熊本県南部を中心に深い傷痕を残した豪雨災害の発生から4日で1カ月。複数の集落が球磨川の氾濫にのまれた熊本県球磨村では、被災した多くの人たちが自宅再建の道筋を描けないでいる。浸水した家の片付けなどに追われる体にのしかかる不安と疲労。この村で暮らしていけるのか。球磨川とともに生きてきた人たちの思いは揺れる。
「生まれ育った土地で」
「ここが私の古里。出発点だから愛着がある」
球磨村の一勝地(いっしょうち)地区で暮らす宮本宣彦さん(64)は、2階の床上50センチまで浸水した我が家を修理すると決めた。明治時代、4代前の先祖が熊本県八代市から移住。1982年の大洪水で宮本さんの自宅は無事だったが、より低い場所にあった近所の住宅は浸水し、平成に入ってかさ上げや高台移転が進んだ。「地区の人は皆安心した」。自身も4年前、自宅を次男努さん(35)夫婦に譲り、隣に新たな家を建てたばかりだった。
幸い、宮本さんと努さんの自宅はいずれもリフォームすれば住み続けられる状態と分かった。「未曽有の水害で地区全部が被害を受けたが、長年住んでいて環境もいい」と宮本さん。自宅の2階で寝泊まりしながら、同じ場所での暮らしの再建に向け歩み始めた。
乳飲み子と4歳児を抱える努さんも気持ちは同じだが、不安も口にする。「国も県も村も復興の道筋が定まっていない。家を手放す人も多いと思うが、地元に残る人たちにかさ上げなど今後の対策を示してほしい。先のことが全然見えない」
「生まれ育った土地で暮らしたい」。一勝地地区にある平屋の自宅が大破した橋詰兵士郎さん(78)もそう望むが、資金繰りに頭を悩ませている。被災者生活再建支援法では自宅が全壊した世帯などに最大300万円が支給されるが、認定されても再建に十分な額とはとても言えない。「プレハブでも建てるかなと思っている。次にまた水害があって流されたら仕方がない」と話すが、まだどうするか決め切れていない。
「先が見えない」具体的なイメージできず
毎日新聞が球磨村の被災者60人にアンケートしたところ、住まいの確保の見通しが立たないと答えた人は40人に上った。渡(わたり)地区の2階建て自宅が全壊し、熊本県人吉市の避難所に身を寄せる女性(62)は「とりあえず解体してもらうが、それ以外は何も考えられない」と具体的な生活再建をイメージできずにいる。渡地区で築30年の木造2階建てが水没した男性(60)も「村がどうするか決めてくれないと動けない」と頭を抱える。
住民の多くが村内外で避難生活を送る中、住まいの再建の遅れは人口減少に拍車をかけ、地域コミュニティーの維持も困難になりかねない。村が2015年に策定した「村人口ビジョン」は「人口減少は地域の小売業やサービス業の縮小をもたらし、結果として日常生活に必要な各種サービスが地域内で得られなくなる」と指摘。今回の豪雨災害がこの「予言」をさらに前倒しする可能性がある。
誰もが不安を抱える中、渡地区で木造平屋の自宅が全壊した山口森治さん(74)は、残った自宅のはりなどを生かして、客間だった場所を近隣住民が集える場にリフォームする構想を描いている。「悩みなどを話せて、地域の人を元気づけられる場所になれば」。住まいを確保する見通しも立っていないが、地域再建への思いは強い。「こんな年齢だけど、何とか村を支えたい」【菅野蘭、山口響】
いまだどぶ臭い家「病気になりそう」
「日に日に体力が落ちていくのを感じる。食欲もないし、心配事が重なって、夜中に何度も目覚めるようになってしまった」
熊本県など九州北部が梅雨明けした7月30日、自宅の片付けをしていた球磨村一勝地の保育士、豊永美紀さん(58)は玄関に腰を下ろし、両手で顔を覆った。壁には1階の天井近くまで泥水につかった痕跡が、災害発生から1カ月近くたった今もはっきりと残る。
認知症を抱える母(84)は避難所に行きたがらず、浸水を免れた2、3階で両親と暮らす。断水や水質の問題で3週間近く水道の水が飲めず、約1キロ離れた避難所と自宅を歩いて毎日数回往復し、3人分の水や食料を運んだ。母は特別養護老人ホーム「千寿園」の系列施設でデイサービスを受ける準備を進めていたが、施設の被災で予定は白紙に。母の介護を一手に引き受ける豊永さんは、自身の職場復帰にも不安を感じている。
日中は玄関を開け放って換気をしているが、ドアを閉めた途端、どぶ臭さが充満。罹災(りさい)証明書の発行に必要な村の調査が入るまで浸水の痕跡を残そうとも考えたが、近所の人から「壁が腐る」と聞いて1階応接室の壁紙をはがした。すると、隠れていた壁のいたるところでカビが発生しており、「ガクッとした。気分も悪いし、病気になりそう」。
球磨村渡の地下(じげ)祐八さん(72)は、2階まで浸水した自宅から家具を運び出している最中、腰に重い痛みを感じた。「腰を壊してしまったら、もう農作業にも復帰できなくなる」。親戚らの手を借りて、家具や畳は全て運び出したが、体力の限界を感じて家の中にたまった泥のかき出しは中断。妻實枝(みつえ)さん(70)の母が残した人吉市内の家に身を寄せる。
6月下旬に田植えを終えたばかりの田や畑も厚い泥に覆われたままだ。育てた米は、實枝さんが人吉市で営む食堂で「おかわり無料」のご飯として人気だったが、農作業も食堂も再開のめどは立っていない。「畑は再開したいけれど、また水害があったらと思うと、家を片付けて再び住む気力も、稲作をもう一度始める気力も、もうないね」【成松秋穂、山口響、城島勇人】