昨秋まで60年近く現役の料理研究家として活躍し「タミ先生」と慕われる福岡市中央区の桧山タミさん(94)は、10代後半を戦争のまっただ中で過ごした。終戦から75年、実相を知る人が少なくなる今、先生の知る戦争、若い世代へのメッセージを聞いた。【青木絵美】
「本物を見る目が大切」
真っ先に思い出すのは1944(昭和19)年ごろ、飛行機工場での勤労奉仕の日々だ。通い始めた料理教室が1年ほどで中断された直後、西中洲(福岡市中央区)にあった自宅から電車で通うようになり、400~500人の中で組み立てなどの作業をした。戦況は悪化の一途。「金属が足りなくて私たちが材料集めをしたこともあった。そのうちに機体を木で作り始めてね」
ある日、工場でお菓子が出たが、食料不足のためか男性にしか配られなかった。「物もなく、人を大事にすることも忘れている。『こんなんやったら日本は負ける』。私がそう言うと、友達に『憲兵が聞いていたら大変』と言われました」
45年6月の福岡大空襲は、町医者だった父や姉と共に自宅を離れ、市内の別の場所にいて無事だった。だが異変を知ると、姉と作ったおにぎりを携えて西中洲に帰り、近所の人や焼け出された人たちに配った。
終戦後、かつて通った料理教室の講師で日本の料理研究家の草分け、江上トミさんに本格的に師事。夫の急死を経て61年、2児を育てながら自身の教室を開設した。日本の家庭料理を中心に、保存食の大切さや物を大事にする生活の知恵を伝えた背景には、戦中戦後の物資不足を生きた経験が息づく。
教室を閉じた昨年11月に出した著書「みらいおにぎり」(文芸春秋)で、次代を担う子どもたちへ自らの体験とエールをつづった。戦争のない世界に向けて大切なことは何かとの問いに「例えば土に手で触れてみたり、他の国を実際に訪ねていったり。自分で体感して、本物をきちんと見つめることです」と話した。