この数年、早期退職優遇制度を導入する企業が増加する一方です。
「人手不足と言っていながら、そのウラで社員を追い出そうとする会社は信用できない」「ミドルからシニアばかり標的にするのはおかしい」
早期退職に応じた方の中には、一時的な感情の爆発を抑えられず、制度を利用して会社を飛び出すものの、その後の人生は必ずしも、彼らの望む結果となるとは限りません。
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私自身、現在は行政書士を生業としていますが、かつては音響メーカーのサラリーマンで、52歳の時に早期退職プログラムを活用した一人です。そうした経験を評価いただいているのか、多くの方が早期退職に関する相談に訪れるのですが、積極的に早期退職を勧めるケースはほとんどありません。明らかな準備不足や計画のなさから独立、転職を思いとどまってもらうことが、むしろ自分の役割だとすら思っています。
そこで、今回はわたしがこれまで経験した中で、早期退職優遇制度の活用を見送った人のお話をしたいと思います。
相談者Aさんは、サラリーマン生活(営業職)17年の40歳です。漠然と、彼が転職を考え始めたのは今から5年前。35歳の時でした。
毎月毎月同じように売り上げノルマをこなす日々の中で、休日にふらりと出向いた長野県の山間の喫茶店で店のオーナーの暮らしに感銘を受けたのがきっかけでした。
口うるさい上司や、相性の悪い同僚、居丈高な取引先担当者といったサラリーマンが避けて通れない人間関係からの解放、ノルマノルマの毎日からの解放、趣味の山歩きも好きな時に楽しめる、こだわりのコーヒーを淹れて気の置けないお客さまとの楽しい会話の日々を垣間見るに付けて、「これこそが、本来の人間の暮らし」と固く信じた彼は、脱サラを真剣に考えるようになりました。
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憧れのカフェのオーナーは当時60歳、オーナーも東京の大企業を脱サラしての独立・開業でした。開業して既に20年を迎えようという時期だったと言います。
覚悟を決めたAさんは、思いをオーナーにぶつけて今の生活について問いかけました。「夢を叶えた今の生活に満足していますか?」
オーナーの答えは、Aさんを戸惑わせる内容でした。
「叶った夢もありましたが、現実に敵わなかったことも多くありました。特に仕事上の人間関係はどんな仕事でもなくなりはしません」
まず喫茶店の仕事では、お客さまとの距離は以前とは比較できないほど近く、その分、より面倒な対応を強いられることが増えたそうです。
それどころか無責任に「こういったメニューを追加してくれ」「コーヒーチケットの割引が少ない」「裏メニューを自分だけに出してほしい」「夜も遅くまで営業して」「無休に出来ないの?」などなど、「お客様は神様だから」とばかり無茶ぶりの連続。開業から1年後、それなりの知名度を得て、集客が安定したと同時には、こういった要望への対応のせいで胃潰瘍になったというのです。
この他にもいい商品を扱っているからと関係を保ちたかった卸元とも、担当者と相性が合わず、最後まで信頼関係を築けなかったこともありました。
Aさんは喰い下がります。「でも日々のノルマに束縛されることはないわけだし…」
それに対して、またも予想外の答えが返ってきました。
「確かに今の生活は日々のノルマや月のノルマはあってなきがごとしです。未達成でも誰からも叱責されません。けれどもサラリーマン時代は未達でも前月と同じ額の給与は支給されていましたし、賞与も年2回、安定的に支給されてきました。有給休暇も当然ありました。しかし今は、1日休めば、その分の収入はありません。次の日に2倍の収入がある保証なんてどこにもないのです」
事実、この20年の間には天候不順や交通事情によって客足が途絶えて、1週間閑古鳥が続くことが何度もあったといいます。もちろんその間収入はなし。しかし、そうした期間でも仕入れや店の維持費はかかるため、むしろマイナスが続くのです。
おまけに店の立地が比較的いい場所だったこともあり、開店2年目以降には店から徒歩圏内に3軒のライバル店が出店してきたそうです。そのうち1軒は大手のチェーン店。当然ながら、価格競争、サービス合戦の開始です。
それまで常連だったお客の中には新規参入の方に流れた人もいたそうです。もちろん、それを責めることなどできません。コーヒーの味には自信があったオーナーでしたが、競合店の商売の方が自店より優れているのではという疑心暗鬼に囚われて、今度は不眠症まで発症したといいます。
苦労はそれだけではありません。個人商店ですから、より多くの方に認知してもらうためには積極的な告知や宣伝は最低限必須ということも自覚していました。その結果、営業マン時代と同じように、上から目線のタウン誌やミニコミ誌の編集部に日参し、時には上京してメジャーな代理店に直訴、夜の接待などで予想外の経費を計上することもあったそうです。
「向こうからすれば、一地方の個人商店ごとき、『いやならお引き取りいただいて結構』という程度の存在です、ひたすら隠忍自重の時を過ごしましたよ」
「結局それまでのサラリーマン時代の仕事とも違いなんて何もありません」これが、オーナーが開店5年目にたどり着いた結論でした。
自分が思い描いた理想の仕事、理想の暮らしは現実を見ていないものだった、本当に柵のない生活を望むなら、山奥や絶海の孤島で自給自足の生活をするしかない、人を相手にする仕事は、必ず慣習や、商習慣に従わなくてはいけない。
オーナーはそう悟ったということです。
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ではなぜ、それでもオーナーは今も喫茶店を続けているのでしょうか。
それは仕事の合間に仰ぎ見る日々変化する山々の景色に癒され、季節の移り変わりを肌で感じる事が出来る生活は、まさに憧れていた生活であり、決して少なくはない気の置けない来店客との何気ない会話や感謝の言葉に一気に疲れがかき消される喜びは変えがたいものだからです。
「全てが叶った独立・開業ではありませんでしたが、納得はしています。もし、開業を検討している時代に逆戻りしても、同じ結論になったと思いますよ」
好きなことを追求するための「苦労」だから納得できているということでしょうか?
この「先輩」の経験談を聞いて、相談者のAさんは、自分は現状から逃避したいがための喫茶店経営に憧れていただけだったという甘さに気付き、独立の夢を捨て、今も苦労しながら営業マンを続けています。
次に紹介する相談者は、電機メーカーの営業部長Bさん60歳です。
Bさんは理工系の高校出身で、新卒で工場の製造部門に配属され、以来20年近く現場での製造管理や製造計画に携わってきました。
元々人とつるむとか、人を相手の仕事よりも機械相手に黙々と仕事をすることを好むタイプで、職場には何の不満も持っていませんでした。
それが、40歳を前に市販メーカーにつきものの商戦期の販売応援に駆り出されたことで大きくその後の人生が変わっていきました。控えめな口調や丁寧な接客が功を奏し、歴代最高の売り上実績を叩き出したのです。その結果、販売応援を終了して数カ月後に、営業本部からの懇願で、全く望まなかった営業への異動となりました。
そんな時、リーマンショックの影響で会社の業績が急激に悪化。早期退職優遇制度を伴う大量のリストラ計画が発表になりました。営業職への異動に気が乗らなかったBさんは、思わず手を挙げようかと考えたものの、家庭的にもおカネのかかるタイミングだったため、「辞めてやる!」とは言えず、最終的には営業所勤務に就きました。
不満タラタラながら営業に異動したBさんでしたが、現実は意外な展開を見せました。その後わずか10年で生え抜きの同世代を飛び越して、営業所長に抜擢され、その後も大都市の営業所長を経て、これまた50代前半で本部管理職に昇進、最後は営業本部長の要職に就いたのです。
販売応援時に評価された穏やかな口調やきめ細かな対応は天性のものだったのでしょう、敵を作るようなアクもないこともあって、上司や同僚から推されての昇進でした。
彼が60歳で役職を離れ、定年退職を決めた後に、慰労会が開かれ、サラリーマン生活、なかでも営業マン時代の実績を称賛される中、参加した多くの仲間や部下の前で発した彼の言葉は周囲を驚かせました。
「今でも、営業職、人と交渉したり説得したりするような仕事は、大嫌いです。願いが叶うならば、工場勤務でこの日を迎えたかった。これは紛れもない本音です、すみません」
人が仕事に就く場合、仕事と本人の関係は「好きな仕事」「得意な仕事」「できる仕事」「やりたい仕事」などに区分できると思うのですが、生きていくためには、「稼げる=生活できる仕事」であることが大前提です。
Bさんの場合、「やりたくない仕事」ながら「できる仕事」で「得意な仕事」でもあったと言えるでしょう。好きでもなく、やりたくもない仕事であっても、結果としては「稼げる仕事」として、十分機能したのです。本人の心情は別にして。
こうして60歳で定年を迎えたBさん、退職後も顧問として営業部門を見て欲しいと会社から誘われたものの、それも断ります。
手作りの規模(の中小企業)でもいいから「製造の現場」を任せてもらえるような仕事を探したいと思ったのです。
しかし残念ながらいまだに彼の再就職は叶っていません。オファーが来るのは、現場の「管理監督」の職ばかり。彼の望む「現場の仕事」の枠で求められているのは、柔軟な発想ができる若手や、デジタル関連のスキルを有する人材がほとんどだったそうです。
今、彼は起業・独立での自前のメーカー設立を真剣に考えているようです。
第三者から見れば、羨ましい人生なのかもしれません。しかし本人の想いは叶わなかったのも事実です。
早期退職優遇制度が始まったあの時、思い切って会社を飛び出すべきだったのか。その答えは今も誰にもわかりません。