「ハンマー&ダンス」という言葉がある。
感染が拡大しているときには強力な対策を施して抑制する。小康状態を保っているときは、経済支援策に力を入れる。いわば「抑制と緩和」という意味で、未知のウイルスと闘わねばならないときの人類の要諦とも言われる。とくに都市封鎖などの超法規的措置が取れない日本の場合、この舵取りがパンデミックを乗り越えるためには欠かせない。
4~5月の緊急事態宣言後に訪れた2回目の流行の波が収まらないうちに、3回目の波はやってきた。11月中旬から新規感染者が急増し、重症者の病床がひっ迫してきた。これまでの波の大きさを凌駕する勢いで、医療機関の悲鳴が聞こえてくる。
だが、Go Toなど経済支援策にこだわる菅義偉政権の感染症対策は迷走する。Go Toと感染拡大の関連を示すエビデンスはない、との立場から、なかなかハンマーを振り下ろそうとはしないのだ。
コロナウイルスも甘くない
関係閣僚や政府関係者が菅政権に忖度するなか、政府への厳しい指摘を繰り返してきたのが東京都医師会の尾﨑治夫会長だ。
尾﨑氏はこう指摘する。
「いくらルールを順守する日本人にも、限界はある。もう国民に感染防御を頼るところからは、脱した方がいい。政府も知恵を絞って、正面からコロナにぶち当たらないと、コロナウイルスも甘くはありません。ハンマーを打ち込むところを見極めて、毅然と打ち込む。菅政権の腕の見せどころだと思います」
多くの医師会幹部を取材してきた筆者だが、尾﨑氏ほどブレない幹部は少なかった。政府与党である自民党に苦言を呈することが、医師会幹部である立場を考えれば、不利に働くことは本人が最もよく理解しているはずだ。それでも、医療現場の声を掬い上げて、国民の命を守るためには何が必要かにこだわってきた。
明らかにリスクの高い高齢者の入院が増えてきた
東京・新宿の歌舞伎町を端緒とする感染の連鎖が続いていた7月、それでもGo Toトラベルを強行しようとした政府に対して、「Not go toキャンペーン」と国民にフェイスブックで呼びかけた。感染拡大が続くうちは、人の移動や飲食を奨励する時期ではない。そう言いたかったのだ。
専門家らの意見や現場の医療従事者の声が聞こえてくる。看護師らが患者の命と自身の感染のリスクや家族への思いの狭間に立って心を乱し、病院を辞めていくことは責められない。そして明らかにリスクの高い高齢者の入院が増えてきた。12月に入ると1日の死者数も50人近くに達している。
駆け引きなしに政府に対してものを言う尾﨑氏に対して、政府は巧妙だ。専門家集団の会議に、政府にとって都合の良い統計を駆使して、Go Toと感染拡大との因果関係を否定する資料を出してくる。さらに業者から上がってきた感染者数だけを取り出して、影響は少ないことを仄めかす。
挙句には、Go Toを続けるか停止するかの判断を、地方自治体に丸投げしようとする。全国の感染状況を「俯瞰して総合的に」みられるのは国しかいないはずなのに。
「このままでは都民の命を守れない」という焦り
もちろん尾﨑氏は、経済を回すことの大切さも理解している。Go To事業では、「旅行先での感染防御マナーをしっかりしていれば抑えられる」と話していた時期もある。だが、それも感染状況とのバランスだ。いま、そういう時期なのかという疑問が、彼には拭えない。
筆者は今年3月から、テレビの討論番組やインタビュー、会見での彼の言動を追いかけてきた。このままでは都民の命を守れないという焦り、それにハンマーを振り下ろすべき時に、都合の良いデータだけでごまかし、責任をなすりつけ合っている政府への憤りが、彼を駆り立てているように見える。
将来は日本医師会長への呼び声高い尾﨑氏に、そのことを尋ねてみたことがある。すると、「そんなことを考えていたら、今を乗り切れないでしょ。いまはハンマーを振り下ろすとき」と一蹴された。
尾﨑氏は最後にこう語った。
「なかには、将来に支障をきたすのではないかとの忠告をしてくれる人もいます。ぼくの将来って、何を指しているのかわかりませんが、感染拡大を防ぐために信じた言葉を紡ぐことは、いま最も必要だと感じています。そこはブレずに、筋を通したいと思う。国民が安心して正月を迎えられるように、ぼくも、頑張ります」
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尾﨑治夫・東京都医師会長のインタビュー「 菅首相よ“ハンマー”を振り下ろせ 」の詳細は「文藝春秋」2021年1月号および「文藝春秋digital」をご覧ください。
(辰濃 哲郎/文藝春秋 2021年1月号)