“安倍首相、辞任の意向を固める”という速報が流れた時、健康問題でまたも辞任とはさぞかし無念なことだろう……と思ったのだが、会見を見たら、13年前ほど無念さも悔しさも伝わってこなかった。といって、何かしらやり切った感や成し遂げた感も伝わってこず、首相の疲れた顔だけが印象に残ったのだ。
13年前の辞任会見とは、まるで違う様子を見せた安倍首相
「本日、総理の職を辞するべきと決意を致しました」
2007年9月12日、安倍首相はこう切り出して辞任を表明。任期途中で政権の座を降りた。その場では明言しなかったが、今回と同じく持病悪化が大きな原因だった。この時、首相は壇上に上がると前を向き、会場の中をゆっくりと見回した。着席している記者たちを確認するかのように視線を動かす。悲しそうでもあり、悔しそうでもあり、すまなそうでもある目の色と視線の動きが、政権を途中で投げ出さざるを得なくなった無念さと、目の前の光景を見られなくなる悔しさを印象付けた。辞意の言葉は一語一語噛みしめるように述べられ、語尾は過去形。辞任したくはなかったがせざるを得なくなったという思いが、ひしひしと伝わってきたものだ。
奇しくも同じシチュエーションとなった今回、冒頭から首相の様子はまるで違っていた。壇上に上がるが、口を開く直前まで会場の中を見ることもなく視線も上げない。用意してきた書面に目を落としていただけ。周りをシャットアウトしたような様子からは、もうこれ以上は無理、諦めました的な空気も漂ってくる。「総理大臣の職を辞することに致します」と表明するが、口調はさらりとしたもの。前回は「職を辞する」という言葉を辛そうに口にした感があったが、今回、声の調子から感情は透けてこない。語尾が「致します」という現在形であったことも、淡々とした印象を与えた。
消え入りそうな声のなか、自信を示すポーズも
「結果を出すために、全身全霊を傾けてまいりました」
「政治においてもっとも重要なことは、結果を出すことである」としてきた首相は、全身全霊を傾けてきたという言葉を使った。体力面だけでなく精神面も含む表現だけに、精神的なストレスもかなり大きかったことと推測される。発言の後、首を傾げるように一拍、間が空いたことも精神的な疲労の濃さを印象づけた。
2007年の会見では「全力を尽くしてきた」「一身を投げ打つ覚悟で」とやはり強い言葉で自身の政治への姿勢を述べた。全力、一身という表現は若かったこともあるだろうが、精神的なストレスより、政治家として身体を張った勝負ができなくなったことが、辞任理由として何より大きかったのだろうと思う。
「拉致問題をこの手で解決できなかったことは、痛恨の極みであります」
拉致問題では声は小さく掠れている。話している最中も両手を組んだりほどいたり、指を動かしたりと落ち着きなく所在なげ。他にやり方がなかったのかと問われると、唇を巻き込むように口元をきつく結ぶ。「そう簡単な問題ではないから、今でも残っているわけであります」と返答。残した問題ではなく、残っている問題という表現から、これまでもこれからも解決には時間がかかると認識しているのだと推測できる。「最善の努力はしてきた」と言ったが、その声は消え入りそうだった。
「国民の皆様がご判断いただけるのかなと」
「様々な課題に挑戦する中で達成できたこと、実践できたこともあります」と、成果や課題について話す声は低く細く、時おり切れ切れになる。残念ながら小泉政権の郵政民営化のように言い切れるものがない。だが、「在任中に成し遂げたことの中で政権のレガシーとなるものは何か?」と問われると、ジャケットの両ポケットに手をやって整え、お腹あたりをスルリとさすってから答え始めた。首相として身構えたようにも、自分の気持ちを落ち着かせたようにも見える。そんな仕草をした理由は、政権のレガシーは「国民の皆様が判断」「歴史が判断」するものだと答えたからだ。
だが、東北の復興、デフレ脱却についてはきちんと語りたかったのだろう。拳を握って振り上げ、両手で演壇の両側を掴んで肘を張ったりと、自信のあるポーズを見せた。会見中は、結果として胸を張れるものに関しては、演台をがっちり掴み肘を張るが、成果と言い切れなければ、その両手は演台の端に置かれ肘は曲げられていた。
長期政権こそが一番の結果であり功績
「辞めていく私があまり注文をするべきではないと思います」
次期政権、次期総裁について問われると首相はこう答えた。会見中、何度も“辞めていく私”という表現を使う。辞める私ではなく辞めていく私。次の総裁決定まで首相を続投するのだから、辞めていくという未来形は正しい。だがそう表現することで、総理という職への未練がまだあるようにも感じられる。また“あまり”という言葉を用い、総裁選への影響について聞かれた際も影響力の行使は考えていないと答えながら、「そうすべきでもないだろう」と曖昧な表現も用いた。全く影響を与えないとは言い切れないということだろう。
「国民の皆さま、8年近くに渡りまして、本当にありがとうございました」
“7年8カ月”、“この8年近く”と、首相は在職期間を何回も口にした。8月24日に、第2次安倍内閣発足から連続在任期間が歴代最長2799日を達成。この長期政権こそが、安倍首相が出した一番の結果であり功績であろう。辞任会見の発言の締めに、安倍首相が8年という数字をわざわざ用いたのは、そこを成果として強調したかったからだろうし、国民にもそう思ってもらいたかったからだろう。
“終わりよければすべて良し”という言葉があるが、安倍政権は2度ともそうはいかなかった。それに前回の辞任前は参院選の惨敗、今回の辞任前はモリカケ問題にコロナ禍の対策への批判と、支持率は低下しイメージも悪化していた。歴代最長を達成したとはいえ、安倍首相本人にとっても本意ではなかっただろう。
人には、もっとも感情が動いた時と出来事が終わった時の状況でその出来事を判断するという“ピーク・エンドの法則”があると言われる。今後、おそらくこの法則に影響されながら、安倍政権の歴史的評価は決められていくだろう。
公明党の山口那津男代表はマイクを向けられこう語っていた。「7年8カ月続いたこと自体が大きな功績だと思っています」と。
(岡村 美奈)