1999年から3期約12年にわたって県知事を務めた加戸守行氏(85)が21日、骨髄異形成症候群で死去し、関係者から業績や人柄をしのぶ声があがった。加戸氏の強い意向で通夜・葬儀は親族のみで執り行われたという。中村時広知事は24日の記者会見で、お別れの会などについて「ご遺族の意向を尊重して対応したい」とした。
加戸氏は、中国・大連で生まれ、八幡浜市で育った。東京大を卒業し、1957年旧文部省に入省。文化庁次長、体育局長などを務めた。官房長在任中の89年に起きたリクルート事件では同省の前事務次官逮捕を受け、「文部省の信頼を取り戻すけじめ」として辞職した。
その後、日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会理事長などを歴任。99年の知事選で「開かれた県政」を掲げ現職を破って初当選した。
2001年に県立宇和島水産高の実習船が米原子力潜水艦に衝突され、実習生らが犠牲になった「えひめ丸」事故では遺体・遺品引き上げなどで米海軍と交渉。扶桑社版を採用した同年の県教委の歴史教科書採択を巡っては、採択前に当時の県教育長に同社版を評価する発言をしていたことが明らかになり「教育への介入」と反発を招いた。
市町村合併や山鳥坂ダム建設を推し進めたほか、県武道館の移転建設や、初の県単独開催だった「えひめ国体」(17年)実現に尽力。みんなが支えあう社会づくりとして「愛と心のネットワーク」を提唱し施策を展開した。
10年、任期途中に退任。当時松山市長だった中村知事が事実上の後継候補として立候補した。退任後は、中村県政を支援したほか、憲法改正を訴える活動などに取り組んだ。【木島諒子】
参院予算委で参考人招致 疑惑を否定
元文部官僚の加戸氏は国家戦略特区による今治市への獣医学部誘致に深く関わった。
今治市は2015年に国家戦略特区に選ばれた。区域づくり方針の早期実現を目指した内閣府の会議に加戸氏は民間事業者代表(今治商工会議所特別顧問)として出席し、獣医師系大学の募集定員規制を緩和して大学を今治市に新設するメリットを強調した。
内閣府の公募に応じた「加計学園」(岡山市)による岡山理科大獣医学部開設は17年に認められたが、18年春には、15年に当時の首相秘書官が首相官邸で学園関係者と面会したことが判明。「首相案件」との秘書官発言が記された県職員作成の面会記録文書も明らかになり、「加計ありき」の疑惑が国会で追及された。
18年5月、参院予算委員会に参考人招致された加戸氏は、県職員作成の面会記録を「駆逐艦を撃沈したのに『戦艦を撃沈した』と言うのに近いものがあったのでは」と、誇張に例える言い回しで答弁。「首相や秘書官から獣医学部新設に関してアプローチはあったか」の問いには「一切ない」と答え、国家戦略特区の有効性を強調した。【松倉展人】