剣術「新陰流」の情報求む 継承努める伊賀「碧燕会」が調査開始

新陰流の剣術を学び、伝えようと三重県伊賀市で稽古(けいこ)をしている「新陰流兵法(ひょうほう) 碧燕(へきえん)会」が伊賀地域で新陰流伝承の情報収集、調査を始めた。会は「伊賀は新陰流と縁が深い」と情報提供や調査、研究への参加を呼びかけている。【大西康裕】
碧燕会は会長で横浜市から移住してきた横田正和さん(47)が2019年、それまでの所属団体から独立して伊賀市で設立した。
新陰流は戦国時代の兵法家の上泉信綱を祖とする。新陰流と伊賀の縁の深さを示すものとして、碧燕会は藤堂藩の伊賀の藩校だった崇広堂に新陰流や新陰流由来の流派の武芸を教える道場があったことを挙げる。
新陰流は信綱から柳生石舟斎宗厳(むねよし)に伝わったとされ、石舟斎の子が徳川将軍家の剣術指南役として知られる但馬守宗矩(むねのり)。当時の柳生家は小説や漫画、映画の題材になっている。
碧燕会によると、この柳生家に連なる津田武左衛門直勝が藤堂藩に召し抱えられ、「小太刀の名手」といわれた。同会の調査では、津田武左衛門には新陰流の先生という表の顔とは別に暗殺者の気配があり、その指示は柳生宗矩の子の十兵衛三厳(みつよし)が出した――と読める文書があった。十兵衛の暗殺指令は父宗矩側の人物を標的とし、父子の確執をうかがわせるという。
さらに伊賀と新陰流の縁の深さを象徴する人物として碧燕会が挙げるのは、現在の伊賀市小田町付近が舞台の「伊賀越(ごえ)の仇(あだ)討ち」(鍵屋の辻の決闘)で名高い剣豪の荒木又右衛門。又右衛門は新陰流の門下にもなったといわれる。十兵衛と又右衛門は生きた時代が重なり、同会は2人の接点も探っている。
碧燕会が継承に努める新陰流は、石舟斎から孫の柳生兵庫助(ひょうごのすけ)利厳(宗矩の長兄の子)を経て尾張藩に伝わった流れをくむ。同会は毎週土曜、伊賀上野武道館(小田町)で地元の会員らが稽古に励んでいる。