遺体次々発見、変わり果てた姿に 言葉を失う被害の大きさ 熊本豪雨

被災地に悲しみが広がった。熊本県南部に甚大な被害をもたらした記録的豪雨から一夜明けた5日、土砂災害が相次いだ同県芦北(あしきた)町と津奈木(つなぎ)町では家族の祈りもむなしく、住民らの死亡が確認された。1級河川・球磨川の氾濫で川沿い一帯がのみ込まれた人吉市や球磨村では孤立住民の救助が続いた一方、犠牲者も次々に判明。徐々に明らかになる被害の大きさに自治体関係者は言葉を失った。
「何が起きたか分からない」老夫婦遺体発見、ぼうぜんとする家族
芦北町女島(めしま)地区では5日午前5時半ごろ、流れ込んだ土砂でつぶれた家屋の1階から小崎清一さん(69)と妻峰子さん(68)が見つかったが、死亡が確認された。4日夜から続いた自衛隊や警察、消防の捜索を見守った長女桂さん(44)は「突然のことで何が起きたか分からない」と現実を受け止められずにいた。
清一さんと峰子さんは桂さんの長男である孫を可愛がった。清一さんは野球をしていたこともあり、孫が野球を始めるとキャッチボールの相手をしたり、試合に足を運んだりした。新型コロナウイルスの影響で試合は見送られ、桂さんが久しぶりに大会があることを伝えると「やっと応援に行ける」と喜んでいた。
小学6年になった孫も夜通しで捜索を見守り「もっと応援に来てほしかった」と悔やんだ。清一さんの腕時計が見つかり、孫が形見として身に着けるという。桂さんは「捜索していただいた皆さんには感謝しかない。一緒に見つかってよかった」と声を詰まらせた。
「子供の声が聞こえるにぎやかな家だったのに」3人死亡確認
同町田川地区では、4日から5日未明に堀口ツギエさん(93)、娘の入江たえ子さん(69)、入江さんの長男竜一さん(42)が心肺停止状態で見つかり、死亡が確認された。
親族や近所の住民によると、堀口さんは最近脚が悪くなり、デイサービスに通う以外は家の中で過ごすことが多かった。自宅の庭にはたくさんの藤が植わり、友人を招いて花見をするのを楽しみにしていた。カラオケも好きで演歌を歌っていたという。
入江さんは、堀口さん方の隣で竜一さん夫妻と5人の孫と暮らしていた。被災当時、竜一さんの妻と孫たちは同県水俣市に避難しており、無事だった。
入江さんは、スクールバスに乗る小学生の孫たちを送り迎えするなど可愛がっていた。竜一さんは町内の会社に勤務し、消防団でも活動していた。数年前に大病にかかったが、近所を散歩するなどリハビリに励み、仕事に復帰していた。
10日前に入江さん方にキュウリを届けたという近所の男性(78)は「竜一さんは笑顔でお礼を言ってくれた。子供たちの声がいつも聞こえるにぎやかな家だったのに」と肩を落とした。
阪神大震災で被災、津奈木町に移住の家族
津奈木町福浜地区では、丸橋勇さん(85)の死亡が確認され、行方不明になっている妻ミチ子さん(83)と長男貴孝さん(58)の捜索が続いた。
親族などによると、勇さんとミチ子さんは芦北町出身。勇さんは大手製鉄会社を1994年に定年退職した。直後の95年1月、ミチ子さんと暮らしていた兵庫県尼崎市で阪神大震災に被災。自宅は倒壊は免れたが大きく傾いた。当時、神戸市に住んでいた貴孝さんは勇さんらの初孫にあたる長男を授かったばかりで、勇さんは損壊した道路をバイクで走ってミルクやおむつを届けに行った。
勇さんとミチ子さんは95年夏ごろ、津奈木町に移り住んだ。近くの山でデコポンを栽培し、畑から海を見るのが好きだった。その後、貴孝さんと孫も一緒に暮らすようになった。勇さんとミチ子さんは夏に予定されていた孫の結婚式を心待ちにしていた。
現場でミチ子さんと貴孝さんの捜索を見守っていたミチ子さんの妹の松崎みね子さん(70)は「とにかく早く出てきてほしい」と声を絞り出した。【城島勇人、高橋広之、浅野翔太郎、栗栖由喜、吉川雄策】
「水が迫ってきたので90歳の父を背負って高台の空き地に逃げた」
球磨川支流の氾濫で水没した特別養護老人ホーム「千寿園」から14人が心肺停止状態で見つかるなど、浸水被害が広がった熊本県球磨村。県によると一時は78地区の計1432世帯が氾濫や土砂崩れで孤立し、自衛隊などによる救助活動が続けられた。
救助ヘリの発着場所になった球磨村総合運動公園では、5日朝からひっきりなしにヘリの爆音が響き、一晩孤立していた住民らが抱えられるようにして降り立った。
一勝地地区の会社員男性(63)は「水が迫ってきたので90歳の父を背負って高台の空き地に逃げた。逃げ遅れたお年寄りがいたので泳いで助けに行った。夜は近所の家の天井裏で過ごした」と振り返った。集落の班長の中園充郎(みつろう)さん(68)は「地区全体が冠水し、男性が1人行方不明だったので5日朝から捜したが、自宅前で亡くなっていた」と沈痛な表情を浮かべた。
「あと少し水が上がっていたら、家族全員どうなっていたか」
人吉市でも浸水などによる犠牲者が明らかになった。同市下林町の西隆男さん(84)は自宅が水没し、水が引いた4日午後、1階居間で亡くなっているのを消防隊が発見した。いとこの建設会社社長、立山勝義さん(70)は「あまりにもいい人だった。人情に厚く、親戚の誰もが頼っていた。柔道は七段の腕前で、定年後は高校生に教えていた。地元では知られた達人だったのに」と悲嘆に暮れた。
市内10カ所の避難所には一時約1000人が身を寄せた。最大の避難所の人吉スポーツパレスでは新型コロナウイルスの感染予防のため避難者同士の距離を2メートル確保。本来は1000人を収容できるが2階の踊り場や観客席まで使っても約600人で満員になった。
自宅が浸水した加治屋洋作さん(42)は近くの民家の2階に逃げ込んだがみるみる水位が上がり、妻と一緒に息子を抱きかかえて水が下がるのを待った。「あと少し水が上がっていたら、家族全員どうなっていたか。コロナも不安だけど今はどうやって生活すればいいか、それだけで頭がいっぱいです」と言葉少なに語った。【山口桂子、杣谷健太、白川徹】
マイクロバスや車の中で夜を明かす、情報全く入らず
熊本県八代市坂本町地区でも大規模な浸水被害が発生。高台などに逃げて孤立した住民を救助するため、自衛隊などのヘリコプターが頻繁に飛び交った。
坂本町川嶽地区の専門学校講師の男性(50)は5日午前6時ごろ、妻と母、娘と共にヘリで救出された。4日の豪雨で自宅と車3台が水につかり、比較的高い場所にある自宅近くの国道219号の路上に避難した。住民約20人が集まり、近くの保育園のマイクロバスや車の中で夜を明かした。電話がつながらず情報が全く入らない状況で「救出されるまで2、3日かかると覚悟していたので、本当にありがたい」と語った。【一宮俊介】