台風19号から1年 「一緒に生きて」孫の言葉力に 転落事故で夫亡くした高橋さん 岩手・釜石

昨年10月13日、岩手県釜石市などに大きな被害をもたらした台風19号豪雨から1年。崩落した市道に車ごと転落した高橋光子さん(70)は、頸椎(けいつい)骨折などの重傷から奇跡的に回復したが、運転していた夫の研一さん(当時68歳)を亡くした。「なんで一緒に(天国に)連れて行ってくれなかったの」と晴れぬ思いを抱えながらも、「娘2人や6人の孫のために生きていこうと考えるようになった」と話す。
研一さんは、同市鵜住居町で電気設備工事会社を経営。東日本大震災で一時孤立した箱崎半島への道路を復旧させ、狩猟や釣り仲間から温厚な人柄で慕われた。
あの日午後9時前、2人は国道45号の峠近くの事業所に止めた別の自家用車を取りに行くため自宅を出た。途中、陥没した穴(長さ約20メートル、幅約12メートル、高さ約10メートル)に転落。研一さんは頭蓋骨(ずがいこつ)骨折などの重傷を負いながら、助手席の光子さんの手を引いてボンネットに避難した。病院に搬送され一時は会話できるまでに回復したが、容体が悪化し11月7日、多臓器出血などで死亡した。
事故直後に研一さんが救急車を呼ぶため、長女一美さん(44)に電話で話した時、「みっちゃん(光子さん)だけは助けねばなんねえ」と伝えていた。12月25日に退院した光子さんはその言葉の意味を考え続けている。
精神安定剤を欠かせなかったが、昨春に兵庫県淡路島などを巡った3泊4日の夫婦旅行の思い出や、「研一さんがいないと楽しくない」という狩猟仲間の言葉を考えながら、自宅窓から見える海にも色があることに気づいた。「孫の面倒を見て、お父さんの供養をするために精いっぱい生きろ、ということなのかな」と思いを巡らす。
今年4月に散歩をするようになり、5月には車を運転し、事故前の日課だった高校生の孫の弁当作りや義理の息子が継いだ会社を手伝うようになった。迎えた初盆、研一さんの祭壇で孫叶(きょう)ちゃん(5)が「じいじは帰って来ないけれど、ばあばと一緒に生きていくよ」と話した言葉に力をもらった。
市が設置した検証委員会は、崩落事故の原因を「50年に1度の豪雨で、排水能力を超える浸透水が流入して水圧が上がり、盛り土の荷重バランスが崩れた」と結論づけた。光子さんは「夫は戻ってくるわけではない。50年に1度の雨だったからではなく、二度と同じような事故を起こさないためにきちんと排水させる復旧工事をしてほしい」と語る。【中尾卓英】