“待機組”平沢勝栄氏 入閣見送りの裏に公明党・山口代表の怨念

入閣待機組について今回は派閥の要望がかなり聞き入れられているのに、なぜ平沢勝栄衆院議員(74=当選8回)は見送られたのか。11日の内閣改造以降、「永田町の謎」として不思議がられている。

「平沢氏については、派閥領袖の二階幹事長はもちろんのこと、伊吹文明元衆院議長や河村建夫元官房長官らも安倍首相に入閣を推薦していた。平沢氏同様、待機組で毎度名前が挙がってきた麻生派の田中和徳復興相(70=同8回)、岸田派の竹本直一IT担当相(78=同8回)と北村誠吾地方創生相(72=同7回)は、身体検査でヤバイと言われながらも今回起用されたのに、なぜ平沢氏だけダメだったのか。安倍首相はよほど個人的な理由で平沢氏を大臣にさせたくないのか……」(二階派関係者)

平沢氏が小学生時代の安倍首相の家庭教師だったことは永田町で知られた話だ。勉強嫌いの安倍少年が叱られた恨みを持っていてもおかしくはないが、知られざる別の理由もあるらしい。公明党の山口那津男代表(67)への“配慮”だという。

平沢氏と山口代表は、過去に衆院選(東京17区)で2度対決している。初の小選挙区制となった1996年と2000年だが、いずれも山口代表が敗北し、その後、参院に鞍替えした経緯がある。特に00年は、自公連立政権発足後で自公間で選挙協力が行われたのに、東京17区だけは、全国で唯一、自公がガチンコで戦った。公明党にとって平沢氏は“天敵”なのだ。

あれから20年近く経過しているが、その怨念は消えていないようで、「選挙時に自民党本部が公明党への推薦申請を機械的に全員行うが、東京では24選挙区のうち、平沢氏だけに推薦が出ない」(自民党都連関係者)という。

「安倍・山口会談の際、山口代表は、平沢氏と選挙で戦った時のことをよく口にするそうです。平沢引退後に衆院への再鞍替えが念頭にあるのか、山口代表は今も東京17区内の行事に頻繁に顔を出しているので、平沢氏が大臣になれば両者の序列が逆転してしまう。両党首間で『平沢氏を閣僚や党の要職で使わない』という暗黙の了解があるのだろう」(安倍周辺)

だとすると、山口氏が代表である限り、平沢氏は貧乏くじだ。