◆日本の軍事史研究はなぜ遅れているのか?
―― 大木さんは新著『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』(角川新書)や『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(同前)、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)など、軍事史に関する著書を発表してきました。一連の著作の中で、日本の軍事史研究は欧米に比べて遅れていると指摘していますが、遅れの原因はどこにあると考えていますか。
大木毅氏(以下、大木):一つには、欧米ではアカデミズムの世界で戦争や軍隊の研究が行われていますが、日本にそうした土壌がないことです。戦後の日本は太平洋戦争の悲惨な経験があったため、戦争など研究すべきではないという空気が強かったですし、戦前のアカデミズムでも軍事史はあまり研究されていませんでした。石原莞爾が陸軍をやめたあとに立命館大学で国防学講座を始めるのですが、それまで大学には軍事史を扱う講座がなかったのです。
日本で軍事史の研究に取り組んできたのは、もっぱら軍人たちです。昭和30年代、40年代までは自衛隊に旧軍出身の人たちがおり、彼らは幼年学校のころからドイツ語教育を受けていたこともあって、ヨーロッパの軍事史研究も盛んに行われていました。しかし、彼らが現役を退くにつれ、ドイツ語を解する人も少なくなり、ヨーロッパの戦争を研究する人も減ってしまいました。
また、最近は出版不況がはなはだしいためか、外国の軍事史研究の翻訳書やノンフィクションなどが刊行されなくなっています。ミリタリー雑誌に寄稿している人たちも、あれは趣味の世界ですから、外国の文献を読んで研究している人はごく少数です。
このような事情が重なった結果、日本の軍事史研究に空白が生じてしまったのだと思います。私が見る限り、日本の研究は30年前、40年前の水準で止まっています。1970年代に一般的だった解釈がいまだに受け入れられているといったことも珍しくありません。
◆「回想録」は額面通りに受け取るべきではない
―― 日本ではグデーリアンは回想録『電撃戦』で有名だと思います。しかし、大木さんは『電撃戦』には事実と異なる部分があると指摘しています。
大木:一例をあげると、『電撃戦』にはグデーリアンがいち早く戦車の将来性に気づいたかのように記されています。日本の旧軍の人たちにとっても、グデーリアンは自分たちがやりたくてできなかった大機甲戦を実践した人なので、彼を神様扱いしている人たちがたくさんいました。
しかし実際には、第一次世界大戦で戦車隊に所属したエルンスト・フォルクハイムや、オーストリア軍の著名な技術者だったフリッツ・ハイグルが、グデーリアンに先駆けて戦車や自動車の運用理論に取り組んでいます。グデーリアンの役割が大きかったことは間違いありませんが、彼だけがドイツ装甲部隊の創始者であるとするのは誇張です。
また、『電撃戦』には、ソ連軍の戦線突出部を挟撃する構想である「城塞」作戦について、グデーリアンは反対していたと記されています。しかし、当時の戦時日誌を読むと、グデーリアンは作戦自体には反対しておらず、実施方法に異議を唱えていただけであることがわかります。『電撃戦』ではこのことが無視されています。
回想録には資料的価値がありますし、読み物として面白いことも事実です。しかし、もともと回想録は自己弁護のために書かれるものなので、額面通り受け取るべきではありません。
◆いま軍事史を学ぶ意義
―― 『戦車将軍グデーリアン』で興味深いのは、ヒトラーと軍人たちの関係です。実はヒトラーはグデーリアンたちに色々と気を使っていました。
大木:ヒトラー政権は1933年1月30日に成立しますが、当時は連立政権で、すべての閣僚がナチ党に属していたわけではありません。また、国防軍、とりわけ陸軍はプロイセンの時代から非常に自立性が強く、必ずしもヒトラーの言いなりだったわけではありません。
たとえば、1937年にヒトラーは秘密会議を開き、数年のうちにオーストリアとチェコスロヴァキアを征服すると明言しました。それに対して、国防相にして国防軍最高司令官だったブロンベルク元帥と陸軍総司令官フリッチュ上級大将が疑義を唱えました。その後、彼らはスキャンダルをきっかけに職を退きますが、ヒトラーの命令一下で国防軍が一枚岩で動いたわけではないのです。
私の見解では、ヒトラーが国防軍を掌握できたのは、1944年7月20日にヒトラー暗殺未遂事件が起こったあとです。ヒトラーは事件に関与した軍人たちを強制収容所に送り込んだり、処刑したりしました。あれは一種のカウンタークーデターで、これでようやく国防軍に対する支配が完成したと言えます。
―― イギリスの歴史家であるイアン・カーショーは、ナチスの権力構造は非常に複雑で入り組んでいたと指摘しています。国防軍内の権力構造はどうだったのでしょうか。
大木:それは軍隊にも当てはまります。たとえば、西部戦線の大規模団隊の一つであるA軍集団参謀長に配置されていたマンシュタイン中将は、ハルダー陸軍参謀総長やブラウヒッチュ陸軍総司令官に自らの作戦案を拒否されると、ヒトラー付の国防軍首席副官に働きかけ、ハルダーやブラウヒッチュを迂回して総統に直談判しています。国防軍内部でもこうしたことが起こっていたのです。
―― 戦後の日本にとって軍事史はまだまだ身近な存在とは言えません。いま軍事史を学ぶ意義をどのように考えていますか。
大木:最初に述べたように、戦後の日本では戦争は知らなくてもいいものとされてきました。実際、戦争が起きる蓋然性はとても低かったため、戦争について学ばなくても大きな問題はありませんでした。
しかし、最近は戦争は身近なものになっており、朝鮮半島にしろ南西方面にしろ、戦争が起こる蓋然性が大きくなっています。私の本を手にとってくれる方々も、皮膚感覚でそのことを実感しているのだと思います。戦争や軍事に関する知識への欲求、その欠如を埋めてほしいという社会的要求が高まっているように感じます。
一部には、戦争のことを知るとまた戦争をしたくなるといった議論がありますが、戦後の日本でもある一時期までは、左翼こそクラウゼヴィッツなどの研究に取り組んでいました。トロツキーは「君は戦争に関心がないかもしれないが、戦争のほうは君に関心を持っている」と言っています。戦争を避けるためにこそ、軍隊や戦争について学ばなければならないと思います。
(3月27日、聞き手・構成 中村友哉)
大木毅●おおき・たけし。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在著述業。『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(角川新書)、『ドイツ軍事史』(作品社)などがある。
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。