「なぜ犯罪者を守るのか」刑事弁護人に対する“批判”に弁護士・亀石倫子が導き出した“答え”とは

ドラマや映画における刑事弁護人は、冤罪を押し付けられている被告人の無罪を獲得するために奔走する“正義の象徴”として描かれることがほとんどだ。しかし、現実には被告人が既に罪を認めており、その弁護を担当するというケースも決して珍しくない。それだけに「刑事弁護人はなぜ犯罪者を守るのか」といった批判や疑義を投げかける人も現れる。
そうした声を当の刑事弁護人はどのように考えているのだろうか。ここでは大阪府警GPS捜査違法事件や風営法ダンス営業規制事件、タトゥー彫り師医師法違反事件など、さまざまな事件で弁護人を担当してきた弁護士の亀石倫子氏、ライターの新田匡央氏による共著『 刑事弁護人 』(講談社現代新書)の一部を抜粋。“刑事弁護人”としての彼女の矜持を詳らかにする。
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刑事弁護人として
1974年6月に北海道小樽市に生まれた亀石は、小説家で翻訳家の伊藤整、映画監督の小林正樹、お笑いコンビ「極楽とんぼ」の加藤浩次などを輩出した小樽潮陵高校を卒業した。都会に憧れて東京女子大学文理学部に進学する。だが、そこからの4年間は「暗黒時代」だった。都会育ちの裕福な家庭で育った「お嬢様」たちに囲まれて怖気づき、何かに挑戦する勇気が持てなかった。親しい友人もほとんどできず、孤独だった。
大学の4年間で手にしたのは、自分に自信が持てず、田舎者が東京に負けた敗北感──そんな思いを抱えて小樽に戻る。就職は、大手通信会社の札幌支店に決めた。小樽から長距離バスで通勤する毎日を送るが、ここでも環境になじめなかった。
総合職で採用されたのに、女性だけ制服があった。入社してそれを見たとき「辞めたい」と思った。大人になってまで、人に決められた服を着るのが我慢できなかった。しかも、20代の若手と50代のベテランが同じ制服を着ている。自分が50代になったときに制服を着て仕事をする姿が想像できなかった。
「どうしてあなたはみんながやっているのにやらないの?」
毎朝、職場の社員全員で行うラジオ体操も意味がわからなかった。上司に呼ばれ、「どうしてあなたはみんながやっているのにやらないの? どうして職場の和を乱すの?」と怒られた。周囲はみな、文句を言いながら従っていた。会社にいたら、おかしいと思っても黙って従う人間になりそうで怖くなった。2000年12月、同僚との結婚を機に3年8ヵ月の会社員生活を離脱。年内には、夫の勤務する大阪に移った。
亀石は、仕事そのものは好きだった。望んで退職したものの、無職になる気はなかった。リクルートなど数社に中途採用の履歴書を送ったが、面接すらしてもらえない。少しは名の知れた東京の大学を出て、大手企業に3年8ヵ月勤務したところで、即戦力にもならなければ、第二新卒として期待もされない。
目標を、資格取得に切り替えた。大きな組織の中で、いてもいなくてもいい歯車の一つになるのではなく、自分の仕事が社会の役に立ったり、人に何かを伝えられたりする仕事に関わりたいと考えるようになったからだ。
一生続けられる仕事を探して
いくつかの資格を検討した。だが、少し勉強するだけで取れるような資格は、すぐに役に立たなくなると思った。一生働きたいと願う亀石には、そんな資格が通用し続けるとは思えなかった。
小さいころから「何者かになりたい」と思って生きてきた。誰ともなじめなくても「どこかに自分がいるべき場所があるはずだ」と思い続けてきた。その願望と、一生続けられる仕事という条件に合致したのが弁護士だった。亀石が弁護士に目標を定めたのは、会社を辞めてから3ヵ月後のことだ。
2001年4月から司法試験予備校で学び、2年間猛勉強を重ねた。2003年の旧司法試験で「択一式試験」に合格。しかし、論文試験はまったく歯が立たなかった。2年間必死に勉強すれば、マークシート式の試験には合格できる。でも、論文試験に受かるほどの法的思考力はほとんど身につかなかった。
このままでは受からない。悩んだ末、法科大学院で勉強する道を選択する。
刑事弁護人にしか明らかにできない“真実”
2004年に法科大学院を受験、公立・私立などいくつかの合格証書を手にした。学費のことも考え、公立の大阪市立大学の法科大学院を選んだ。2年間の法律既習者コースで学び、2007年の新司法試験を受験する。不合格。翌年ふたたびチャレンジ、合格者2000人余りのなかで1800番台というギリギリのラインで合格。2008年12月から司法修習生として1年間の研修を受け、2009年12月に修了し弁護士登録を果たす。弁護士を志してから、9年が経とうとしていた。
法科大学院時代に有能な刑事弁護人に出会った亀石は、彼らにしか明らかにできない真実があることを知る。以降、刑事弁護人になることを目標に定めた。男社会の弁護士業界、若くもない、司法修習生としての成績も悪い。とても採用されるスペックではなかったが、刑事弁護人になりたいという熱意を買ってくれた大阪パブリックに採用された。こうして2010年1月、亀石は弁護士としてのキャリアをスタートさせた。
“イソ弁”としてキャリアを始動
亀石は、事務所に雇われる「居候弁護士」──通称「イソ弁」である。イソ弁は、事務所
に来る事件、所長に来る事件、先輩に来る事件を手伝いながら仕事を覚えていく。
最初は、戦場に赴く兵士のような気持ちで事務所に通った。男も女も関係ない。先輩に「接見行ける?」と聞かれれば、どんなに遠い警察署でも引き受けた。おかげで大量の事件を経験し、少しずつ刑事弁護人としての「勘」のようなものが培われた。
残虐な事件を起こしたと疑われている被疑者と会っても、いつしか驚きも、恐れることもなくなった。被疑者や被告人に偏見を持つと真実が見えてこない。どんなに極悪非道と思える事件でも、累々と積み上げられた前科があっても、ひとまずそれは脇に置いてフラットな気持ちで話を聞く必要がある。彼ら、被疑者や被告人は、最初から弁護人を自分の味方だと思っているわけではない。まずは仲間だと思ってもらえなければ、何も始まらない。偏見や先入観を排し、被疑者や被告人と同じ目線に立つ。刑事弁護人として必要不可欠な資質だと亀石は考えている。
弁護士は被害者・遺族の敵なのか
「刑事弁護人は、なぜ犯罪者を守るのか」
「どうして刑事弁護人は、悪いことをしたヤツらの弁護ができるのか」
「被害者や遺族の心情を、刑事弁護人は少しでも考えたことがあるのか」
「刑事弁護人は犯罪者の味方。だから、被害者や遺族は弁護人の敵だ」
「刑事弁護人は犯罪者の刑期を短縮することで、再犯罪が起こるのを助長している」
被疑者・被告人の弁護活動を行う刑事弁護人に対して、しばしばこのような疑義・批判の視線が向けられることがある。亀石もまた、こうした問いかけを何度も受けてきた。
被害者や遺族の側からすれば、そのように思われるのは無理のないことだし、理解できる。ただ、「刑事弁護人」という仕事の本質が、あまりにも社会から理解されていないようにも感じている。
彼女の考え方にもっとも近いのは次の言葉だ。
罪を犯したと疑われている人の権利を守ることは、自分を守ることでもある。
自分が弁護をしている被疑者・被告人は、もしかしたら自分だったかもしれないという感覚がある。
正当な手続きで裁判を受けるために…
犯罪をしたと疑われて自分が逮捕され、起訴され、裁判にかけられたとする。その過程で、自分の行為が必要以上に捻じ曲げられるかもしれない。実態よりも過度に悪質だと判断されるかもしれない。いくら「真実」を語っても、聞く耳を持ってもらえないかもしれない。さまざまな方法で自白を迫られ、ありもしない「事実」を言わされるかもしれない。いちど被疑者・被告人の立場に置かれれば、どんな有名人だろうと、有力な政治家だろうと、裕福であろうとも、たった一人で国家権力と対峙する、一人の無力な人間なのだ。刑事弁護人がそばにいなければ、正当な手続きで裁判を受けられないかもしれない。
被疑者・被告人と捜査機関との間には、アリと象ほどの歴然とした力の差が存在する。捜査機関は強大な国家権力であり、強力な捜査権限に基づいて証拠を集められる。だが被疑者・被告人は身体を拘束され、自己に有利な証拠を集める手段も権限も資金も極めて限られている。
この圧倒的な力の差を無視して、公平・公正な裁判などできない。そこで、憲法は被疑者・被告人に適正な手続きを受ける権利(第31条)、弁護人を依頼する権利(第37条)、黙秘権(第38条)を保障することで、両者を対等な当事者と位置づけようとする。対等な当事者として公平・公正な裁判が行われなければ、被告人に刑罰を科す判決の正当性が担保されないからだ。
被疑者・被告人と弁護士の自分は無関係な世界の人間ではない
こうした手続きのなかで、刑事弁護人は被疑者・被告人に与えられた正当な権利に基づいて依頼される。被疑者・被告人に与えられた権利を最大限行使し、強大な国家権力である捜査機関と対峙する役割を担う。国家権力が適切に行使されているのかをチェックする──それが刑事弁護人の重要な役割なのだ。
亀石は、被疑者・被告人が自分とは無関係の世界の人だとは思っていない。彼らも自分も同じ社会に生きている。彼らに起きることは、いつ自分の身に起こってもおかしくないと思うと、傍観者ではいられない。
罪を犯した疑いのある者の権利さえも守られるのが法治国家
「GPSを勝手に車につけられた」と黒田から聞けば、勝手に自分の車につけられる事態を想像する。自分が知らない間に、警察によって自分の行動が洗いざらい把握されるかもしれない。黒田の権利が侵害される事態は、いつか自分たちの権利が侵害される前触れかもしれないのだ。
「黒田は悪質な窃盗犯だ。悪い奴なんだから、警察から勝手にGPSをつけられて行動を確認されたって文句を言えるような人間ではない」
そのように考えるのは簡単だ。だが、結局、令状を取得せずに行ったGPS捜査は、黒田のような被疑者や被告人だけの問題ではなく、自分たち国民の問題でもあるのだ。「罪を犯すヤツの権利など守らなくていい」という考え方は、いずれ、罪を犯していない人間の権利さえも守られない社会を受け入れることになる。
それを法治国家と呼べるか。
罪を犯した疑いのある者の権利さえも守られる。それが、法治国家ではないか──亀石はそう思うのだ。
犯罪のきっかけは誰にでも起こりうるようなこと
これらの理屈は、刑事事件とは無縁の市井の人々には理解しにくいかもしれない。実際は、被疑者・被告人の立場に立ってみなければ、なかなか現実味が湧かないだろう。
多くの人々は、自分は犯罪とは無関係であり、生涯罪を犯すことなどないと思っている。だが、これまで250件以上の刑事弁護を経験し、あらゆる犯罪の被疑者・被告人に話を聞いている亀石からすれば、自分が犯罪者にならない可能性がゼロだとは到底思えない。
なぜなら犯罪のきっかけは、誰にでも起こりうるようなことだからだ。
たとえば、ある40代後半の女性は精神的な病によって職を失い、あまりにも金がなくて老女の買い物袋をひったくった。ある20代の女性は、食べては吐くという過度なダイエットが原因で摂食障害になり、食料を盗むようになった。ある80代の男性は、一人で認知症の妻を介護するなかで将来を悲観するようになり、無理心中を図った。ある30代の女性は、孤独な育児で産後うつになり、わが子に障碍を負わせてしまった。
自分が「そちら側」に行くはずがないとは、絶対に言い切れない。彼らが自分かもしれないという危機感は、心のどこかにいつもある。
だからこそ、亀石は刑事弁護人として被疑者・被告人の弁護を続けている。
(亀石 倫子,新田 匡央)