「10年前を思い出した」 福島・宮城震度6強 不安抱え片付け

2011年3月に起きた東日本大震災の被災地を大きな揺れが襲った。福島、宮城両県で震度6強を観測した13日深夜の地震。津波の被害こそ確認されていないものの、震災の被災者には、まもなく10年を迎えるあの日の記憶がよみがえる人もいた。しばらくは同規模の地震に警戒が必要で、住民らは不安を抱えながら片付けに追われている。
「相当強く揺れ、10年前を思い出した。家族が仙台市におり、連絡を取り合っているが心配だ」。震度6弱を観測した宮城県石巻市に住む40代男性は不安そうに語った。
同市は東日本大震災による津波で甚大な被害を受け、市町村別では最多となる3695人が死亡・行方不明になった。男性も津波で市の沿岸部にあった自宅が全壊。今は市の内陸部にある戸建て住宅で暮らす。今回の地震で、自宅の食器棚や机の引き出しが飛び出した。同居する20代の長男は「10年前も2日前に地震があった後、震災が起きた。また地震が来るかもしれず、落ち着かない。津波の心配はないというが、避難に備えてすぐに着替えた」と話した。家族で手分けし、停電に備えてご飯を炊いたり、飲み水を確保したりしたという。
市内では地震後、深夜にもかかわらずガソリンスタンドで給油を待つ車が列を作った。震災でガソリン不足に陥った経験からだ。高台には、津波を警戒して避難する人の姿もあった。
震災で沿岸部の自宅が流された宮城県名取市の契約社員、三浦七海さん(21)は「10年前の地震が頭をよぎり、泣き叫んだ。家族がすぐに部屋に来て慰めてくれたが、30分以上震えが止まらなかった」と明かす。その後も余震が続き、この日は眠れぬ夜を過ごしたという。同県南三陸町の自営業、高橋才二郎さん(71)も「今回の被害は棚から物が落ちたり、壁にひびが入ったりしたくらいだが、また津波が来るのではと恐ろしかった」と話した。
福島県や宮城県では約250人が一時、避難所に身を寄せた。福島県相馬市の海岸近くから避難してきた長沢忠信さん(86)は「足が悪いし、怖くて動けず、布団をかぶって揺れが収まるのを待った。10年前は横に揺れたけど、今回は縦にドーンと揺れた気がする」と震災を思い出していた。
震度6弱を観測した福島市の繁華街では、飲食店主らが割れた食器などの後始末に追われた。福島市置賜(おきたま)町の料理店「味乃桃の井」では、1階の厨房(ちゅうぼう)で食器が散乱。2階では酒瓶の大半が割れ、アルコールのにおいが充満していた。同店代表の桃井優吉さん(50)は「10年前もこんなのを経験したが、今回の方が被害はひどいと思う。何から手を付ければいいのか」と途方に暮れていた。
福島市では、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて断続的に行われていた飲食店の営業時間短縮要請が14日に解除された。桃井さんは時短要請を受けて完全予約制にしていた営業を、15日から通常通りに戻す予定だったといい、「これからって時なのに……」とため息をついた。【百武信幸、面川美栄、菊池陽南子、磯貝映奈】