都知事選を目前にして、小池百合子知事への疑惑がまたしても浮上している。「カイロ大学を首席で卒業」という経歴への疑惑で、その引き金となったのが本書だ。
小池が留学中の約2年間、アパートで同居していた早川玲子(仮名=カイロ在住)の証言を軸に、疑惑を徹底検証するのだが、彼女は当時の手帳、メモ、日本にいる母親に近況を書き送った手紙などを保存していて、その証言は微に入り細を穿つ。
小池は結局、留学生活を断念。カイロ大学を卒業したと装って日本に帰るのだが、帰国前夜、小池は早川に言う。
「あのね。私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに早川さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」
7年後、小池は初の著書を出版するが、早川のことには一行も触れていない。早川証言の重みを誰よりもよく知るのは、小池本人だろう。
花形キャスターの座を捨てて1992年、小池は政界に身を投ずる。日本新党を率いる細川護熙を皮切りに、次いで新進党の小沢一郎に急接近。ついには自民党に寝返って小泉純一郎内閣の環境大臣に就任する。〈「権力と寝る女」、「政界渡り鳥」と揶揄されながらも、常に党首や総理と呼ばれる人の傍らに、その身を置いてきた〉のだ。小池という政治家を象徴するエピソードを本書から引く。
95年の阪神大震災からしばらく経ち、以前の選挙区だった芦屋の女性数人が議員会館に小池を訪ねた。震災後の窮状を必死に訴える彼女たちに、〈小池は指にマニキュアを塗りながら応じた。1度として顔を上げることがなかった〉。塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げた。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」
2002年の小泉訪朝。横田めぐみさんは死亡と知らされた会見の席で、父の滋さんは涙で言葉を詰まらせた。妻の早紀江さんは気丈にも、夫の分まで思いを訴える。夫妻の真後ろには、黄緑色のやけに目立つジャケットを着た小池が立ち、被害者家族の肩に手を回しつつ、涙を拭った。会見が終わり、部屋には家族らが残され、大きな悲しみに包まれていた。そこへ、いったん退出した小池が駆け込んできて、大声を上げる。
「私のバッグ。私のバッグがないのよっ」
部屋の片隅にそれを見つけると、横田夫妻もいる部屋で、彼女は叫んだ。
「あったー、私のバッグ。拉致されたかと思った」
目撃した蓮池透さんは、「あれ以来、彼女のことは信用していない」と自身のツイッターで明かしたという。
臆面のなさ、節操のなさ。この政治家に真面目さを求めることの虚しさを、著者は鮮やかに浮き彫りにする。
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(文藝春秋前社長 松井 清人)