歯列矯正内閣・菅政権によって導かれる、破滅的局面<著述家 菅野完>

◆菅総理はなぜ歯の矯正を始めたのか

新しい総理が就任すると、その総理をテーマにした書籍が玉石混淆多数出版されるのが通例だ。しかし総理就任後半年になるというのに、菅総理の場合はその数が極めて少ない。保守論壇人による組織的なメディア工作・出版工作が総裁選前から始動していた安倍前総理の場合を例外として、野田佳彦、菅直人、鳩山由紀夫などの民主党政権時代や、それ以前の自民党歴代総理と比べても、実に少ない。あったとしても、単に安倍政権時代の官房長官としての菅義偉をあげつらった、半ば悪口雑言に近い物ばかりで、見るべきものはほとんどない。

唯一と言っていい例外が、昨年末出版された読売新聞政治部『喧嘩の流儀 菅義偉、知られざる履歴書』(新潮社)だ。読売新聞の政治部がこれまで蓄積した菅義偉に関する取材成果をまとめたもので、新任総理の横顔や背景が窺い知れる貴重な一冊に仕上がっている。単なる事実の羅列にとどまっている点が、惜しいと言えば惜しいが、その分だけ貴重なエピソードが満載だとは言える。

その中に、気になる記述があった。

「9月19日、菅は官邸で一般討論演説の事前収録に臨んだ。その際、ビデオカメラに向かって、『総理になると思っていなかった。だから、こんなのやっているんだ』と、矯正治療中の歯を見せて笑ったという」

このエピソードは、安倍晋三と菅義偉が対立しなかった理由を探る箇所で登場する。安倍晋三が政界のサラブレッドであるに対して、菅は「叩き上げ」。自ら参謀タイプと任ずる菅とデビュー当時から総理候補と目された安倍は、棲み分けができていた。だから長期間にわたり対立が避けられていたのだと読売新聞政治部は言う。その安倍が退陣する。それまで総理の座に色気を見せてこなかった菅が天下取りに具体的に動き出したのは、安倍の退陣が不可避となった前後からに過ぎない。その急遽さと慌ただしさの傍証として登場するのが、先程引用した「歯の矯正」のくだりだ。

この「歯の矯正」の一件が印象的なのは、菅義偉の天下取りの慌ただしさを物語るだけではなく、彼の政治手法をも見事に表現しているからに他ならない。

安倍晋三の思惑、二階俊博の動き、麻生太郎の特殊な利害、そうした要素をつむぎ合わせれば、準備期間は短くとも天下は取れる。そう踏んだ菅義偉の勝負勘はなるほど素晴らしいものがあるのだろう。しかし、天下を取った後に「歯の矯正」に手を出すことには、どうしても、浅薄さ、姑息さという印象がついてまわる。どこかしら、やることなすこと全てが、アドホックなのだ。

菅にしてみれば、「リスペクタブルな立場の人間は、歯並びを美しく整えるものだ。とりわけ欧米列強の要人などはその点を心得ている」という巷説に従ったまでなのだろう。だからこそ、実質的な外交デビューである国連の一般討論演説の録画に際してその様子を周囲に披露したのだろう。「ほら。俺も、諸外国の要人と付き合う用意をしてるのだぞ」と言いたいわけだ。

確かに歯並びの美しさは人前に立つ人間として重要ではあろうが、決してそれだけが要人に必要な要件ではないし、菅義偉に要人としての不足部分があるのは歯列だけではないはずだ。だが、さまざまな不足を補うために手を出したのが、取り外し可能な器具に頼ることができすぐ手がつけられる歯列矯正だった。

◆全てが借り物、全てがアドホック

菅の政策や政治手法も歯列矯正のような手法がメインとなっている。

この半年、菅独自の目玉政策として登場したのは、携帯電話料金の値下げと、不妊治療の無償化の二つしかない。確かに双方ともに市民生活に直結する問題ではある。しかしながら双方ともに深淵な思想に根付いたものでもなんでもない。いつでも脱着可能な小手先の政策に過ぎず、言ってしまえば「お前ら、値段が下がったら喜ぶんだろ」とばかりに、価格調整という餌をぶら下げているに過ぎない。その裁量の権限が法的に内閣総理大臣に付与されているかどうかは別として、菅自身が行ったことは裁量の発動でしかなく、調整や議論や根回しは一切ない。その意味では村役場の役人でもできる仕事でさえある。

物議を醸すこととなったカーボンニュートラルもそうだ。これも標語を掲げただけであって、菅自身の口から、地球温暖化防止が日本の国益にどう結びつくのか、あるいは彼の抱く国家観で環境対策がどのような意味を持つのかが語られたことはない。単に流行りの言葉に飛びついただけに過ぎない。

あらゆるものを外部のあり物・借り物でアドホック的に処理する歯列矯正的手法の究極的な事例が、総裁選の際に菅が掲げた「自助・共助・公助」の標語だろう。標語を掲げるのが悪いわけではない。ただ、この標語は防災分野で阪神淡路大震災頃から使われていたありものの標語で、東日本大震災以降、ある種の流行を見た標語だ。総理としての経綸を問われた際にも、このように菅は、あり物・流行り物の標語を外部から借用することでしのいでいる。歯列矯正に飛びついたのと全く同じだ。全てがその場しのぎ、全てが借り物、全てが流行り物。そして全てがアドホック。そこに思想や経綸や大方針などといったものは一切存在しない。

政策面における安倍晋三との最大の違いはまさにここだろう。安倍晋三はそれを披瀝することがかえって自分の無教養さ・能力の低さを開陳することに繋がる代物であるとはいえ、「アベノミクス」しかり「日本を取り戻す」しかり、彼なりの国家観やビジョンがあった。安倍の政策は、その内容は児戯に等しく愚者の戯言でしかないにせよ、児戯なり愚者なりの基本的な大方針から導き出されるものであった。従って、その政策を協議する官僚たちも、内心で安倍の無教養さを嗤いながらも、議論も対応もできただろう。方針がありさえすれば、たとえそれが愚者の立案によるものでも、修正も補強も可能だ。

しかし菅とはそうした作業ができない。いや、対応不能と言うべきだろう。全てが借り物、全てがその場しのぎ、全てがアドホックである以上、議論など成立しないではないか。

◆迫りくる破滅的局面

菅のアドホックな歯列矯正的手法は、政策面のみならず人事面でも遺憾なく発揮されている。

「菅は自民党総裁選中の9月13日、フジテレビの番組で『私どもは選挙で選ばれている。何をやるか方向を決定したのに、反対するならば異動してもらう』と宣言したこともある。官僚の言うなりにならず、人事での信賞必罰を官僚操縦術として使うことをためらわない菅は、いつしか霞が関全体から恐れられる存在となっていった」

と、前掲書で読売新聞政治部は書く。自分の方針に従わなければ異動だと迫ることは「信賞必罰」でもなんでもない。そもそもそこには「賞」がなく「罰」しかないではないか。その態度は、端的に弾圧と表現する方が適当だ。

読売新聞政治部の語用の間違いはさておき、確かに、竹中平蔵総務大臣の下で「辣腕」を振るっていた頃から菅は、反対する官僚の首を容赦なく切ることで有名ではあった。その意味では、「霞が関全体から恐れられる存在」ではあるのだろう。ただそこには、官僚たちと真剣に向き合い議論し組織を束ねていくといった気概も工夫もない。ただただ、邪魔になるものを排除し、新しい首にすげ替えるだけ。程度の低い会社によくいるブラック経営者・ブラック上司となんら変わらない。

邪魔になる官僚や反対する官僚を次々と馘首する手法は、「恐怖による支配」と言えば聞こえはいいが、問題の根源的解決を避けているという意味において、その場しのぎ、アドホック的な対応でしかない。菅にしてみれば、官僚とて、脱着可能な歯列矯正器具のようなものに過ぎないのだろう。

安倍晋三時代の官邸と比べ、菅義偉の官邸がその調整能力や政策立案能力に劣ると指摘する声は多い。当然のことだろう。先に指摘したように、標語レベルから具体的政策に至るまで単にあり物・流行り物を借りてくるだけ。人事手法は「信賞必罰」とは程遠い単なる首のすげ替えに過ぎない。あらゆることがアドホックである以上、どんな優秀な人物が補佐にあたろうとも、仕事になるはずがない。あらゆるものが歯列矯正の器具のように外部からの借り物であり内発的必然性がないのだから、そもそも、補佐も調整も成立し得ないのだ。

コロナ対策、オリンピックの開催危機など、まさに100年に一度の国難に我々は直面している。これまでの菅義偉の対応を見ているとこの国難に対しても、全て歯列矯正的手法=あらゆるものが借り物であらゆるものがアドホック=でしのごうとしている。この手法ではとてもこの難局を乗り越えることはできない。全てを借り物で済ませ、その場しのぎの対応に終始する、身体性や内発的必然性のないリーダーに、危機は乗り越えられないのだ。菅が総理である以上、破滅的な局面が必ずやってくるだろう。

我々は早晩、その破滅的な局面に、文字通り、歯を食いしばって耐える必要に迫られるに違いない。

<文/菅野完>

すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」も注目されている

<記事提供/月刊日本2020年3月号>

【月刊日本】

げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。