「横田めぐみさんの拉致」に気付いていた所轄署長の謝罪【消えた核科学者 番外編】

【消えた核科学者 番外編】#4

特定失踪者問題調査会代表が明かす「拉致問題の現在地」

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1977(昭和52)年11月15日、中学1年生の横田めぐみさんが下校途中に失踪。それから20年目となる1997年、めぐみさんは平壌で生きているとの情報が寄せられ、政府は北朝鮮による拉致被害者に認定した。

この間、日本の政府や警察は拉致を疑わなかったのかというと、そんなことはない。めぐみさんが失踪する5年前、茨城県東海村にある動燃(現・日本原子力研究開発機構)の科学者・竹村達也さんが失踪し、捜査に訪れた茨城県警の刑事は「北に持っていかれたかもしれない」とつぶやいている。失踪=拉致の可能性ありという認識は、全国の警察で共有していたはずだ。

「めぐみさんがいなくなった時、所轄の新潟中央署の署長は外事畑の人だったということもあり、すぐに拉致されたと分かったらしいですね。少し前から不法電波の通信量が増えていて、何かが起こることを予想していた。それで当日の夜9時に自宅で『中学生の女の子がいなくなった』と連絡を受けた際は、すぐに『機動隊を出せ』と指示を出したのです」

警察による捜査を隠さなければならない誘拐事件と明らかに違う。警察は派手に動いた。翌朝の5時ぐらいには700人ほどの機動隊員が出動し、海沿いを中心に捜査に当たったという。あまりの物々しさに、いったい何が起きたのかと不思議に思う地元住民も少なくなかったようだ。

■横田さん夫妻に謝罪

「この2カ月前に石川県で久米裕さんが拉致され、石川県警は犯行に関与した1人を逮捕しています。そんな時に少女失踪の報告を受ければ、当然、ピンとくるはず。とにかく海から連れていかれる前に止めなければならないと動いたようです。当時の署長はすでに亡くなっていますが、生前、横田滋さんと早紀江さんのご夫妻に新潟で会った時、『あの事件は最初から北だと思っていました。言えなくてすみません』と謝っています」

ところが当時の警察は、水際で止める作戦が不発に終わり手遅れになったことを悟った段階で捜査態勢を変更し、一般的な誘拐事件の捜査に切り替えてしまった。その後は北朝鮮による拉致の疑いも封印。時計の針はピタッと止まった。

「この1カ月ほど前にダッカで発生した日航機ハイジャック事件の影響もあったと思います。当時の福田赳夫首相は、『人命は地球より重い』と実行犯に身代金を払った上、勾留・服役中の6人を釈放した。実行犯と6人は乗客の解放後にアルジェリアで逃走しています。この政府の対応は国内外で叩かれました。その直後に、今度は少女を北朝鮮に連れていかれて警察には手が出せないとなると、また批判されたでしょうしね」

これは何もめぐみさんのケースだけではないだろう。全国で同じように拉致が疑われる事件が横行していたが、警察は認めようとしなかった。一方で組織的に隠蔽しなければならない事実はどんどん膨らんでいく。その結果、表に出ない情報は山積みになった。

拉致の全貌は、今もなお明らかになっていない。 =つづく

▽荒木和博(あらき・かずひろ)1956年、東京都生まれ。慶応義塾大学法学部を卒業し民社党書記局に入局。民社党解党後、現代コリア研究所を経て拓殖大学海外事情研究所に入り、2004年から教授。