ボランティアの派遣をおこなう。
具体的にどのようなサポートを受けているのか。
市立小学校に通うソフィア・マニュエルさん(小学5年生)は2019年4月、フィリピンから来日した。大手建設会社でエンジニアとして働くソフィアさんの母、アナ・マニュエルさんは、その1年前の2018年から来日している。
シングルマザーのアナさんは、2010年~2013年の間も母国にソフィアさんを残し、日本で働いていたが、いったん帰国したという経緯がある。念願叶い、昨年からようやく母子2人で日本での暮らしをスタートさせることができた。今後も、日本での生活を続けたいという。