鹿児島県立高校の1年生だった2014年に自殺した男子生徒(当時15歳)の母親(58)が、県教育委員会の対応に不信感を募らせている。県の第三者委員会は19年、背景に「いじめがあった」と認定。事実を知りたい母親は、その後も学校や県教委に説明を求め続け、1月22日にようやく実現した。しかし、県教委側の説明の内容は乏しく、母親が新たに得られた情報はほとんどなかった。
県教委設置の第三者委「いじめ特定できず」
亡くなったのは、田中拓海さん。遺書は残されていなかった。母親の依頼を受けて拓海さんが通学していた高校が生徒にアンケートをしたところ「拓海さんのかばんに納豆を入れられていたというのを聞いた」「スリッパを隠されていた」などの記載があった。
いじめについて、国は13年に「心理的、または物理的な影響を与える行為により、当事者が心身の苦痛を感じているもの」と定めている。アンケートの回答は、いじめを示す内容だった。ところが、県教委が設置した第三者委員会は17年3月、拓海さんへの嫌がらせは確認できず「いじめを特定できない」と結論づけた。個別に聞き取りした生徒は3人だけだった。
「到底納得できるものではない」。憤りを覚えた母親は、県に再調査を求めた。これに応じた県は、新たな第三者委による調査を始めた。
新たな第三者委が調査「いじめが大きな影響」
第三者委は同級生ら136人に書面で質問をし、さらに46人には個別で聞き取りをした。その結果、「納豆巻きがかばんに入れられた」「スリッパが隠された」という事実がはっきりした。拓海さんが「クラス内の居場所が失われる」と強い不安感を抱き、うつかそれに近い精神状態に陥っていた可能性があることも明らかになった。
調査により、学校の落ち度も浮かび上がってきた。こうした複数の兆候がありながら、いじめや拓海さんの精神状態に気づかず、夏季補習に出席できずにいる拓海さんに電話をかけるなどして精神的に追い詰めていた。拓海さんの死後も、教師2年目の副担任1人に遺族への対応を任せきりにしていたほか、亡くなるまで3日間、拓海さんが学校を欠席していた事実を県教委に報告していなかった。
県の第三者委は19年3月、「いじめを中心とする学校での事情が、拓海さんに大きな影響を与えた」という報告書をまとめた。拓海さんの死からいじめの認定まで4年以上がかかった。
「なぜ4年の月日を要したのか」「いじめに苦しむ息子に、現場の教員はどんな思いで、どう行動したのか」「県教委はどういう対応をしたのか」。母親には、この報告書でも拭えぬ疑問が湧いた。県教委に尋ねても今度もらちが明かず、県を通じてやっと1月22日に説明の場を設けてもらった。県の第三者委による報告書が公表されてから、2年近くがたっていた。
母親「今日でおしまいにしたいとやって来たのに…」
ようやく実現した機会に、母親は当時の担任ら10人に対して、計104項目の質問を用意して臨んだ。マスコミへの公開を望んでいたが「教員の個人情報やプライバシーに配慮し、率直に説明できる環境を確保する必要がある」(県教委)と公開してもらえなかった。
県教委側は、当時の校長や担任、県教委の担当者ら計9人が出席。拓海さんの死の直前に拓海さんと直接電話で話し、当時の様子を知る上で母親が最も会いたいと願っていた副担任は「健康上の理由」で欠席した。
県教委側の説明は、約7時間に及んだ。その後、記者会見した母親はまず「直接聞く機会をいただけたことはありがたい」と謝辞を述べた。ただ、気分は晴れていなかった。聞きたいことをうやむやにされたようで、納得できる内容ではなかったからだ。
母親らによると、学校側は「当時はいじめの認識はなかった」と説明した。県教委の調査が不十分で県の再調査によりいじめが認定された今も、県教委の調査結果をなぞって本当にいじめがあったと認めているのか分からないような、ぼやっとした回答が多かった。
「今日でおしまいにしたいとやって来たのに、こういう形になり、むなしさを覚えた。私自身が消耗してしまい、今後のことは今は考えられない」。会見で涙ながらに語った母親の言葉からは、自分たちの身内には配慮は見せながら、母親への疑問に真摯(しんし)に応えようとしない県教委への不信が感じられた。
県教委「可能な限り説明は尽くした」
県教委の前田光久教育次長は会見で「可能な限り説明は尽くした。満足がいかないということであれば非常に残念」と述べた。【足立旬子】
いじめなどの相談窓口
・24時間子供SOSダイヤル=0120・0・78310(なやみ言おう)、年中無休、24時間
・児童相談所全国共通ダイヤル=189(いち早く)、年中無休、24時間
・子どもの人権110番=0120・007・110、平日午前8時半~午後5時15分
・チャイルドライン=0120・99・7777、毎日午後4~9時(18歳まで)