最近の日本人はどんなことでもまずネットで教えを請うようになった。以前はわからない単語があれば、国語辞書や英和辞書でその意味をチェックしたのと同様に、今は何をするのでもまずは「Google先生教えて!」となる。
どこかにご飯を食べに行くときもまずはネットで検索だ。たとえば「食べログ」でエリア、食事のジャンル、予算を設定。いくつかのお店に絞り込んだうえで、一番のチェックポイントとなるのが「口コミ」だ。
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食事は個人によって相当「好み」が分かれるはずなのであまりネットの評判だけを頼りにするのもどうかと思われるが、この口コミの威力は絶大だ。「隠れた名店」や「幻の料理」など、ネットに出た瞬間でもう隠れてもいないし、幻でもないのだろうが、口コミで大きく取り上げられたお店が大繁盛するのは今や常識と言ってもよい。
ところでこの口コミ、ホテル業界でも例外ではない。ホテル業界にかかわる私自身、出張や旅行の際、ネットの口コミは丹念にチェックしてホテルを選択する。だが、これが意外に曲者だ。書かれていることは一見もっともらしいのだが、食事と同様、ホテルには様々な宿泊客がいる。
宿泊する目的も、その日の体調も、機嫌も、それぞれの“お客様”がさまざまなシチュエーションでホテルを利用する。したがって、口コミで書かれていることを鵜呑みにすると、そのホテルの実態から離れることになってしまう。
しかし、口コミはそのホテルの日常を映し出す鏡でもある。ホテルにとっても、口コミの内容を放置していると悪評が悪評を生むことにもなりかねない。口コミがホテルの評判を決定づけてしまうこともあるからだ。
ではネットで溢れる口コミを私たちはどのように活用すればよいのだろうか。
私が口コミをチェックする場合は1年ほどのスパン、できれば2、3年くらいにわたって特に悪口を中心にチェックするようにしている。
この際注意しなければいけないのが、単発の怒り、つまりたまたま宿泊客の特殊な要望にホテルが対応できなかったり、従業員の些細な言動や行為に利用者が怒ったようなケースは除いていく、ということだ。意外に口コミにはこの手の苦情が多いが、こうした内容のものは無視してよい。
逆に、継続的に指摘されているポイントは要注意である。たとえば「隣の部屋の物音で眠れない」「空調が効かない」「たばこ臭い」「シャワーカーテンが汗臭い」などといった指摘が繰り返し出てくるホテルは、まず設備の状況を疑った方がよい。
隣の物音はホテルの構造上の問題だから事態は深刻だ。部屋と部屋の間の壁厚が薄いというものもあれば、鉄骨造などのホテルでは鉄骨を通じて音漏れが隣ではなく他のフロアにまで伝わるケースもある。
空調は15年もたつと更新時期を迎えるが、ホテルのオーナーの懐事情などで更新が先延ばしにされる傾向がある。なにせ空調機の更新費用はホテルのリニューアルコストでも大きくのしかかる部分だからだ。
たばこ臭い、シャワーカーテンが汗臭いなどというのは清掃の問題もあるが、疑いたいのは換気設備の劣化だ。部屋の空気が入れ替わらないのは室内環境が良くないことを意味する。部屋に入って「カビ臭い」などというのも同様だ。部屋のカーペットや壁紙、空調機の吹き出し口などにカビがはびこり、「臭い」の原因となっているケースが多い。
こうした苦情は宿泊した部屋がたまたまそうだったというよりも、建物の構造上や設備上の問題に起因している可能性が高いので、どの部屋に宿泊してもあまり良い結果は得られないと考えてよい。
建物自体は古くとも、入念にリニューアルされているホテルもあるから、必ずしも古いものはダメだと決めつける必要はないが、建物の老朽化は排水管などの劣化につながっている場合が多い。たとえば浴室のすえたような臭気は、浴室自体の臭気ではなく、配管から生じる臭いに起因している場合が多く、清掃の質の問題ではないともいえる。
清掃については特に日本人の宿泊客は拘る傾向がある。棚の上の埃や洗面室・風呂に落ちている髪の毛などの存在を指摘する投稿も多いが、これらは繰り返し指摘されていなければあまり気にする必要はない。たとえば髪の毛が1本落ちてました、などという指摘は、清掃中に漂っていた毛が1本たまたま落ちてきたなどというケースもあるし、実はその口コミを投稿している宿泊客自身の毛だった、というケースも案外多いからだ。
従業員サービスはどうだろうか。「笑顔がない」「道を聞いたのにわからなかった」など、口コミサイトには様々な指摘があるが、私はサービスについてはむしろ「褒め言葉」を重視する。
「従業員がいつも笑顔だ」「雨の日に傘をさしかけてくれた」「暑い日のチェックインでおしぼりをくれた」などといった一見些細に思える指摘であっても、複数の宿泊客からプラス評価をされている場合は、おおいに評価したい。
なぜなら、人は悪口を言うことは得意だが、褒めることをわざわざ投稿するのは「余程の感激」があったのだと思うからだ。悪口、苦言はどうしてもエスカレートしがちだ。それに対して「わざわざ」の褒め言葉は貴重なものなのだ。
こうした悪口と褒め言葉を一定のスパンでチェックすることでおおよそのホテルの評判はわかる。ただ、口コミでの評判をあまり信用しすぎないことも肝心だ。口コミの裏には数多くの「普通にすごせてよかった」と思っている利用客も、あるいは「二度と来るものか」と呆れて投稿することもなく立ち去っている利用客も多数存在するからだ。
サイト上では利用客の口コミばかりに目が行きがちだが、ホテルからの返信も実はチェックすべきポイントだ。各ホテルの口コミをチェックすると、毎日の投稿に実に丁寧に応対しているホテルがある。利用客の細かな指摘に対して、きめ細やかに対応するホテルは、それだけ従業員教育にも力を入れていることが窺える。杓子定規な応答のものも結構あるが、なかには真剣に検討し、指摘された項目の改善に全力で努めるホテルがあるのだ。
これは、私がリニューアルのお手伝いをしたあるホテルの話だ。そのホテルはすでに築20数年が経過していたので、全面的にリニューアルを行って新装オープンした。以前は施設の老朽化が災いして宿泊客の評判もイマイチだったが、今回は設備も全面刷新、地元でも評判となり颯爽たる船出となった。
ところがオープン後まもなく、設備仕様の良さを絶賛する口コミの中に次のような指摘があった。
「多くの方から設備仕様が良いと口コミで指摘されている。サービスを含めて私もとても気に入っているのだが、ひとつだけ気に入らないのがインターネットのつながりが悪いことだ」
この指摘はオープン以来複数の宿泊客から指摘があったものだった。当初はインターネットの受信設備も全面刷新していたので指摘に対して首をかしげていたのだが、同一人物と思われる利用客から再三にわたって口コミで指摘を受けていた。
そこで、ホテル側からこの問題に対して原因の究明ミーティングを開催するように、私たちに要請があった。
昼下がりの朝食会場でミーティングはスタートした。冒頭、ホテルの社長は厳しい口調で「お客様の指摘はとても重たいもの。なにがなんでも改善をしてほしい」と述べた。
そこから丁々発止、3時間近くにわたって激論が続き、最終的に原因は新しく導入した別の電話回線とインターネット回線とが互いに邪魔をしあっていることではないかとの結論になり、至急改善工事を行うこととなった。
翌週には事態がほぼ改善したことが確認されたのだが、口コミをチェックしていた私たちは驚かされることとなった。同じ利用客から次のような投稿があったからだ。
「ある日の昼下がり、このホテルの朝食会場でインターネットを使って仕事をしていたところ、ホテル関係者と工事業者が集まり、私が指摘をしたインターネットの問題について激論されていました。そして今回宿泊したところ十分に改善されていました。ホテルの社長さんが皆を叱咤激励していた姿に感動しました。そして全員で問題を解決されようとしていた姿勢に感銘を受けました。皆さまこのホテルは素晴らしいホテルです。ぜひ泊まってください!」
口コミは利用客がただ一方的に書き込みを行い、ホテルが一生懸命謝るだけのツールではない、実は素晴らしいコミュニケーションツールであるのだと思い知らされた出来事だった。たかが口コミ、されど口コミなのだ。
(牧野 知弘)