「時がたてば経つほど会いたい」 美帆さんの母が手記 相模原殺傷事件4年

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら19人が殺害され、26人が負傷した事件で、娘の美帆さん(当時19歳)を失った母親が現在の心境をつづった手記を毎日新聞に寄せた。美帆さんに会いたい思いや、差別がなくなることを祈る気持ちを吐露している。事件は26日で発生から4年を迎える。【木下翔太郎】
<あれから4年経(た)ちました。美帆に会いたいです>。愛娘へのあふれる思いから始まる手記には<時がたてば経つほど会いたい気持ちが増すように思います。でも会えなくて、悲しさや淋(さび)しさが押しよせてきます>と、癒えることのない悲しみがつづられている。
美帆さんは3歳を過ぎた頃に重度の自閉症と診断された。豊かな表情で喜怒哀楽を示し、人懐っこく、屈託のない笑顔が母親は大好きだった。
植松聖(さとし)死刑囚(30)に対する公判では被害者の名前が記号で呼ばれた。娘が「甲A」と扱われることに違和感を持った母親は「一生懸命生きた証しを残したい」と美帆さんの名前と写真を公表した。手記では<被害者のことが少しはわかってもらえたのではないかと思いました。後悔はしていません>と振り返り、取材に対して「誰かが思い出してくれる時に、その人の中で美帆は生きている。誰かの心の中で生き続ける」と語った。
母親は被害者参加制度を使って法廷に足を運んだものの、植松死刑囚に謝罪の言葉はなく、裁判はむなしいものだった。<無償の愛のような目では見えない大切なものがわからなかったのではないか、彼は心が成長しないまま、大人になってしまったのではないか>
裁判は、事件の背景が十分に分からないまま終わってしまったと感じる。母親は判決内容を当然と思う一方で「本当はもっと掘り下げていろいろなことを聞きたかった。分からないまま闇に葬られるのも嫌だ」と複雑な思いを語った。
事件があった7月になると胸が苦しく、気持ちが沈むという。事件の翌年は7月のカレンダーを破り捨てた。裁判があった今年は余計につらく「早く過ぎ去ってほしい」と思う。
それでも今回、手記を公表したのは「亡くなった19人の命を絶対に無駄にしたくない」という願いからだ。「美帆の母と聞いて耳を傾けたり、読んでくれたりする人がいるなら伝えていく意味があるのかな」。目に涙をためてそう話した。
事件では障害者への差別や偏見が浮き彫りになった。母親は人種差別や新型コロナウイルス感染拡大に伴う医療従事者への差別にも心を痛めながら手記をこう締めくくっている。<差別は容易になくならないでしょう。でも少しでも減ればいいと思います。(中略)心穏やかに過ごせる社会になればいいと願っています>
美帆さんの母親が毎日新聞に寄せた手記
相模原事件から4年を迎える26日を前に、美帆さんの母親が毎日新聞に手記を寄せた。全文を掲載する。
あれから4年経(た)ちました。
美帆に会いたいです。会いたくて、会いたくて仕方ありません。時がたてば経つほど会いたい気持ちが増すように思います。でも会えなくて、悲しさや淋(さび)しさが押しよせてきます。
7月近くになると、毎年、身体も心も重くなります。できていたことができなくなります。とても不安が強くなります。事件の翌年は7月のカレンダーを見ることができず、破って捨てていました。今は見ないように過ごしています。あの年から、私は7月が嫌いになりました。
裁判は空(むな)しいものでした。私は犯人が間違ったことを認め、亡くなった19人、怪我(けが)をした27人に謝ってほしかった。でもそれは無理でした。
ただ控訴しなかったのは罪の重さや自責の念が多少なりにもあったのではないか。自分の意見が破綻していたことも多少はわかっていたのではないかとも思います。
彼は拘置所の中で初めて自分の話をきちんと聞いてくれる人達(たち)に出会ったのではないでしょうか。裁判中もたくさんの人が彼の話を真剣に聞いてくれて嬉(うれ)しかったのではないでしょうか。私は、法廷では顔を見ず、声を聞いていただけですが、「はい」と元気よく嬉しそうに話していたように感じました。言いたくないことは誤魔化(ごまか)していましたが。
彼は「両親にはいろいろしてもらった」と言い「具体的に?」と聞かれると「大学にいかせてもらったり、塾にいかせてもらった。」と言っていました。でもそれは、物理的なことで、お金があれば誰でもできることです。私が親だったら大麻を勧められた時に警察に連れて行きます。逃げたら「捕まえて下さい。」とお願いします。かわいい息子なら心を鬼にしても更生させます。
友達が沢山(たくさん)いたようですが、本当に彼のことを思い心配してくれた人はいたのでしょうか。上辺だけの薄っぺらい付き合いの知りあいばかりだったのではと思いました。
彼はお金では買えないもの、愛情とか思いやりの心、人を大切に思う心、無償の愛のような目では見えない大切なものがわからなかったのではないか、彼は心(気持ち)が成長しないまま、大人になってしまったのではないかと思いました。
裁判と社会に「美帆」の名と写真を4枚出せて良かったと思っています。たくさんの方に覚えて頂けたこと、裁判員の方にもこれまで見えてこなかった被害者のことが少しはわかってもらえたのではないかと思いました。
後悔はしていません。たくさんの方に覚えて頂き、その方々が美帆のことを思いだしてくれる時、美帆は生きているわけですから。本当にいろいろな方々に見て頂き、覚えて頂いてありがとうございます。
やまゆり園が再生を目ざすのであれば、日本一、いや世界一いい場所だと誰もが思うような、安全で安心な施設にして下さい。切に願っております。
今、コロナで医療従事者の方への差別があります。感謝しなければならないのに悲しいことが起きています。アメリカでは人種差別で黒人の方が亡くなっています。肌の色が違うだけで同じ人間なのに、なぜ差別されなければならないか。日々悲しくなります。
差別は容易になくならないでしょう。でも少しでも減ればいいと思います。差別をされる方も悲しいし、人を差別して本当に気持ちいい人はいないと思います。
これからどうしたらいいのか、日々考えながら過ごしています。心穏やかに過ごせる社会になればいいと願っています。
令和2年7月26日 美帆の母