町田市が神奈川県になった?…駆け巡るうわさの背後に一大計画

東京都町田市が神奈川県になった!? 昨年12月、そんなうわさが街を駆け巡った。隣接する同県との結びつきが何かと話題になる町田市が、とうとうあちら側に“編入”されたというのだ。真相を追ううちに、歴史深いひと筋の「川」の存在に行き当たった。うわさは真実であったばかりでなく、神奈川県が町田市になったりもしていたわけで――。(中川慎之介)
多摩地域の南端に位置する町田市。地図で見ると、神奈川県にくさびを打つような姿だ。JR横浜線に乗って町田駅を訪ねる。駅のすぐ南を都県境が走り、交差点「町田駅南」の所在地は相模原市。街を歩けば神奈川中央交通のバス……。失礼ながら、時に「神奈川県町田市」と

揶揄
( やゆ ) されるのもうなずける。
とはいえ、本当に編入するともなれば大ごとだ。どういうわけなのか、市役所で総務課担当課長の永野修さん(58)に尋ねると、うわさは「事実」だとあっさり認めた。「都県境の川を越えて存在する『飛び地』を解消しているんです」
飛び地が生じた理由はこうだ。町田・相模原両市の都県境は、もともと町田市西部から南東に流れる「境川」に沿って定められた。しかし、ぐねぐねと蛇行するこの川は増水でたびたび氾濫。都や県が1980年代から現在まで、川筋をまっすぐにする工事を続けている。一方、既に定められた都県境は蛇行したままで、その結果、川の両岸に両市の飛び地が点々と生まれた。
両市は90年代の半ば頃から、何かと不便な飛び地をなくし、新たな川筋に沿って境界線を変更する事業に取り組んできた。町田市が川向こうの飛び地を、相模原市に組み入れることもあれば、当然、逆もある。
2年前に担当になり、詳しい事業内容を知った永野さんは「これほど遠大な計画とは……」と驚いたという。川沿いの約20キロに点在する飛び地を、地権者の同意を得ながら一つ一つ解消し、計12キロ超を終えた。直近の飛び地解消が、例のうわさが流れた昨年12月のことだったのだ。
橋本駅(相模原市)から北へ15分ほど歩くと、境川にぶつかる。「寿橋」を渡った先は町田市だ。そこで生まれ育った町内会長の比留間好之さん(73)に話を聞くと、「ほんの数十メートル先でも橋を渡ればヨソ」という意識なのだそう。
実は今回、飛び地が解消されたのがこの周辺。川の北側にあり、長く相模原市の飛び地だった「小山町三ツ目広場」も町田市に編入された。
比留間さんから見て、かつて川向こうだった土地が河川工事で町田側にきて、広場が設けられた。広場では比留間さんら町内会メンバーが草刈りや花壇の手入れをし、地域の夏祭りやラジオ体操も催されてきた。皆さん、橋を渡らずとも無意識に“都県境越え”を繰り返していたことになる。
地元の珍事がうわさになっているとは知らなかったという比留間さん。「ずっと慣れ親しんできた広場がつい最近まで神奈川県だったなんておかしな話だ。名実ともに町田市になって、より大切に使わせてもらわなきゃ」と苦笑していた。
境川の歴史に詳しく、町田市の観光案内人も務める桑原秀夫さん(81)によると、豊臣秀吉が行った検地の記録にも<相武の国界とし、境川と称す>とあり、この川は当時から相模と武蔵の国の“境”とされていたとわかるという。
古くから、川にまつわるうわさも多い。町田側から、相模原側の神社にお参りに行く人々を川に引きずり込むカッパが目撃されたり、嫁入り行列が川を越える際、花嫁の姿が消えて「縁切り橋」の俗称で忌まれた過去を持つ橋があったり……。
桑原さんは力説する。「境川は国を分け、かつ両岸の住人の交流が盛んに行われてきた川だ。今の飛び地問題も含め、数々のドラマを生んできたんですよ」