大阪府熊取町の民家に火を放ち、高齢夫婦を死亡させたとして、現住建造物等放火などで起訴された男の裁判員裁判が7月、大阪地裁で開かれた。当時の状況を問われ、「よく覚えていない」「キツネにつままれたような感じ」と述べた男。弁護側は認知症などの影響を主張したが、何の落ち度のない夫婦を奪われた遺族の怒りは激しかった。「殺されたも同然」「極刑を」。遺族が厳しい言葉を放った法廷で、地裁が下した判断は-。
師走に起こった深夜の火災
平成30年12月6日未明、大阪府熊取町。一軒家や田畑が点在する静かな町に、救急車のサイレンが響き渡った。
木造平屋建ての住宅が一部焼損し、就寝中だったとみられる佐々木良雄さん=当時(80)=と妻の勝子さん=同(74)=が亡くなった。死因は一酸化炭素中毒。良雄さんは約20年前に患った脳出血の後遺症のため体が不自由で、勝子さんらが介護していたという。
出火場所とみられる住宅脇のガレージには火の気がなく、捜査を進めた大阪府警は約2カ月後、近くに住んでいたことのある無職の谷口正一被告(69)を逮捕。「むしゃくしゃして火を付けた」。当時は容疑を認めていた。
被告は鑑定留置を経て、現住建造物等放火や重過失致死などの罪で起訴され、今年7月、大阪地裁で裁判員裁判が開かれた。
食い違う主張
「よく覚えていない」「知らん間に」「キツネにつままれたような感じ」
なぜガレージで火をつけたのか、住宅に燃え移るとは考えなかったのか。検察側の追及に、被告はあいまいな答えを繰り返した。
公判で示された証拠によると、被告は事件当時、駅前のトイレで寝泊まりしていた。事件の日、佐々木さん宅の近くを通りかかり、持っていたライターでガレージ内の新聞紙などの可燃物に火をつけた後、その場を立ち去ったという。
主張が食い違ったのは、放火時の状況や認識だ。公判で被告は「地面に置いた火はだんだん小さくなったと思う」と説明。弁護側は、住宅に火が燃え移るかもしれないという認識が被告になかったと強調した。このほか、認知症や取り調べに誘導されやすいとする性格の影響なども訴えた。
これに対し検察側が示したのは、被告の捜査段階での供述だ。〈可燃物を追加して、炎は80センチから1メートルくらいの高さになった〉〈えらいことをやってしまったと思って立ち去った〉。その上で被告には、民家に人が住んでいるという認識があったと主張した。
さらに被告は事件当日に万引や自転車盗でも検挙されていた。「自身の生活への鬱憤晴らしだった」。そう指摘した検察側は、懲役16年を求刑した。
後追い考えた遺族
死亡した佐々木さん夫妻には何の落ち度もなかった。「父ちゃんと母ちゃんは殺されたのも同然。被告がすぐに通報すれば助かったはず。あまりにも身勝手だ」。ある遺族は被害者参加制度で法廷に立ち、こう怒りをぶつけた。
無口だが穏やかで家族のために長年働いてきた良雄さんと、周辺を常に気遣う優しい勝子さん。事件数日後には良雄さんと孫の誕生日祝いを、1カ月後の正月には新年の祝いを、家族が集まりそれぞれ行う計画があった。
だが事件で状況は一変した。だんらんの場だった家は焼け焦げ、後追いを考えるほど喪失感が募った。「もう会えないと思うと悲しくて悲しくて」「極刑を下してほしい」。遺族はおえつを漏らしながら、心の内を語った。
迎えた7月8日の判決公判。大阪地裁は求刑通り、懲役16年の実刑判決を言い渡した。
中川綾子裁判長は、被告に火が住宅へ燃え移る可能性の認識があったと認め、「何ら落ち度のない2人が死亡する重大な結果が生じた」と指弾。ホームレス生活で鬱憤を募らせていたとする動機面にも言及しつつ「事の重大性に向き合おうとする姿勢が感じられない」と指摘し、刑を軽くする余地はないとの判断を下した。
一連の公判で被告は「申し訳ない」と述べる一方、遺族の方を直視しようとしなかった。うつむき加減で聞いていた判決をどう受け止めたのかは、今も判然としない。