◆人間を捕食するために徘徊する
今年はクマの出没件数が過去最多を記録したという。石川県のショッピングセンターにクマが14時間も立てこもった事件や、北海道羅臼町で犬を専門に襲う「犬食い熊」が飼い犬5頭を喰い殺した事件など、ショッキングなニュースが起きたことは報道などでご存じの方も多いだろう。死亡事故も起きており、10月11日には新潟県関川村で73歳の女性が、秋田県藤里町では10月16日に83歳の女性が、それぞれに襲われて亡くなっている。NHKによれば、今年4月以降でツキノワグマに襲われ怪我をした人は、全国で123人に上るという。
クマの出没が多い理由は、エサとなる木の実の不作が第一に挙げられるが、その他にも、里山の廃屋に住み着く熊が増えたことで「人慣れ」したクマが現れ始めたことや、’18年が豊作だったためにクマの繁殖行動が盛んで、今年3歳になって親離れした若熊が、好奇心にかられて人里に下りてくることなどが考えられるという。
いずれにしても犠牲者が2名に止まっていることは僥倖と言うべきだろう。なぜなら、かつて開拓時代の北海道では、人間を捕食するために徘徊する、恐るべき「人喰いクマ」が数多く存在していたのである。さらに言えば過去50年間においてすら、凶悪な人喰いクマによる食害事件は断続的に発生しているのだ。以下、それらの中から最も凄惨を極めた「人喰いクマ事件」のいくつかを取り上げてみよう。
◆恐るべき「人喰いクマ」の実例
いわゆる「人喰いクマ事件」は、長らく「5大事件」と言われてきた。もっとも有名なのが大正4年12月に起きた「苫前三毛別事件」である。
吉村昭の小説『羆嵐』で知られるこの事件では、留守居をしていた男児と女房がヒグマに襲われて死亡し、その通夜の現場に再び姿を現した後、さらに付近住民が避難する隣家に乱入して、女子供4人を喰い殺すという「世界最悪」とも言われる獣害事件に発展した。犠牲者数は、事件後2,3年を経て死亡した1人と、胎児を含めた8人だったというのが定説となっている。
次に犠牲者を出したのが、大正12年8月に発生した「沼田幌新事件」である。この事件は夏祭の帰り道、そぞろ歩いている群集にヒグマが襲いかかるという、極めて珍しい事例である。その場で男子1人が殺された後、付近の開拓小屋に逃げ込んだ村人等を追ってヒグマも侵入し、屋内を暴れ回った。
ここで男子の母親がつかまり藪の中に引きずり込まれたが、念仏を唱える彼女の声が、長く細々と漏れ聞こえたと伝えられている。数日後に熊狩りが行われ、その過程で2人の猟師が襲われ死亡した。犠牲者は4人である。
さらに古い記録では明治11年1月の「札幌丘珠事件」が知られている。この事件は、冬籠もりしていた穴から追い出されたヒグマが空腹をかかえて吹雪の中を徘徊し、民家に押し入って、父子を喰い殺したという恐るべき事件である。銃殺されたヒグマは札幌農学校で解剖され、胃袋から取り出された被害者の遺体の一部がアルコール漬けされて長らく北大付属植物園に展示されていたことなどから、北海道ではよく知られた事件である。
このとき解剖に立ち会った学生が熊肉の一部を切り取って焼いて喰ったが、その後胃袋から犠牲者の手足が転がり出たのを見て、実験室を飛び出して嘔吐したという笑えないエピソードもある。加害熊を穴から追い出した猟師も含めて3人が犠牲となった。
◆登山中の学生が喰い殺される
大きく時代が移り、昭和45年7月に発生した「福岡大学遭難事件」も、悲惨な獣害事件として長く語り継がれている。同大ワンダーフォーゲル部員5人が日高山脈縦走中に、食料の入ったザックをヒグマに漁られ、これを奪い返したことから執拗につけ狙われて、結果的に3人が犠牲となった。学生の1人が事件の経過を克明に記録したメモが発見され、遭難中の生々しい様子が公開されたことで、世間に衝撃を与えた事件である。
最後に昭和51年の「風不死岳事件」も有名な事件として知られている。この事件では、山菜採りに山に入ったグループがヒグマに襲われ2人が喰われた。実はそれ以前に、事件現場から4キロ離れた地点で笹藪の伐採をしていた作業員が襲われるなどの事件が起きており、入山禁止が呼びかけられていたにもかかわらず、山菜採りに入ってしまったために起こった悲劇であった。
そして「第六の事件」ともいうべき事件が、平成28年5~6月に発生した「秋田十和利山事件」である。
◆凶悪化するクマ
ツキノワグマが人間を襲うことは滅多にないと言われる。排除行動として人間を傷つけ、結果的に死に至らしめた事例は数多いが、「人間を喰った」という記録はまったくなく、唯一以下の事例のみが報告されているだけであるとされてきた。
「それはよほど前のことだそうであるが、福井県下で、あるおばあさんが山菜とりに山に入ってクマにやられて死んだ事件があった。そこでその犯行の主とおぼしいクマを射殺して解剖したところ、被害者の片足が、胃の中から出たそうで、これが現在知られる限りの、わが国でツキノワグマが人を食った、唯一つの珍らしい事例だということである」(『くま』斉藤基夫 農林出版 昭和38年)
このようにツキノワグマが人間を喰うために襲うことはあり得ない……と、長らく信じられてきた。しかしこれを覆す事件が、平成28年5月に起きた。秋田県鹿角市山中で起こった、戦後最悪の獣害事件「十和利山人喰い熊事件」である。
この事件では4人が喰い殺されたが、死体の損壊には5頭のツキノワグマが関与していたとされる。このうち「スーパーK」と名付けられた若いオスの熊(体重80kg、推定4歳)が3人を喰い殺し、残り1人は「スーパーK」の母熊と推定される「赤毛」のメスの熊が関わったという。つまり人間をエサと見なして襲いかかったのは母子のツキノワグマであり、他の3頭は食害に加わっただけと見られる。近年稀に見る凶悪事件だったので、覚えておられる読者も多いだろう。
◆クマの胃から体の一部が…
しかし実は、この事件の30年前にも、恐るべき人喰いグマが存在していた。ほとんど知られていないが、昭和63年に起きた「戸沢村人喰い熊事件」がそれである。以下は「日本クマネットワーク」がまとめた『人身事故情報のとりまとめに関する報告書』からの摘記である。
昭和63年5月、山形県戸沢村の神田集落でタケノコ採りに出かけた61歳の男性が熊に襲われ死亡した。加害グマは逃亡し、駆除されなかった。その年の10月、同じ集落で59歳の女性がクルミ採りに出かけ、熊に襲われ死亡した。同月、山ひとつ隔てた古口集落で、59歳の男性が栗拾いに出かけ、やはりクマに襲われ死亡した。この2人の被害者には食害の跡が認められた。
3件の死亡事故を受けて地元ハンターが駆除に努め、ついに加害グマを射殺した。当該クマの胃からは人間の筋肉や皮膚の一部が取り出され、三人目の犠牲者の体の一部であることが確認された。この凶悪グマの頭骨には明かな損傷があったことから、次のような事実が明らかになった。
「事件発生以前に、戸沢村内で子グマが飼われており、その子グマは飼い主に大変なついていたが、成長して飼育できなくなったため山に放すことにした。クマを山に連れ出し、放獣しようと試みたが、なついたクマは飼い主から離れようとしなかった。そこで、その飼い主は持っていた棒で、熊の頭を激しくたたくと、熊は鳴きながら逃げていった」(前掲報告書)
このことから人に対して怨みを抱くようになり、事件に至ったと推定された。これら2つの事件を加えるなら、日本史上の「人喰い熊事件」は「7大事件」と言えるかもしれない。
◆歴史に埋もれた「人喰いクマ事件」
実は、こうした事件以外にも、複数の人間が喰い殺された「人喰いクマ事件」は、いくつも記録されている。
例えば大正元年に4人が喰い殺された「朝日村登和理事件」では、狩猟に山に入った村人1人がヒグマに襲われ、逃げ帰った者が危急を知らせたので、4人が救出に向かったところ、ヒグマに逆襲されて3人が噛み殺されてしまった。
また大正2年に親子3人が喰い殺された「愛別町事件」では、夜間帰宅途中の父子がヒグマに襲われ、悲鳴を聞きつけた女房も襲われ死亡した。翌朝、喰い散らかされた被害者等の人肉が散乱する現場を多くの村人が目撃したことで、地元では長く語り継がれた。大正14年に美瑛町で起きた人喰い熊事件では、釣りに出かけた2人の村人がヒグマに襲われ死亡した。当時の新聞は凄惨な現場を次のように報じている。
「胴体から上はなく、内臓はことごとく喰われ、また手足もむしり取られ、頭は崖の上に発見された、なお浜岸の死体は両足はなく、顔面は傷だらけで、内臓を喰らって土の中に埋めてあったが、実に目もあてられぬ惨状であった」(『小樽新聞』大正14年6月22日)
この事件の3か月後に再び釣り人が喰い殺される事件が発生し、加害グマは射殺されたが、市街地へ運搬途中にヒグマの口中から前日飽食した人肉が多量に吐き出され、周囲の人々は「もらいゲロ」しそうになったという。
さらに昭和10年、高山植物の採集のために山に入った男性3人が喰い殺された「樺太伊皿山事件」では、山中で血の海となった笹藪に被害者等の頭蓋骨が転がっているのが発見され、樺太全島に衝撃が走った。この事件は管轄が「樺太庁」だったためか、専門家の間ですらまったく知られていない。
このように、歴史に埋もれた「人喰いグマ事件」は数多く存在するのである。ただし、ここに挙げた「人喰いグマ」は極めて稀なケースであり、山に入る時はクマ鈴やラジオを点けるなどして人間の存在を知らせることが大切であることに変わりはない。紅葉シーズンにGOTOで山にいく方も多いだろうが、クマ対策をせずに山中深く足を踏み入れるのは非常に危険であることを念頭に置いていただきたい。
【中山茂大】
(なかやま・しげお)ノンフィクションライター。北海道出身。上智大学文学部卒。主な著書「ハビビな人々」(文藝春秋)、「笑って! 古民家再生」(山と渓谷社)、「田舎暮らし始めました」(LINE文庫)など。「渓流」(つり人社)にて砂金掘りの記事を、「ノースアングラーズ」(つり人社)にて「ヒグマ110番」を連載中