現地報告 関東で“一番有名な終着駅” 緊急事態宣言でGWの「日光」はどうなった?

京王線の終着駅「降りたのは5人だけ…」 緊急事態宣言で“GWのド定番”高尾山はどうなった? から続く
日光は、関東地方でいちばん有名な終着駅であろう。北関東随一の、というか関東地方でもとびきりの観光地である日光。そこに向かう鉄道は2つあり、そのいずれもの終着駅である。JR日光線の日光駅と、東武日光線の東武日光駅だ。その先には日光連山が連なっているから鉄道もそれ以上は進みようがない。東照大権現こと徳川家康公が祀られし日光東照宮をぶち抜いて走るわけにもいかないからとうぜんである。いわば、日光は関東地方北限の終着駅、ということもできる。
そんな緊急事態宣言下の観光都市・日光の玄関口はどうなっているのだろうか。細心の注意をはらって現地取材した。
新幹線「なすの」の指定席は「誰も乗っていない」
東京から日光に向かう方法は2つある。JRの日光駅を優先するならば、新幹線で宇都宮まで向かい、そこから日光線に乗り換える。もうひとつは東武日光駅で、こちらは浅草や北千住あたりから東武特急に乗ればそれで済む。新宿駅から出ているJR・東武直通の特急に乗る方法もある。いずれでもかまわないが、乗換の必要がない東武のほうがいくらか便利といったところだろうか。
せっかく終着駅がふたつあるので、行きはJR、帰りは東武というパターンで訪れた。高尾山口駅を訪れたその足で、東京駅から新幹線「なすの」に乗る。買ったきっぷは自由席だったが、ホームに着いたときにはもう出発する寸前だったので手近な指定席車両に飛び乗った。そこでいくつかの車両を通り抜けて自由席に向かったのだが、指定席車両には誰も乗っていない。緊急事態宣言下だからなのか。新幹線には乗車率0%(つまり誰も乗っていない)の列車もあったというから、この程度では驚くべきことではないのだろう。
自由席車両にはポツポツとお客の姿もあったが、1車両に4人程度。これは山手線や中央線よりも少ない。やはり県境をまたぐ移動の自粛、かなり徹底されているようだ。宇都宮駅までは1時間足らずである。
宇都宮から日光線に乗り換える。日光線は観光路線として生まれた鉄道だ。まだ東北本線が国鉄ではなく日本鉄道という私鉄によって運営されていた1890年。日光観光に目をつけた日本鉄道が支線として開通させたのがはじまりである。宇都宮から日光までは約40分かかるが、途中にはとりたてて大きな町があるわけでもない。本来ならば観光客で埋まっているだろう車内はガラガラで、途中の鹿沼駅で3人ばかり下車。あとは数人の乗客がぼんやりと座って窓の外を見ながら日光を目指していた。
観光案内所も閉鎖中で……
終点の日光駅は、1912年に完成したというネオ・ルネサンス様式の瀟洒で立派な駅舎である。
皇族もしばしば利用する日光のターミナルだけあって、駅舎の一角には貴賓室もある。外は雨、そして緊急事態宣言下。同じ列車で降り立ったお客はほかに若い男性2人組がいたが、他には誰もいないし駅構内の観光案内所は閉鎖されていた。駅前の通りにはクルマが時折駆け抜けていくくらいで、人通りといえるものはまったくない。まあ、雨が本降りに差し掛かっていたこともあるのかもしれないけれど。
JRと東武 “観光客奪い合い”の歴史とは?
JR日光駅から日光の中心地に向かって5分ばかり歩いていくと東武日光駅である。JRの日光線と東武の日光線は、鹿沼・今市あたりから並行して走っていて、途中でもつれるように交差しながら日光を目指す。先に終着を迎えるのがJR日光線で、ほんの少しだけ中心部に食い込んでいるのが東武日光駅だ。駅舎の構えとしてはJRのほうが格上の趣だが、大きさでいうと圧倒的に東武日光が上回る。開業は東武が昭和に入った1929年で、約40年遅れている。
この折り重なるようにして建っている日光のふたつの終着駅は、熾烈な“観光客奪い合い合戦”を展開してきた宿命のライバルであった。ライバルといっても、JR(かつてはもちろん国鉄である)が優位に立っていた時代はほとんどなく、開業時より浅草からの直通電車を走らせていた東武の圧勝である。戦後になってから国鉄サイドもようやく電化させて上野発の準急(のち急行)「日光」を運転して対抗しようとしたが、1982年に廃止されて事実上の白旗宣言。今ではJRから東武に直通する特急があるくらいだから、その立場の差は言うまでもない。
こうしてライバルというか後発の東武日光駅が国鉄日光駅から客を奪い続けてきたという歴史がある2つの日光の終着駅。少なくとも、客の奪い合いという歴史が成立するくらいに観光客の多い駅であったことだけは間違いない。明治以来、日光は日本を代表する観光地であった。
「緊急事態宣言が出てから、ずっとこういう感じですね」
ところが、JR日光駅も東武日光駅も、今はまったく客がいない。
大きな三角屋根を持ち、堂々とした面構えの東武日光駅の駅前広場にはバスのりばがあっていくつか土産物店や飲食店があるのだが、バスを待っている客の姿はほとんどないし、土産物店も店をほとんど開けていない。飲食店は「テイクアウトのみ」として辛うじて営業を続けている状況だ。そのひとつに入って聞いてみると、「緊急事態宣言が出てからはずっとこういう感じですね。お客さんもほとんどこないですよ」。
高尾山が東京都民の憩いの場だとすれば、日光はインバウンドで賑わう観光地でもある。最近になってインバウンドに目覚めたわけではなく、明治時代よりすでに世界中から観光客がやってきた由緒あるインバウンド観光地。東武日光駅の駅舎の2階にはムスリムの人たちのための礼拝室が設けられているくらいだ。が、もちろん今の日光にイスラム教の方々が観光で訪れることはない。
昭和のはじめから国鉄と東武が激しく客を奪い合った日光詣。JR日光駅はともかく東武日光駅前はたくさんの観光客で賑わっているのが当たり前の光景だった。しかし、今はその観光客の姿はない。雨降りとあわせて、とにかく寂しい日光の駅前である。
「お客がいなくてもダイヤ通り電車は走る」
1時間ばかり日光駅の周辺をうろついてもすることがないので、東武に乗って帰ることにする。改札口の横には「新型コロナに負けないぞ! がんばろう!日本!!! がんばろう!日光市!!!」と書かれたメッセージボード。コロナへの憎しみをいろいろな人が書き込んでいた。きっと、数少ないながらも日光を訪れた人たちが書いたのだろう。
日光発の特急までは時間があったので、普通列車に乗って下今市駅に向かい、そこから東武鬼怒川線からやってくる特急に乗り換える。1時間も前からホームについて出発待ちをしている特急の車内からは、清掃のおばちゃんたちが降りてきた。ほとんどお客はいないが、それでも終着駅ではしっかりと車内清掃。きっと消毒作業もしているのだろう。コロナに襲われて世界は非日常。しかし、そうしたときでもいつもの通り列車の中をキレイにし、そしてダイヤの通り電車が走る。お客が乗っていようが乗っていまいが、電車は走る。そこに、鉄道会社のちょっとした矜持のようなものを感じつつ、東武特急で東京に戻ったのであった。
( 【前回】京王線の終着駅「降りたのは5人だけ…」 緊急事態宣言で“GWのド定番”高尾山はどうなった? を読む)
写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)