東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が先週末、辞任表明に追い込まれた。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言される」といった発言が問題視されていた。国際オリンピック委員会(IOC)の関係者や、五輪スポンサー企業も批判していた。
この問題は、国内外で認識差があった。
国内では当初、失言癖のある森氏の発言を大きな問題とは捉えていなかった。初報は扱いが小さく、関係者の反応も鈍かった。海外メディアやIOCの関係者が問題視しはじめると、日本のメディアや野党の政治家も問題視しはじめた。
国内では、森氏の発言を単に「女性蔑視」や「女性差別」と処理しようとしていた。これでは、「たわいもない軽口」とも言える森氏の発言が、海外でここまで問題視される理由は理解できない。
「オリンピック憲章」は、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」と規定している。
「人種、肌の色、性別…」は、自分の意思や選択によらず、それゆえ自身では責任を負うことのできない「属性」を指す。そのような属性による差別は許されない、属性で一くくりにして個を顧みないことは認められないとするものだ。
森氏の発言は、女性という属性そのものを否定したものと捉えられた。そして、この文脈では特定の人種や民族を否定し、ホロコースト(ユダヤ人絶滅政策・大量虐殺)や、ジェノサイド(集団殺害)などを肯定したのと同列の行為とされたのだ。
その意味では、森氏を「老害」と批判するのも年齢差別であり、男性の五輪関係者が森氏の発言を黙認したことを「男は群れるから」とするテレビ司会者の批判も性差別に当たる。「韓国人は嘘つき」「性的少数者は『生産性』がない」などは当然、アウトだ。
私は女性差別に反対だが、属性による評価を一切認めない発想には違和感がある。属性が個性をつくりもするからだ。
だが、五輪憲章に示された発想が、今日のグローバル・スタンダードになっていることも事実だ。評価は別としてそれを正確に理解し、頭を切り替えなければならない。これ以上の「失敗」をしないためにも、である。
■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。皇室法制、家族法制にも詳しい。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。内閣官房・教育再生実行会議有識者委員、山本七平賞選考委員など。法制審議会民法(相続関係)部会委員も務めた。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『公教育再生』(PHP研究所)、『明治憲法の思想』(PHP新書)など多数。