会社員で選挙ウォッチャーの宮澤暁さん(35)が初の著書となる「ヤバい選挙」(新潮新書、814円)で埋もれていた選挙の“黒歴史”に光を当てた。複数の新聞記事や文献に当たり、新事実を次々と掘り起こした。政見放送で放送禁止用語を連発する候補者は最近の選挙でも目にするが、実はもっと「ヤバい選挙」があった―。(久保 阿礼)
宮澤さんは月に2回のペースで国会図書館などに通い、過去の新聞や文献を丹念に調べ上げ、初の著書を執筆した。構想から約1年。眠っていた「ヤバい選挙」の“黒歴史”を発掘した。
「金脈を探すような感覚と言ったらいいのでしょうか。インターネットで検索しても、あまり面白い事実は出てこなかったので、資料を読み込んでいく作業はやりがいがありました」
歴史的背景などにも踏み込み、内容もインパクトがあるものばかりがそろった。死人が立候補した都知事選、選挙前に人口が急増する不思議な村、選挙権がなかった島、投票所の全焼、選挙買収で議員の逮捕者が相次ぎ、議会機能が停止―。およそ「日本の出来事とは思えない」選挙ばかりが登場する。
宮澤さんが最初に興味を持った選挙は、1999年4月に実施された東京都知事選だった。鳩山邦夫氏、舛添要一氏ら著名人を含め19人が立候補する大混戦。衆院議員などを経て作家として活躍していた石原慎太郎氏が初当選を果たし、注目された。だが、中学生だった宮澤さんが注目したのは青森県の資産家として知られる羽柴誠三秀吉さん(故人)だった。
「メディアでは主要候補しか詳しく扱わないのですが、政見放送や新聞の折り込みに入る選挙公報で『羽柴誠三秀吉』を知りました。名前を見た時は『なんだ、これは』と。頭の中にクエスチョンマークが浮かびました。調べていくと『豊臣秀吉の生まれ変わりと近所の住職に言われてこの名前を名乗っている』という情報が出てきまして、謎は深まりましたね」
羽柴さんは2894票で10位に沈んだが、その後も選挙に挑戦。2007年4月、財政破綻した夕張市の市長選に立候補し、342票差で次点と大善戦した。計17回の選挙は全て落選したが、羽柴さんの生きざまは強く印象に残っているという。
宮澤さんはその後も各自治体から選挙公報を取り寄せるなど、地道にウォッチしていたが、最も衝撃を受けたのは60年4月に行われた栃木県桑絹村(くわきぬむら、現・小山市)の村長選だった。ある資料で、村の合併を巡り対立が深まり、村長選挙で最終的に202人が立候補していた事実を知った。すぐに栃木県の図書館などに足を運び、地元紙や地域紙で当時の状況を調べた。
人口約1万7000人の桑絹村は、もともと「桑村」と「絹村」に分かれていた。ともに茨城県結城市に近く、特に絹村は同市に問屋が密集している結城紬の生産地だった。56年に合併した後も対立が続き、行政サービスに支障が出るほどだった。
村長選になると、結城市との合併を主張する絹村派は選挙をボイコットしていたが、方針を転換。世間へのアピールと抗議のため、大量の候補者を送り込んだ。立候補の締め切りまでの届出数は267人に上り、最終的には202人が立候補した。候補者の顔ぶれは一家4人全員だったり、年齢も被選挙権を得た25歳2か月の男性から84歳女性まで幅広い。地元紙の県政面のほとんどが候補者名で埋め尽くされた。
村長選では合併反対派の候補者が当選。自治省(現総務省)が介入し騒動は終結するが、資料を読んでいるだけで当時の熱が伝わってきた。「合併問題は村民の生活がかかっていた。政治と生活が強く結びついていたのでしょうね」
不正が横行した青森県の「津軽選挙」のほか、国政でも票のとりまとめなどで逮捕者を出す事例は今も昔も続いている。無党派層が増え、選挙への関心は薄れているといわれる。宮澤さんは「もっと政治に関心を持ってほしい」と訴える。
「今回の本は特異な例ばかりを挙げましたが、選挙に無関心だと、もったいないですね。日本では、政治の話をするのはあまり良いことと思われない風潮がありますが、やはり生活に大きく関わってきます。この本をきっかけに選挙に関心を持っていただけたら、うれしいですね」
◆宮澤 暁(みやざわ・さとる)1984年11月4日、東京都生まれ。35歳。東京理科大理工学部卒業後、埼玉大大学院博士前期課程修了。化学企業関連の企業に勤務しながら、選挙ウォッチを開始。個性的な候補者や珍事件などをブログで発信する。2011年に同人誌で選挙に絡む珍事件など特集、発行した。